駅舎の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:11 UTC 版)
開業当時の広島駅は南口のみの木造の簡易的な駅で、利用者の増加に伴い後年に木造の本格的な駅舎で建て替えられた。1922年(大正11年)に先代の鉄筋コンクリートの駅になった。先代駅舎の当初の設計者は渡辺節で、当時の京都駅を模した形状だった。後に久能にかわった。駅舎の建て面積は9,800m2、延べ床面積は26,400m2だったが、構造が頑強だったために拡張は困難だった。また、広島駅を模した形で、後年岡山駅の建て替えも行われた。原爆投下前の1941年(昭和16年)に正面玄関寄せ前に2階を張り出させる形で駅舎の拡張が行われた。 広島市への原子爆弾投下での直接の爆風、さらには延焼による火災で駅舎は大破した。戦後は、貨車を駅長室代わりに業務を再開。1945年(昭和20年)末までには、雨をしのげるレベルでの仮復旧を行った。1948年(昭和23年)の昭和天皇の行幸時には、通路の化粧直しが計画されたが間に合わず、紅白の幕で対応。1949年(昭和24年)より本格的な復旧が行われた。同年7月までに駅舎正面に張出の出札室を整備された。駅舎正面の駅名の表記は「廣島驛」(1946年2月設置)、「廣島駅」(1949年出札室増築)、「広島駅」(1952年頃)と変化した。「廣」の字体は活字とは一部異なる。「廣島駅」「広島駅」が混在していた時期もある。 現在の民衆駅は、1964年(昭和39年)5月22日に起工式を行い、1965年(昭和40年)12月1日に完成した。建築時点で、全国で39番目に設置される民衆駅でかつ、東京駅八重洲口・博多駅・新宿駅・天王寺駅・池袋駅に次ぐ規模の駅舎になった。 大正時代の二代目駅舎 原爆被災後(1945年10月)の駅舎内(撮影:菊池俊吉) 1946年 1950年代 三代目駅舎
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