JR木造駅舎の歴史と移転の経緯
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「二条駅」の記事における「JR木造駅舎の歴史と移転の経緯」の解説
JR駅の地上駅時代にあった木造駅舎は、荘厳な社寺を彷彿とさせる造りや貴賓室も設置された立派な駅舎として全国的に知られていた。 建築当時は京都鉄道の本社を兼ねており、建築家の伊東忠太によって手掛けられたものである。京都鉄道社長田中源太郎によれば、当初はレンガ造りの計画だったが、二条城に近いので景観に配慮して和風建築に改めることにし、日本鉄道(東北本線)宇都宮駅の駅舎が優美であったため同社に問い合わせを行い模範としたという。 当駅 - 花園駅間の高架化事業に伴う仮線の設置に支障するため1990年10月に木造駅舎の建物を東側に15メートル移動させる曳家工事が行われ、約300トンの建物を2日間かけて移動させた。その後、高架化工事中の仮駅舎として使用が続けられたが1996年、高架化工事および新駅舎の完成に伴って駅舎としての役割を終えた。明治期の和風駅舎建築として唯一の残存例であり、京都の近代化を象徴する建物でもあることから1996年4月1日、京都市指定有形文化財に指定され、幅を縮小して梅小路蒸気機関車館に移築されている。後に梅小路蒸気機関車館が改装・拡張され京都鉄道博物館としてオープンを果たした際には、ミュージアムショップに改装されている。 かつては現役最古の駅舎とされ、近年でもそう言われる事があるが、これは誤りである。現存最古の駅舎は1882年(明治15年)築の旧長浜駅であるほか、現役最古の駅舎は1886年(明治19年)築の亀崎駅(異説[誰によって?]もある)とされる。また、1980年代から1996年までの駅スタンプ(わたしの旅)は「入母屋造りの日本最古の駅」と書かれ、「国鉄で一番」を示す黒六角形のものであったが、二条駅より前に建てられた入母屋造りの駅舎は建部駅など数多く現存している。
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