九鼎とは? わかりやすく解説

きゅう‐てい〔キウ‐〕【九×鼎】

読み方:きゅうてい

《夏(か)の禹(う)王が九つの州から金を貢上させて鼎(かなえ)を作り天子象徴として夏・殷(いん)・周3代に伝えたというところから》非常に貴重なもの。


九鼎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/31 18:40 UTC 版)

劉鼎。殷の末期の鼎(上海博物館

九鼎(きゅうてい)は、古代中国におけるレガリア

(かなえ)は鍋釜に相当する古代中国の三本足の金属器具で祭器としても利用された。伝説によればの始祖九州(中国全土)に命じて集めさせた青銅をもって鋳造したものという(『史記』封禅書)。夏の最後の君主の履癸(桀)が天乙(湯王)に滅ぼされたのちは殷室に、帝辛(紂王)が周の武王に滅ぼされてからは周室の所有となった。周の成王即位の折、周公旦は九鼎を洛邑に移し、ここを新都と定めたという(『墨子』耕柱)。「鼎を定む」(奠都すること)の成句はこの故事に由来する。

九鼎は周王朝37代にわたって保持され、それをもつものがすなわち天子とされた。周がに滅ぼされたとき、秦はこれを持ち帰ろうとしたが、混乱のさなか泗水の底に沈んで失われたという。秦朝は新たに玉璽を刻し、これを帝権の象徴とした。

2006年北京中国国家博物館は北京国宝工芸研究院に依頼して九鼎を復元、展示した[1]

鼎の軽重を問う

周の定王の時代、時の覇者であった荘王洛水河畔に軍兵を展開し、王位をうかがった際の故事に由来する成句。

脚注

  1. ^ 周王室の宝物「九鼎」、復元され国家博物館に登場”. 人民網日本語版. 人民日報社 (2006年5月19日). 2022年11月5日閲覧。

関連項目


九鼎

出典:『Wiktionary』 (2021/08/21 04:24 UTC 版)

名詞

きゅうてい

  1. 中国の夏の禹が、九つの州に貢がせた資金鋳造したと伝わる以降、夏・殷・周三代わたって王朝権威象徴となった
  2. きわめて貴重もののたとえ

発音(?)

きゅ↗ーてー

派生語



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「九鼎」の関連用語

1
什宝 デジタル大辞泉
92% |||||

2
珍宝 デジタル大辞泉
92% |||||


4
九鼎大呂 デジタル大辞泉
78% |||||

5
什物 デジタル大辞泉
72% |||||

6
可惜物 デジタル大辞泉
72% |||||

7
愛玩 デジタル大辞泉
72% |||||

8
秘宝 デジタル大辞泉
72% |||||

9
貴重品 デジタル大辞泉
72% |||||


九鼎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



九鼎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの九鼎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA) and/or GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblioに掲載されている「Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)」の記事は、Wiktionaryの九鼎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA)もしくはGNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS