鼎(かなえ)の軽重(けいちょう)を問(と)・う
鼎の軽重を問う
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/17 15:15 UTC 版)
周の定王の時代、時の覇者であった楚の荘王が洛水河畔に軍兵を展開し、王位をうかがった際の故事に由来する成句。 詳細は「荘王 (楚)#問鼎」を参照
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鼎の軽重を問う
出典:『Wiktionary』 (2018/04/06 10:00 UTC 版)
成句
由来
中国周の朝廷に、楚の荘王(春秋五覇の一人で王は僭称。楚は子爵位の国)が九鼎の重さを問うた。九鼎は夏王朝・殷王朝から周王朝に渡った王位の象徴であり、その重さを問うというのは、暗に九鼎を持ち帰る事を示唆し、つまり楚が周王朝に取って代わる事を示していた。それを周王の使者である王孫滿に諌められた故事より。
【白文】
【訓読文】
【現代語訳】
- 定王、王孫滿を荘王(楚子)への(西方の異民族討伐の)ねぎらいの使者とした。荘王が周王室の鼎の寸法を尋ねた。王孫滿がそれに答えて、「周の王室が保たれているのは、その徳行の故であり、鼎があるからではありません。(夏、殷がその徳行により興亡したことを語り)今、周の王室は、昔よりその威光が衰えてはいますが、天命によって、まだ代わったわけではありません。鼎の軽重を問うのは不遜というものです」と。
翻訳
「鼎の軽重を問う」の例文・使い方・用例・文例
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