田中源太郎
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田中 源太郎(たなか げんたろう、嘉永6年1月3日(1853年2月10日) - 大正11年(1922年)4月3日[1])は、京都府旧桑田郡亀山北町生まれの政治家、実業家。1869年亀岡陸運を創業、のちに京都株式取引所、京都商工銀行、亀岡銀行の各頭取などを務めた。衆議院議員当選3回(1、2、3回総選挙)、貴族院多額納税者議員。[2]
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』206頁。
- ^ “田中 源太郎 (読み) タナカ ゲンタロウ”. kotobank.jp. 2018年10月8日閲覧。
- ^ 嵐峡にて列車脱線転覆1922年4月4日付大阪朝日新聞
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、9頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、21頁。
- ^ 事故後の捜索に地元消防団員として動員され、1962年に当該記事の著者・望月秀祐に京都市役所運繕課で語ったもの。
- ^ a b c d 田中源太郎『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 田中一馬『人事興信録』15版下 (人事興信所, 1948)
- ^ 京都織物(株)『京都織物株式会社五十年史』(1937.11)渋沢社史データベース
- ^ 深田政太郞『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 京都府議会事務局編『京都府議会歴代議員録』京都府議会、1961年、798-799頁。
- 1 田中源太郎とは
- 2 田中源太郎の概要
- 3 生涯
- 4 貴族院議員
- 5 参考文献
固有名詞の分類
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