プロミス‐リング【promise ring】
読み方:ぷろみすりんぐ
「ミサンガ」に同じ。
ザ・プロミス・リング
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 18:17 UTC 版)
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ザ・プロミス・リング The Promise Ring |
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出身地 | ![]() ウィスコンシン州、ミルウォーキー |
ジャンル | オルタナティヴ・ロック インディー・ロック ポスト・ハードコア ポップ・パンク パワー・ポップ エモ |
活動期間 | 1995年 - 2002年 2005年 2011年 - 2012年 2015年 - 2016年 |
レーベル | ジェイド・トゥリー、アンタイ、デンジャーバード |
共同作業者 | ジミー・イート・ワールド、マリタイム、キャップン・ジャズ、ダッシュボード・コンフェッショナル |
メンバー | ジェイソン・グネヴィコウ デイヴィー・フォン・ボーレン ダン・ディディエ スコット・シェーンベック |
旧メンバー | ティム・バートン スコット・ベシュタ ライアン・ウェーバー |
ザ・プロミス・リング (The Promise Ring) は、アメリカ・ミルウォーキー出身のエモバンド。次世代のエモバンドの一角として一部の層ではカルト的支持を得た。1995年に結成し、2002年に解散。その後、2005年に一時的に復活。2011年、2015年にも再び再結成を果たしている。これまでに4枚のフルアルバムをリリースしている。
略歴
当時キャップン・ジャズのギター・ボーカルを務めていたデイヴィー・フォン・ボーレン(Davey von Bohlen, Gt, Vo)のサイドプロジェクトとして1995年に始動した。結成時のメンバーはボーレンに加え、ジェイソン・グネヴィコウ(Jason Gnewikow, Gt, ex-None Left Standing)、ダン・ディディエ(Dan Didier, Dr)、スコット・ベシュタ(Scott Beschta, Ba)の4人。
同年、初のフルアルバム『30° Everywhere』をリリースする。翌年1997年にも2nd『Nothing Feels Good』 をリリースし、これは大きく評価された。しかし2ndアルバムの発売前にベシュタが脱退し、代替としてティム・バートン(Tim Burton, Ba, ex-None Left Standing)が加入する。また、1stアルバムと2ndアルバムの間には『The Horse Latitudes』という過去の音源を再録した編集盤もリリースされた。1998年には、EP『Boys + Girls』をCDとアナログ盤の両方でリリースする。CD版には追加音源が収録されている。1999年にはポップ路線を推し進めた3rd『Very Emergency』をリリースし、これも大きな成功を収めた。彼らの最後の作品となったのはライアン・ウェーバー(Ryan Weber, Ba)を迎えて製作された2002年の4th『wood/water』であった。本作のリリース後、ザ・プロミス・リングとしての活動はひとまず休止となった。ボーレンとディディエはその後もマリタイムというバンドを結成して活動を続けた。
再結成
バンドはその後も幾度か再結成を果たしている。
2005年にシカゴで行われたフラワー15フェスティバルにて再結成ライブを行った。
2009年、アンタイ・レコード公式サイトにて、『It's Not Brain Surgery: The Best Of』というタイトルのコンピレーション盤が発売予定であるという内容の隠しページが発見された。しかしそのページは後に削除され、その名を冠したコンピレーション盤は未だリリースされていない。
2011年、twitter上で再結成をほのめかすツイートが書き込まれ、数日後、翌年2012年にシカゴやミルウォーキーにて再結成ライブを行うことが発表された。これに合わせて、デンジャーバード・レコードより、希少的だった過去の音源も再発された。
また2012年にはバンブーズル・フェスティバルにも出演し、フー・ファイターズやブリンク 182、ジミー・イート・ワールドらと共演した。
同年、ファン・ファン・ファン・フェスティバルへの出演を最後にバンドは再び活動を休止した。
2015年12月31日、シカゴで『Nothing Feels Good』再現ライブを行った。
2016年8月14日、アトランタで行われたレッキングボールフェスティバルに出演した。
ディスコグラフィー
アルバム
- 30° Everywhere
(September 9, 1996)
Jade Tree - Nothing Feels Good
(October 14, 1997)
Jade Tree - Very Emergency
(September 28, 1999)
Jade Tree - wood/water
(April 23, 2002)
ANTI
EP
- Watertown Plank b/w Mineral Point
(May 1995)
Foresight - Falsetto Keeps
(February 1996)
Jade Tree - The Horse Latitudes
(February 10, 1997)
Jade Tree - Boys + Girls
(October 27, 1998)
Jade Tree - Electric Pink
(May 16, 2000)
Jade Tree
ミュージック・ビデオ
- Why Did We Ever Meet? (1997)
- Emergency! Emergency! (1999)
- Stop Playing Guitar (2002)
コンピレーション
"12 Sweaters Red" - Ground Rule Double compilation CD, 2xLP (Divot / Actionboy, 1995)
"Ooh Do I Love You" - Ooh Do I Love You compilation CD, Core for Care, 1996
"Pink Chimneys" - (Don't Forget To) Breathe compilation CD, LP (Crank! 1997)
"Gouge Away" - Where Is My Mind? a tribute to the Pixies CD (Glue Factory, 1999)
"You Are So Unreal" - Metroschifter - Encapulated CD (Doghouse, 2000)
"Why Did Ever We Meet" - Nowcore! The Punk Rock Evolution compilation CD (K-Tel, 1999)
"Holiday Adam" - "A Very Milky Christmas" compilation CD (Milk, 2000)
"Red Paint" - "The Basement Recordings-Live at Cicero's" compilation CD (On the Clock, 1997)
"Easy" - "Location Is Everything Vol. 1" compilation CD (Jade Tree, April 16, 2002)
ミサンガ
(プロミス・リング から転送)
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ミサンガ(葡: miçanga)は、手芸の組み紐の一種である。色とりどりの刺繍糸を何本もあわせて編み、模様をつける[1]。日本ではプロミスリング、プロミスバンドとも言う。
概要
「ミサンガ」の語源はポルトガル語であるが、本来の意味は「ビーズ」であり、紐のものを「ミサンガ」と呼ばない。また、「プロミスリング」(Promise Ring)という名称は、英語では、恋人同士などを互いに表現する金属製の指輪の一種を指すことが一般的である。
発祥
発祥地についてはポルトガル、ブラジル、グアテマラなど諸説ある。17世紀頃、ポルトガルの「ポン・フィン」という教会で作られていた「フィタ」という名前のひもを結んだのがミサンガの始まりとされている。フィタを編むときに、願いごとや叶えたいことを込めていたという。そのフィタを教会関係者や村人たちは、手や足に結びお守りにした。
ポルトガル語で「ポン・フィン」は「美しい結末」や「良い終わり」という意味がある。これが転じて、編んで身に着けたミサンガが自然に切れると願い事が叶う、という現在の思想に結び付いたと考えられる。
現在ではブラジルバイーア州サルバドールにあるボン・フィン教会が流行の発祥という説がよく唱えられている。ミサンガ・フィタと呼び、紐を2回ほど手首や足首に巻いたのが最初だと言われている。 実際にボン・フィン教会にはおびただしい数のミサンガ(ここではリボン状)が建物外観に結わえられているが、これは、願いが叶った人々がお礼に結んだものだという。なお、この教会には手足の治癒のお礼に義手や義足も多数納められている。[2]
日本での広まり
ミサンガは、ポンファン・フィタという名前でポルトガル語圏に広がり、特にサッカー選手が好んで身につけた。 日本では1993年にJリーグが開幕した際、ヴェルディ川崎に所属するラモス瑠偉[1][3]や北澤豪[3]がチームの勝利などを祈願してミサンガを身につけていた事がきっかけとなり、Jリーグブームの高まりと共に国内に広まった[4]。手首や足首などに巻きつけて使用し、紐が自然に切れたら願いごとがかなうという縁起担ぎ(逆ジンクス)の意味がある[1][5]。
また同1993年には上記に合わせて女子学生にもミサンガが流行となっていったが、実際に願掛けしている人は少数派であり、また一人あたり平均十本以上のミサンガを所持していたため、こちらは願掛け的な意味合いよりもファッション的な意味合いが大きかったと見られている[6]。
ミサンガはJリーグブームの収束後も若者やスポーツ選手に人気があると言われ[4]、2004年に行われたプロ野球オールスターゲームでは、古田敦也をはじめプロ野球選手が、プロ野球再編問題で2球団合併反対、1リーグ制反対の願いを込めて12球団のイメージカラーをもとに作ったミサンガを使用した。
東日本大震災とミサンガ
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う東日本大震災では、阪神・淡路大震災を大きく上回る被害が発生した。そこでダンスボーカルユニットのEXILEはグループのミサンガを製作し、収益をあしなが育英会を通して震災で親を亡くした子どもの支援に充てることを発表した[7]。ほかにも企業[8]や個人[9]でミサンガを作製・販売してチャリティー活動を展開する動きも見られた。
また、被災地の宮城県石巻市の小中高校生15名が結成した「We make Ishinomaki」は、ボランティアで同地を訪れた人々に配布するために1万本を目標にミサンガ製作を始めた[5]。We make Ishinomakiのメンバーは朝日新聞の取材に対し、「アクセサリーをすることができない被災者とボランティアの人が同じものを身につけることで一体感を生み出したい」「石巻のために子どもでもできることを」という思いから作製したと答えた[5]。
三陸地方では、震災で仕事を失った女性たちが、震災後に漁に用いることのできない漁網を再利用して「浜のミサンガ 環」を製作しており、大きな収入を得るとともに、全国的な話題となっている[10]。
脚注
- ^ a b c 『imidas イミダス 1994』集英社、1994年。ISBN 978-4-08-100008-1。
- ^ https://useful-jp.com/archives/484.html
- ^ a b “マジカル ミサンガのひみつ”. 紀伊國屋書店BookWeb. 2012年5月5日閲覧。
- ^ a b “浜のミサンガ…被災地女性が漁網で手作り”. nikkansports.com (2012年3月19日). 2012年5月5日閲覧。
- ^ a b c 藤崎麻里 (2011年4月20日). “願い込めたミサンガ「新しい石巻を」 被災生徒ら作製”. 朝日新聞社. 2011年4月20日閲覧。
- ^ 谷脇幸子、トレンドデータバンク『女子高生ワンダーランド : アンケートでわかった彼女たちのすべて (ワニの本. ベストセラーシリーズ)』 pp.108-109 ベストセラーズ 1993年12月 ISBN 978-4584008836 [1]
- ^ 入倉功一"EXILEが震災遺児のためにチャリティーミサンガの発売を決定 収益は「あしなが育英会」へ寄付"シネマトゥデイ、2011年4月9日.(2011年4月24日閲覧。)
- ^ リップル"リップル ハワイアンジュエリー チャリティー ブレスレット HOPE MISSANGA"(2011年4月24日閲覧。)
- ^ 東北地方太平洋沖地震チャリティバザーin Kadena"貝殻アート、ミサンガetc…"2011年3月24日.(2011年4月24日閲覧。)
- ^ 井上きみどり『わたしたちの震災物語 ハート再生ワーカーズ』集英社〈愛蔵版コミックス〉、2011年、93-108頁。 ISBN 978-4-08-782396-7。
外部リンク
- プロミス・リングのページへのリンク