同名の王朝について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 01:15 UTC 版)
「中国の歴代王朝一覧」の記事における「同名の王朝について」の解説
中国の王朝には、当時同じ名前で呼ばれていた王朝が複数ある例が多く、後世それぞれを区別するために、便宜上修飾語を付していることが多い。その修飾語には次のようなパターンがある。 存在した時期の前後から「前」「後」 - 例:前漢、前秦、前蜀、後漢、後梁、後金 方角から「東」「西」「南」「北」 - 例:東周、東晋、南唐、南宋、西周、西晋、北魏、北宋 建国した皇帝または王の姓 - 田斉、曹魏、冉魏、桓楚、武周、桀燕 途中で改名した場合、改名前後の国名を並べる - 成漢、漢趙 その他 - 蜀漢、胡夏 次に中国史の各王朝の当時の名称と該当する王朝の一覧表を示すが、この一覧では、隋末唐初や元末明初などの短い混乱期の短命に終わった独立勢力など、あまりにもマイナーなものは省略する。 中国史の各王朝の当時の名称と該当する王朝当時の名称該当する王朝夏夏 (三代)、夏 (五胡十六国)(大夏/胡夏/劉夏)、西夏現代では単に「夏」といった場合、三代の夏と五胡十六国の夏、特に前者をいうことが多い。 周周〔西周、東周〕、北周、武周、後周現代では単に「周」といった場合、西周・東周をいうことが多い。 秦春秋時代からの秦、前秦、後秦、西秦現代では単に「秦」といった場合、春秋時代からの秦をいうことが多い。 燕燕 (春秋)、前燕、後燕、南燕、北燕、西燕、桀燕現代では単に「燕」といった場合、春秋時代からの燕をいうことが多い。 楚楚 (春秋)、西楚、桓楚、楚 (十国) 趙趙 (戦国)、前趙/漢趙、後趙現代では単に「趙」といった場合、戦国時代の趙をいうことが多い。漢趙は改名前後の国名を並べたもの。 魏魏 (戦国)、魏 (三国) (曹魏/前魏)、冉魏、翟魏、北魏/後魏/元魏/拓跋魏、東魏、西魏現代では単に「魏」といった場合、戦国時代の魏、または三国時代の魏(曹魏/前魏)をいうことが多い。 斉姜斉/呂斉、田斉、南斉、北斉 晋晋 (春秋)、晋〔西晋、東晋〕、前晋(後唐の前身)、後晋 宋宋 (春秋)、南朝宋/劉宋、宋〔北宋、南宋〕現代では単に「宋」といった場合、どの「宋」を指すかは文脈によるが、特に北宋・南宋をいうことが多い。 漢漢〔前漢/西漢、後漢(ごかん)/東漢〕、蜀漢/季漢、漢趙、成漢、後漢 (五代)(こうかん)、北漢、南漢現代では単に「漢」といった場合、前漢・後漢(ごかん)を指すことが多い。後漢(ごかん)と五代の後漢(こうかん)は別の国であり、中国では混乱を避けるため、前漢を西漢、後漢(ごかん)を東漢と呼ぶことが多い。漢趙と成漢は改名前後の国名を並べたもの。 蜀古蜀、後蜀 (五胡十六国)(譙蜀/西蜀)、前蜀、後蜀 (十国)現代では単に「蜀」といった場合、蜀漢を指すことが多いが、蜀漢の当時の国名は「漢」であった。また国名として当時「蜀」と呼ばれなかったが現在の便宜上の国名に「蜀」を含む例としては、他に成漢の成蜀/前蜀/後蜀がある。 呉呉 (春秋)、呉 (三国)(孫呉/東呉)、呉 (十国)現代では単に「呉」といった場合、どの「呉」を指すかは文脈によるが、特に三国時代の呉(孫呉/東呉)をいうことが多い。 涼前涼、後涼、南涼、北涼、西涼 梁梁(魏 (戦国)の大梁遷都以降の国号)、梁 (南朝)(蕭梁)、後梁 (南朝)/西梁、五代の後梁/朱梁現代では単に「梁」といった場合、特に南朝の梁をいうことが多い。南朝の後梁と五代の後梁は別の国である。 唐唐 (三代) (古唐国)、唐/李唐、後唐、南唐現代では単に「唐」といった場合、618年に李淵が建てた唐(李唐)をいうことが多い。 金金、後金現代では単に「金」といった場合は前者(1115年に阿骨打が建てた国)をいうことが多い。 北元については、1368年に元が明によって中国領土を喪失して以降の後世の名称であり、王朝の連続性を見れば元と北元は同一の王朝である。また、南明については、1644年の明滅亡後に明の皇族たちによって華中・華南に立てられた諸政権の総称であり、当時明と呼ばれて現在南明と呼ばれる一つの王朝が存在したわけではない。
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