駅舎の改築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:32 UTC 版)
旧三津駅舎は老朽化していることに加え、耐震性強化やバリアフリー対応、さらに駅前広場にバスの乗り入れを可能とする改良工事の必要性が高かった。 そのため、伊予鉄道では当駅を交通結節点に指定し改築工事を計画したが、歴史的価値の高い旧駅舎の保存を求める声が付近の住民を中心に高まり、一時は旧駅舎の保存を求める署名が2500名分集まる住民運動に発展した。 2005年6月、伊予鉄道・地元住民と松山市、それに学識経験者などをメンバーとした「三津駅舎検討ワークショップ」が発足し、同年12月に「現駅舎のイメージを残して改築」という方向で合意した。建築基準法や駅前広場の整備との関係で保存が困難であったことが要因である。 その後、伊予鉄道は2007年5月の「検討ワークショップ」で改築プランを公開し、2008年夏に始まった改良改築工事を経て、2009年2月5日に新駅舎が完成した。
※この「駅舎の改築」の解説は、「三津駅」の解説の一部です。
「駅舎の改築」を含む「三津駅」の記事については、「三津駅」の概要を参照ください。
駅舎の改築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:33 UTC 版)
昭和60年代に入り舟橋村の人口が停滞するとともに当駅の利用者数も低下し、富山地方鉄道は駅の無人化と当駅停車本数の削減を同村に対して打診した。富山市中心街に対する交通の便がよいことを村の利点としてきた舟橋村は、これに危機感を抱き、1988年(昭和63年)3月に「舟橋村魅力あるまちづくり基本計画」において駅舎の改装を検討課題とし、1990年(平成2年)には駅に図書館を併設することを決定した。その後、村民から提出された「図書館建設に関する要望書」の意見を元に、富山県外の図書館併設駅舎を参考にして、1995年(平成7年)中に駅舎に図書館を中心とする情報センター的役割を与える構想を固め、1996年(平成8年)には「舟橋村文化・福祉複合施設建設事業」として着工した。駅舎は、1998年(平成10年)3月31日に竣工し、併設する舟橋村立図書館の貸出業務は翌日の1998年(平成10年)4月1日より開始した。開館1年目の舟橋村における図書貸出数は村民一人当り51冊、翌年の1999年(平成11年度)には67冊となって、全国的にも高い利用者を数えることとなった。また1993年(平成5年)にはパークアンドライド用の駐車場を開設、村外の利用者を増加させることにも成功している。これらの事業の成果による駅利用者数の増加によって、富山地方鉄道は無人化の計画を撤回して朝8時に停車する列車の本数を3本から6本に増やし、急行の停車を開始した。
※この「駅舎の改築」の解説は、「越中舟橋駅」の解説の一部です。
「駅舎の改築」を含む「越中舟橋駅」の記事については、「越中舟橋駅」の概要を参照ください。
駅舎の改築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 01:44 UTC 版)
2013年9月、JR西日本和歌山支社が現駅舎を北西の隣接地に建て替える案を田辺市に提出していたことが報じられた。JR側は1932年建築の現駅舎を耐震化する場合の経費や、現駅舎の場所での改築する場合の仮駅舎費用などがかさむことをその理由とし、予想される南海地震時の津波避難施設としても活用できる4-5階建てのビルとする構想で、2016年の完成後は現駅舎は取り壊すとされた。これに対しては、現駅舎の位置を前提として市が進めている駅前広場整備事業への影響を懸念する反応 や、歴史的価値から現駅舎の保存活用を求める声が地元から上がり、田辺市中心市街地活性化協議会は11月17日に、新駅舎をJR案通りに建設することは承認する一方で現駅舎の保存活用を求める意見書を市に提出した。12月20日に開かれた中心市街地活性化協議会で、JR側は現駅舎を取り壊す場合に跡地の一部に駅舎を設置して現在と変わらない動線を維持すること、現駅舎を市に無償譲渡して市が保全活用することを提案した。この提案に対して市側は現駅舎の耐震補強に億単位の費用が必要なことに加え、その後の維持管理や利用者の安全管理まで市が責任を持つ点に市民の合意を得ることが困難であると述べた。 2014年6月4日、JR西日本和歌山支社は現在の駅舎のある位置に動線を維持する形で、利用客に熊野の歴史や自然の魅力を感じてもらえる空間をイメージした内装と約300人が津波から避難できる機能を持つ3階建の駅ビルに建て替えることを明らかにした。この時点では、2015年度初頭に工事に着手、2016年度末までに完成させるとしていた。市は現駅舎について「公費投入による耐震化と維持管理は不可」という主張を改めて示し、保存を求めていた田辺市中心市街地活性化協議会も「やむを得ない」と建替に同意した。 駅舎の改築は前記の発表では2015年度初頭の着手とされていたが、2015年10月には「2016年中」とされ、それに先立つ2015年10月から12月に開催された「紀の国トレイナート2015」ではイベントの一環として駅舎の外壁に壁画イラストが描かれた。その後改築着手はさらに遅れ、田辺市は2016年11月に、2017年1月から新駅舎の設計を開始し、同年6月に工事着手、2019年3月末に完成というスケジュールを明らかにした。駅舎については田辺市側から現駅舎の外観イメージの継承などを求める要望が出たため、市が追加工事分を負担する前提でJRと合意したという。2017年の報道では、市の負担は設計費も含めた総工費3億6,000万円のうち約6,000万円とされている。 2017年8月17日、JR西日本は駅舎の一部(正面向かって左側)の解体に着手した。同年8月の報道によると駅舎本体の解体は平成30年度(2018年 - 2019年)に実施し、2019年3月に新駅舎の完成を目指すとしていた。3階建ての駅事務室ビルが隣接地に完成したことを受け、2018年5月より駅舎の解体が本格的に開始された。新駅舎の屋根には、これまでの駅舎の特徴である大屋根や闘鶏神社の意匠を取り入れられた。 2019年1月に旧駅舎の解体が完全に終了した。その後、建築が進められていた新駅舎が同年7月までに完成し、同月23日よりコンコースや構内待合室の使用が開始された。なお、田辺観光協会や田辺商工会議所など8団体が寄贈した観光案内パネルやデジタルサイネージも構内に設置されている。 同年8月7日には新駅舎完成を祝う式典が開かれた。また同日に「セブン-イレブン ハートイン」の営業も開始された。
※この「駅舎の改築」の解説は、「紀伊田辺駅」の解説の一部です。
「駅舎の改築」を含む「紀伊田辺駅」の記事については、「紀伊田辺駅」の概要を参照ください。
駅舎の改築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 15:37 UTC 版)
青森市市長を務めていた佐々木誠造は青森駅の改築に伴い青森市役所の窓口機能を青森駅に移転する計画を模索しており、調査費も2009年度の青森市の予算に組み込まれていたが、2009年の市長選挙で鹿内博が勝利し市長に就任したため白紙撤回となった。 2011年には駅舎の老朽化にともない、東正面口に公共公益施設を含む複合施設を整備、東西自由通路の整備をする計画を青森市が提案し、JR側も協力姿勢を示していた。 その後、2016年になって県・市・JRが「青森駅周辺整備事業」の基本協定を締結。2018年6月には県・市・商工会議所・JRが「青森駅周辺のまちづくりに関する連携協定」を、同年7月には県・市・JRが「青森駅自由通路整備等に関する工事の施行協定」をそれぞれ締結し、同年11月に着工した。総事業費は95億8千万円で、橋上駅舎と東西自由通路に関しては2021年3月27日の供用開始している。 今後現駅舎は2021年4月から解体に着手し、同年9月より西口駅前広場の整備に着手、翌年度に整備が完了する予定である。また、旧駅舎の解体後の跡地は商業施設やホテル、行政施設が入る10階建ての複合施設が建設される予定。
※この「駅舎の改築」の解説は、「青森駅」の解説の一部です。
「駅舎の改築」を含む「青森駅」の記事については、「青森駅」の概要を参照ください。
- 駅舎の改築のページへのリンク