JR木造駅舎の歴史と移転の経緯とは? わかりやすく解説

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JR木造駅舎の歴史と移転の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:59 UTC 版)

二条駅」の記事における「JR木造駅舎の歴史と移転の経緯」の解説

JR駅の地上駅時代にあった木造駅舎は、荘厳な社寺彷彿とさせる造り貴賓室設置され立派な駅舎として全国的に知られていた。 建築当時京都鉄道本社兼ねており、建築家伊東忠太によって手掛けられたものである京都鉄道社長田中源太郎によれば当初レンガ造り計画だったが、二条城に近いので景観配慮して和風建築改めることにし、日本鉄道東北本線宇都宮駅駅舎優美であったため同社問い合わせ行い模範としたという。 当駅 - 花園駅間の高架化事業に伴う仮線設置支障するため1990年10月木造駅舎建物東側15メートル移動させる曳家工事が行われ、約300トン建物2日間かけて移動させた。その後高架化工事中の仮駅舎として使用続けられたが1996年高架化工事および新駅舎の完成伴って駅舎としての役割終えた明治期和風駅舎建築として唯一の残存例であり、京都近代化象徴する建物でもあることから1996年4月1日京都市指定有形文化財指定され、幅を縮小して梅小路蒸気機関車館移築されている。後に梅小路蒸気機関車館改装拡張され京都鉄道博物館としてオープン果たした際には、ミュージアムショップ改装されている。 かつては現役最古駅舎とされ、近年でもそう言われる事があるが、これは誤りである。現存最古駅舎1882年明治15年)築の旧長浜駅であるほか、現役最古駅舎1886年明治19年)築の亀崎駅異説[誰によって?]もある)とされるまた、1980年代から1996年までの駅スタンプ(わたしの旅)は「入母屋造り日本最古の駅」と書かれ、「国鉄で一番」を示す黒六角形のものであったが、二条駅より前に建てられ入母屋造り駅舎建部駅など数多く現存している。

※この「JR木造駅舎の歴史と移転の経緯」の解説は、「二条駅」の解説の一部です。
「JR木造駅舎の歴史と移転の経緯」を含む「二条駅」の記事については、「二条駅」の概要を参照ください。

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