9世紀
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できごと
800年代
- 800年頃
- 801年
- 802年
- 803年
- 804年
- 805年
- 806年
- 桓武天皇が没し、第51代平城天皇が即位。
- 空海が真言宗を学んで帰国。
- カール大帝による「国王分割令」(ディヴィシオ・レグノールム)。
- アッバース朝の小アジア侵攻。
- アッバース朝が東ローマ帝国から小アジアのティアナ・ヘラクレアを奪う。ラーフィー・イブヌル・ライスの反乱。
- 807年
- 809年
- ハールーン・アッ=ラシードが死去。
- 平城天皇が譲位し、第52代嵯峨天皇が即位(崇文の治)。
810年代
- 810年
- 811年
- 812年
- 813年
- ガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラで隠者ペラーヨが聖ヤコブの墓を発見したという。
- アッバース朝6代カリフのアミーンが異母兄マアムーンに暗殺される。マアムーンが第7代カリフに即位。
- 814年
- 815年 - 東ローマ皇帝レオーン5世が再び聖像破壊令を出す(第二次イコノクラスム - 843年)。
- 816年
- 816年頃 - このころまでに検非違使が設置される。
- 817年
- 唐の皇帝憲宗の命で淮南西道節度使の呉元済が討伐される。
- 皇帝ルートヴィヒ1世が帝国整序令を発布。
- 818年
- 819年
820年代
- 820年
- 『弘仁格』と『弘仁式』が撰進される。
- 東ローマ帝国でレオーン5世が暗殺され、皇帝ミカエル2世が即位しアモリア朝が成立。
- 小アジアではこれに反対するスラブ人トマスの反乱が起きる。
- 821年
- 822年
- 823年
- 825年
- 825年頃
- 827年
- 828年 - エジプトのアレクサンドリアから聖マルコの遺骸がヴェネツィアに運ばれる。
- 828年頃 - 空海が綜藝種智院を創設。
- 829年 - ウェセックス王国のエグバートがイングランドを統一。
830年代
840年代
- 840年
- 841年 - フォントノワの戦い。
- 842年
- 843年
- 844年 - クラビホの戦いでアストゥリアス王ラミロ1世がイスラム教徒に勝利。
- 845年
- 846年 - ローマを攻撃したイスラム軍をグイード1世・ディ・スポレートが撃退。
- 846年頃
- ブハーリーがハディース『真正集(サヒーフ・アル=ブハーリー)』を完成させる。
- イブン・フルダーズベがアラビア語として最古の地理文献である『諸道と諸国の書』を執筆。
- 847年
- 849年
- イタリアのナポリ・アマルフィ・ガエタの艦隊がイスラム艦隊に勝利(オスティアの海戦)。
- 東ローマ皇帝ミカエル3世の叔父バルダス(東ローマ皇帝の叔父)によりコンスタンティノポリス大学(マグナウラ宮殿大学)が再興される。
850年代
- 850年 - 仁明天皇が譲位し、第55代文徳天皇が即位。
- 850年頃 - 『偽イシドルス法令集』が北フランスで編纂される。
- この法令集には教皇首位権を説いた「コンスタンティヌスの寄進状」も含まれる。
- 851年
- 853年 - 唐の商人欽良暉が博多から福州に円珍を送る。
- 855年
- 856年
- 858年
- 859年
860年代
- 860年
- 行教が清和天皇の命を受けて石清水八幡宮を創建。
- ヴァリャーグが東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃するも撃退される(ルーシ・ビザンツ戦争)。
- 861年
- 日本で宣明暦が採用される。
- 唐で822年に作成された暦で、1685年の貞享暦への改定まで使用され続ける。
- ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂がベネディクト会士により建立される。
- 日本で宣明暦が採用される。
- 862年
- 863年
- 864年
- 864年頃
- 第一次ブルガリア帝国のボリス1世がキリスト教に改宗する。
- 865年
- 866年
- 867年
- 868年
- 869年
870年代
- 870年 - メルセン条約により中部フランクが東西に2分割される。
- 871年
- 873年 - サッファール朝がターヒル朝を倒しホラーサーン地方を獲得。
- 874年
- 875年
- 876年
- 877年
- トゥルーン朝がシリアを併合。
- キエルジー勅令により西フランク王シャルル2世が諸侯の官職の世襲を認める。
- ロカのヤルルン渓谷を叛徒に占領され吐蕃が滅亡する。
- 878年
- 879年
880年代
- 880年
- リブモント条約により西フランク王国がロレーヌ西部を放棄。カロリング家の領土相続争いが決着する。
- 黄巣が洛陽・長安を占領。皇帝僖宗は蜀に逃亡する。
- 881年 - ラインラント各地の都市がヴァイキングに攻撃され、アーヘンでは大聖堂が破壊される。
- 882年
- 883年
- 唐の皇帝僖宗が安化公主を南詔王隆舜に降嫁する。
- モンテ・カッシーノ修道院がイスラム教徒サラセン人に破壊される。
- 884年
- 藤原基経によって陽成天皇が事実上廃位させられ、第58代光孝天皇が即位。
- 王満渡の戦いで、黄巣が唐軍に大敗し逃亡、狼虎谷にて自殺する。
- アショト1世がバグラトゥニ朝アルメニア王国を建国する。
- 885年
- 886年
- イングランド王アルフレッドがロンドンを奪還し、デーン王グスルムとの間で協定を結ぶ。
- 887年
- 888年
- 889年 - 高望王に平姓を賜う(桓武平氏)。
890年代
- 890年 - シリア北部にハムダーン朝が成立。
- 891年
- 892年
- 892年頃 - 東ローマ皇帝レオーン6世により「バシリカ法典」が出される。
- 893年
- ブルガリア王にシメオン1世が即位する。第一次ブルガリア帝国は全盛期を現出。
- 唐に滞在中の留学僧中瓘が日本に宛てて遣唐使中止を奏上。
- 894年 - 菅原道真の進言により、遣唐使が廃止される。
- 895年 - 東国で7年間に及ぶ群盗蜂起(寛平・延喜東国の乱)が勃発。
- 896年
- 897年 - 父である宇多天皇より位を譲られて、第60代醍醐天皇が即位する。
- 898年 - 古マタラム王国のバリトゥン王が即位。その治世でプランバナン寺院群を建立。
- 899年
900年代
- 900年
- バルフの戦いでサーマーン朝のイスマーイールはサッファール朝のアムル・イブン・アル=ライスに勝利。
- サーマーン朝はホラーサーンとマー・ワラー・アンナフルを支配下に置き最盛期を迎える。
- ランゴバルド系カプア公国が独立する。
- 甄萱が後百済を建国。
- バルフの戦いでサーマーン朝のイスマーイールはサッファール朝のアムル・イブン・アル=ライスに勝利。
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