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田中数之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 02:31 UTC 版)

田中数之助

田中 数之助(數之助、たなか かずのすけ、1849年9月10日(嘉永元年8月13日[1])- 1924年大正13年)4月7日[1][2])は、明治から大正期の酒造家、実業家政治家衆議院議員京都府南桑田郡亀岡町長。旧姓・原田。

経歴

丹波国桑田郡西条村[1]京都府[2]南桑田郡曽我部村[3]字西条[1]を経て現亀岡市曽我部町西条)で、大地主、農業・原田八六の二男として生まれる[1]。1869年(明治2年4月)桑田郡亀岡北町(現:亀岡市北町)の田中蔵一の養子となり、1872年(明治5年2月)分家して安町(現:亀岡市安町)に一家を構えた[1]

その後、通称「新酒屋」と称される酒造業を営み、銘酒「天狗」の販売で知られた[1][2]。1888年(明治21年)南桑田郡酒造組合長に就任し31年間在任[1]。その他、亀岡銀行取締役、京都府農工銀行取締役頭取、丹波寒天監査役などを務めた[1][3]。1922年(大正11年)2月、京都府農工銀行が日本勧業銀行に合併後は、同京都府顧問嘱託に就任した[1]

1884年(明治17年)亀岡安町外11カ町村連合戸長に就任[1]。1889年(明治22年)4月、町村制の施行により亀岡町会議員となる[1][2]。同年、亀岡町長に就任し7年間在任した[1][2]。この間、区有林の統一による植林計画の実施、南桑田郡・船井郡の治水会設立などに尽力した[1]。1894年(明治27年)2月、京都府会議員に選出され2期在任し、1898年(明治31年)7月に退任した[1]。この間、常置委員も務めた[1][2]

1903年(明治36年)3月、第8回衆議院議員総選挙(京都府郡部、立憲政友会)で初当選し[1][4]、1912年(明治45年)5月の第11回総選挙(京都府郡部、立憲政友会)でも再選され[1][5]、衆議院議員に通算2期在任した[2][3]

親族

  • 養父・叔父 田中蔵一(父の弟)[1]
  • 妻 田中こま(養父長女)[1]
  • 義兄・従兄弟 田中源太郎(養父長男)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『京都府議会歴代議員録』798-799頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』248頁。
  3. ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』252頁。
  4. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』3頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』43頁。

参考文献

  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 京都府議会事務局編『京都府議会歴代議員録』京都府議会、1961年。
  • 衆議院参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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