中国の歴代王朝一覧 宋代

中国の歴代王朝一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 00:42 UTC 版)

宋代

北宋、遼、西夏と燕雲十六州の位置関係
南宋、西遼、金、西夏の位置関係
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
960~1279 汴京

臨安

趙匡胤 趙昺 の侵攻
北宋 960〜1127、167年間[43][44] 開封 趙匡胤 趙桓 靖康の変
南宋 1127〜1276、149年間[43] 臨安 趙構 趙昺 クビライによる侵攻
907〜1125、218年間[45] 上京臨潢府 耶律阿保機 耶律阿果 金の反乱[注釈 33]
1115〜1234、119年間[注釈 34] 会寧燕京汴京 完顔阿骨打 完顔呼敦 モンゴルの侵攻
西夏 1038〜1227、189年間 興慶 李元昊 李睍 モンゴルの侵攻
モンゴル帝国 1206〜1271、65年間 カラコルム チンギス・カン[注釈 35] モンケ[注釈 36] などに分裂し緩やかな連合体に

元代

元朝の王朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
1271〜1368、92年間[46][47][48][49][50] 上都/大都 世祖クビライ[注釈 37] 恵宗トゴン・テムル[注釈 38] の北伐に伴う北遷

明代

1415年の。後に後金満洲地方に成立する。
明代の王朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
1368〜1644、276年間[50] 南京北京 朱元璋 朱由検 李自成の乱
後金 1616〜1636、20年間 ヘトゥアラ盛京 愛新覚羅弩爾哈斉[注釈 39] 愛新覚羅皇太極 に改称

注釈

  1. ^ 実際に「」は存在せず、王朝による自称であったことに留意。また「皇帝」といっても、先秦時代においては帝号ではなく王号を用いたため「」となる。
  2. ^ 代表例がこの箱である。他にも正統王朝には九鼎などの宝物・祭祀具が受け継がれていた。特に九鼎は秦朝において伝国璽となり、以降の中国の正統王朝では伝国璽やその模造品(途中で紛失した為)を受け継いだ。
  3. ^ しかし、東周が滅ぼしたケース(放伐とは言い難い)など、幾つか例外も存在する。
  4. ^ 夏商交代については、夏王朝の建国をBC1920年として逆算した。また、471年間という数字は史書に因った。
  5. ^ a b 河南省洛陽市偃師区の二里頭遺跡とする説と、河南省鄭州市鞏義市から南西へ29km先とする説とがある。
  6. ^ 二里頭遺跡が都の遺跡とも[2]
  7. ^ 後に夏后に改姓。
  8. ^ 郼薄(郼亳)ともいう。古代中国の言葉の一つである通假字では、薄を意味する。また、河南省洛陽市偃師区とする説、河南省鄭州市にある鄭州商城遺跡とする説とがある。
  9. ^ 囂とも。河南省鄭州市滎陽市の北東にある敖山(広武山)とする説、河南省鄭州市にある鄭州商城遺跡とする説がある。
  10. ^ 商という字の意味について、殷の遺民が流浪の身となり、商業で身を立てたことにあるとする説があるが、これは白川静により否定されている。
  11. ^ 殷滅亡を夏商周年表プロジェクトによりBC1046としたが、竹書紀年ではBC1027など、実際はBC1127〜BC1018の間とするのが正しいとされる。
  12. ^ 周が申国犬戎滅ぼされた紀元前771年から、晋の分裂紀元前403年までを春秋時代、以降を戦国時代と呼ぶ。両時代の違いは主に、春秋時代は周が重んじられていた(尊王攘夷)のに対し、戦国時代は周が軽んじられていた(王号自称)ことなどが挙げられる。
  13. ^ BC226とも
  14. ^ 昌平君紀元前223年)とも[15]
  15. ^ a b c BC453〜とも
  16. ^ と結んだ残党が滅んだBC222とも
  17. ^ 代王紀元前227年 - 紀元前222年)とも
  18. ^ 分裂はBC453だが、魏趙韓の三晋が諸侯国として認められたのはBC403である。また、紀元前371年まで命脈を保った。
  19. ^ 漫画等では始皇帝が「嬴政」と呼ばれることがあるが、当時は女性、は男性が名乗るものであり、彼は男性であったため、「嬴政」ではなく「趙政」が正しい呼び名だったと考えられる(秦王家は嬴姓趙氏)。また、始皇帝というのは後世の呼び名で、在位中は単に皇帝と呼ばれたとされる。
  20. ^ 最後の皇太子は劉嬰
  21. ^ 乱はAD405まで続いた。
  22. ^ 冉魏、代、西燕、翟魏、譙蜀は十六国としてカウントされない[38]
  23. ^ 禿髪傉檀の子である禿髪破羌が北魏に降った時に与えられた「源氏」は、「源を同じにする」という事から、日本の皇別氏族・源氏の氏族名の由来となった。また、禿髪烏孤の子にあたる禿髪樊尼が滅亡後にチベットへ逃れ、吐蕃を建国したという伝説もある。
  24. ^ 滅亡後、沮渠牧犍の弟にあたる沮渠無諱沮渠安周高昌国(高昌北涼)を建てた。
  25. ^ 国姓が違うのは、拓跋宏(孝文帝)の漢化政策の一環で、拓跋姓が元姓に改められたからである。
  26. ^ 元廓であったが、拓跋に復姓した。
  27. ^ 国姓が変わらなかったのは、南朝斉に対して帝室支族が反乱を起こしたため。
  28. ^ 通例ではこれは唐代に含むが、王朝の定義を満たしているため、記載する。
  29. ^ 汴州との記述あり
  30. ^ この時、秦朝以来の中華王朝の象徴である伝国璽が混乱の中で失われてしまったという。
  31. ^ 反乱以前に劉承祐により郭威の一族が皆殺しに遭ったため、亡妻の甥にあたる柴栄が養子として即位。以後、国姓は柴である。
  32. ^ 後唐の前身、李存勗の軍閥
  33. ^ 耶律大石は逃れて西遼建国。
  34. ^ 『靖康稗史箋證』に靖康の変についての記述がある。
  35. ^ 本名はテムジン。「チンギス・カン」は即位後の称号。
  36. ^ 分裂前までの君主(4代カアン)。分裂以降の連合体もモンゴル帝国と呼ぶ場合がある。北元までをモンゴル帝国とする場合は、林丹汗(虎墩兔)となる。
  37. ^ モンゴル皇帝としての称号はセチェン・カアン。本名の漢字表記は忽必烈。モンゴル皇帝には姓がないが、出身氏族のキヤト氏(奇渥温)が便宜上国姓とされることもある。
  38. ^ 元の11代皇帝であるが、ハーンとしては15代目。モンゴル皇帝としての称号はウカアト・カアン。また、本名の漢字表記は妥懽帖睦爾。
  39. ^ 表記揺れ有
  40. ^ 後金時代を含めると1616〜1912。また北元(1368〜1388、20年間)の後継国家とされ、遊牧民に対しては同様、可汗(カアン、ハーン)の称号を用いた。

出典

  1. ^ 天下と天朝の中国史 檀上寛 岩波新書 2016年8月19日 P1〜5
  2. ^ 世界史の窓
  3. ^ 夏商周断代工程的主要成就
  4. ^ a b c d e f 島崎 2019, p. 66.
  5. ^ 佐藤 2016, p. 209,210.
  6. ^ 佐藤 2016.
  7. ^ 島崎 2019, p. 103.
  8. ^ a b c d 島崎 2019, p. 35.
  9. ^ a b c d e f 島崎 2019, p. 102.
  10. ^ a b 島崎 2019, p. 44.
  11. ^ a b c d e f 島崎 2019, p. 92.
  12. ^ a b c 島崎 2019, p. 43.
  13. ^ a b c 島崎 2019, p. 98.
  14. ^ a b 島崎 2019, p. 101.
  15. ^ 島崎 2019, p. 100.
  16. ^ 島崎 2019, p. 40.
  17. ^ a b c 島崎 2019, p. 88.
  18. ^ 島崎 2019, p. 90.
  19. ^ a b c 島崎 2019, p. 45.
  20. ^ a b c 島崎 2019, p. 95.
  21. ^ 島崎 2019, p. 97.
  22. ^ a b c d e f g 島崎 2019, p. 86.
  23. ^ 島崎 2019, p. 42.
  24. ^ a b 史記・巻四十六・田敬仲完世家第十六》:康公貸立十四年,太公遷康公于海上。明年,魯敗斉平陸。三年(康公十八年、紀元前387年),太公与魏文侯会濁澤,求為諸侯。魏文侯乃使使言周天子及諸侯,請立斉相田和為諸侯。周天子許之。康公之十九年,田和立為斉侯,列于周室,紀元年。
  25. ^ 佐藤 2016, p. 204.
  26. ^ 寺田 1997, p. 49.
  27. ^ 寺田 1997, p. 59.
  28. ^ a b 『史記』高祖本紀
  29. ^ a b 寺田 1997, p. 53.
  30. ^ 寺田 1997, p. 58.
  31. ^ 渡邉義浩監修『中国王朝四〇〇〇年史』新人物往来社、2012年、30頁。 
  32. ^ 後漢の意味 goo国語辞書 (2020年04月23日閲覧)
  33. ^ a b c 正史 三国志」(陳寿裴松之 注、井波律子今鷹真小南一郎 訳、ちくま学芸文庫全8巻)
  34. ^ a b 川本 2005, p. 47.
  35. ^ a b 山本英史『中国の歴史』河出書房新社、2010年10月、92頁。 
  36. ^ 川本 2005, p. 58.
  37. ^ a b c d e f 川本 2005.
  38. ^ 岡崎文夫『魏晋南北朝通史内編』安田二郎[解説]、平凡社東洋文庫〉、1989年7月(原著1932年9月)。ISBN 978-4-582-80506-2 
  39. ^ a b c 前島佳孝「第二部第六章 東魏・北斉等の情勢と西魏の南進戦略総括」『西魏・北周政権史の研究』汲古書院、2013年。ISBN 978-4-7629-6009-3 
  40. ^ 隋書
  41. ^ 宮崎市定『大唐帝国―中国の中世』〈中公文庫〉1998年。ISBN 978-4122015463 
  42. ^ 梅原郁; 斯波義信; 溝口雄三; 森田憲司; 愛宕元; 杉山正明 編『中国史 3 五代 - 元』山川出版社〈世界歴史大系〉、1997年。ISBN 4634461706 
  43. ^ a b c 周藤吉之、中島敏『五代と宋の興亡』〈講談社学術文庫〉2004年。ISBN 4061596799 
  44. ^ 宮崎市定「北宋史概説」『世界文化史体系12 宋元時代』誠文堂新光社、1935年。 
  45. ^ 遼史
  46. ^ 岡田英弘 『モンゴル帝国の興亡』 筑摩書房ちくま新書2001年
  47. ^ 杉山正明 『モンゴル帝国の興亡(上)軍事拡大の時代』 講談社〈講談社現代新書〉1996年5月、ISBN 4-06-149306-X
  48. ^ 杉山正明 『モンゴル帝国の興亡(下)世界経営の時代』 講談社〈講談社現代新書〉1996年6月、ISBN 4-06-149307-8
  49. ^ 愛宕松男『アジアの征服王朝』河出書房、1968年。
  50. ^ a b 愛宕松男、寺田隆信『中国の歴史 6 元・明』講談社、1974年。 
  51. ^ 増井経夫『大清帝国』〈講談社学術文庫〉2002年。ISBN 406-1595261 





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