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夏 (五胡十六国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 10:20 UTC 版)

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Xia

407年 - 431年

夏の位置(416年頃)。
公用語 匈奴語
首都 統万城 (418年-427年)
上邽 (427年-428年)
平涼 (428年-430年)
皇帝
407年6月 - 425年 赫連勃勃
425年 - 428年 赫連昌
428年 - 431年6月 赫連定
変遷
建国 407年6月
吐谷渾によって滅亡 431年6月

(か、407年 - 431年)は、五胡十六国時代匈奴鉄弗部赫連勃勃(劉勃勃)によって建てられた政権。一般に「大夏」と呼ばれる。別名「胡夏」「劉夏」。

歴史

起源

夏の支配氏族は匈奴鉄弗部の劉氏(後の赫連氏)で、南匈奴屠各種に属する谷蠡王の劉尸利(独孤部の首長の劉進伯の子[1])を祖として、後漢末の南匈奴の単于一門で攣鞮部を継いだ羌渠前趙の始祖となる)の弟である右賢王去卑を始祖とする(末弟劉猛独孤部、一族の潘六奚は破六韓部の始祖となる)。去卑は、献帝長安脱出に功績があったため、曹操の信任を受けて南匈奴諸部を監督した。

鉄弗部時代

310年、去卑の孫の劉虎鮮卑拓跋部に敗れてオルドスへ逃れ、以降ここに割拠し、前趙・後趙前秦から官を受けた。

劉虎の孫の劉衛辰が族長になると、再び鮮卑拓跋部に敗れ、劉衛辰は部を率いて前秦領内へ逃れた。376年、劉衛辰は前秦の拓跋部討伐に従って功績を立て、同年、オルドスに戻って拓跋部・柔然を服属させ、一大勢力を形成した。

386年、拓跋部が再興(後の北魏)すると劉衛辰はこれに勝てず、391年には北魏の遠征軍によって殺され、鉄弗部は一時滅んだ。劉衛辰の子の劉勃勃(後の赫連勃勃)はオルドス西南部の高平まで逃れたが、その後も北魏は追討軍を繰り出したため、流転の末に後秦へ身を寄せた。後秦は北魏に備えるため、勃勃をオルドスに鎮した。

夏の建国

407年、劉勃勃は旧鉄弗部や鮮卑諸部を糾合すると、後秦から自立して大単于・大夏天王と称し、龍昇と建元して大夏国を建てた。同年、夏はオルドス全域を平定し、413年には赫連氏改姓や統万城の築城など、着々と勢力を固めていった。また北魏に対しても、414年北燕と盟を結んで牽制し、同年から翌年にかけて山西一帯を攻撃して優勢に立った。

417年、関中の後秦が東晋劉裕によって滅ぼされると、418年に夏軍は南下して東晋を破り、長安など関中諸城を占領した。同年、赫連勃勃は帝位に即き、翌419年真興と改元し、統万城を都に定めて帰還した。夏の領域は、関中・オルドス・山西南部に及び、吐谷渾北涼を服属させ、華北西部に大勢力を築いた。

衰退

424年、長安で反乱が起こって内乱状態となり、425年に赫連勃勃が死去すると、夏の勢力は急速に衰退した。426年、夏は2路より5万の兵を進めて西秦を攻め、都の枹罕を陥して西平まで達したが、北魏はこの機に乗じて夏へ第1次遠征軍を送り、関中諸城を占領した。427年、北魏は夏へ第二次遠征軍を送り、都の統万城を占領した。二代皇帝赫連昌は統万城から脱出し、上邽を都に定めて抗戦したが、各地で北魏に敗れて政権は瓦解した。428年、夏帝赫連昌は北魏に捕らえられた。

428年、赫連昌の弟の赫連定は逃亡先の平涼で大夏皇帝に即位し、同年、各地の敗残兵を糾合すると、北魏から関中全域及び統万城を除くオルドス諸城を奪回した。430年南朝と同盟が成立し、赫連定は統万城奪回に向かったが、北魏は夏へ第三次遠征軍を送り、ついに夏都平涼も陥落した。夏は瓦解し、赫連定は敗残兵を率いて上邽へ逃れた。

滅亡

431年1月、夏主赫連定は再起を図るため西へ進み、南安の西秦を攻めてこれを滅ぼし、ついで全軍を率いて北涼遠征を行った。6月、夏軍が黄河を渡る途中、服属していた吐谷渾軍に襲われて壊滅し、赫連定も捕らえられて大夏政権は滅亡した。なお、第3代皇帝赫連定は432年、第2代皇帝赫連昌は434年に北魏によって殺された。

夏の文物

現存する夏の文物としては、統万城遺址・代来城遺址・太夏真興銭(419年-)・田焽墓誌(420年)・大夏石馬(424年)・施文造像(429年)・紀年文書として敦煌トルファン文書数点がある。また、現存はしないものの、大夏龍雀刀(413年)や統万城南碑頌(419年)などが知られている。

夏の名臣

叱干阿利
鮮卑叱干部族長の一族。劉衛辰が北魏に滅ぼされた時、族長であった太悉伏を説得して遺児の劉勃勃(後の赫連勃勃)を匿った。この事が発覚すると叱干部は北魏によって滅ぼされたが、阿利は余衆を率いて勃勃に投じ、407年に夏が建国すると御史大夫・梁公に拝された。413年、将作大匠を拝され統万城を築いた。統万城は中国の城郭建築史上初めて馬面を施したもので、城壁もセメントで固められ、北宋時代(11世紀)でも金属で叩くと火花が散るほどの強度を保っていたという。
烏洛孤
夏の御史中丞で外交を担当。414年に遼西北燕、415年に河西北涼へ赴き、これらと盟を結んで夏の覇権を形成した。
王買徳
赫連勃勃の軍師。もともと後秦の参軍であったが、赫連勃勃に投じると重用され、多くの戦いで作戦を立案した。特に418年の関中平定戦には王買徳に依拠するところが大きかったという。同年、功によって都官尚書・冠軍将軍・河陽侯に拝された。
赫連韋伐
赫連勃勃の弟で、夏の車騎大将軍・北平公。西征軍を担当。426年、北涼の要請で征南大将軍呼盧古と共に西秦を攻め、苑川(西秦の旧都)・南安(西秦の秦州治所)・枹罕(西秦の都)・西平(西秦の沙州)を陥した。431年1月、韋伐は夏の敗残兵を糾合して再び西秦を攻め、都の南安を陥し西秦を滅ぼした。
赫連那勿黎
赫連勃勃の子で、夏の七兵尚書。431年に夏が滅びると、姓を赫連氏から口豆連氏(後の雲氏)と改めて北魏に降り、北部莫弗となって夏の遺民を率いた。

夏の君主

鉄弗部時代

  1. 去卑(族長位2世紀末頃 - 3世紀前半頃)
  2. 誥升爰(族長位251年 - 309年)大夏建国後に元皇帝
  3. 劉虎(族長位309年 - 351年)大夏建国後に景皇帝
  4. 劉務桓(族長位351年 - 356年)大夏建国後に宣皇帝
  5. 劉閼頭(族長位356年 - 358年
  6. 劉悉勿祈(族長位358年 - 359年
  7. 劉衛辰(族長位359年 - 391年)大夏建国後に太祖桓皇帝

  1. 赫連勃勃(在位407年 - 425年)世祖武烈皇帝
  2. 赫連昌(在位425年 - 428年
  3. 赫連定(在位428年 - 431年
  • 赫連昌(428年 - 430年)北魏の会稽公
  • 赫連昌(430年 - 434年)北魏の秦王

元号

  1. 龍昇407年-413年
  2. 鳳翔(413年-418年
  3. 昌武(418年-419年
  4. 真興(419年-425年
  5. 承光(425年-428年
  6. 勝光(428年-431年

脚注

  1. ^ 新唐書』宰相世系表

関連項目

先代:
後秦
407年 - 431年
次代:
吐谷渾

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