李弘 (十六国)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/17 09:36 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動李 弘[1](り こう、? - 370年)は、中国五胡十六国時代の農民反乱の首領。広漢郡の人。
生涯
成漢の末代皇帝李勢の子であると称し、流民数千人を集めて定陵を荒らし回った。
370年8月、蜀の李金銀や巴西の趙続伯らは共に李弘を盟主に推し立てた[2]。李弘は聖道王[3]を号して年号を立てて鳳凰とし、百官を独断で任じて民を混乱させた。この時、1万を超える兵を従えていた。益州刺史周楚は孫の梓潼郡太守周虓を討伐に向かわせた。李弘は迎撃するも敗れ、乱は鎮圧された。李弘の生死は不明である[4]。
脚注
参考文献
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