駅舎改築について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:56 UTC 版)
2008年度から、駅舎の改築(橋上駅舎化、南北自由通路の設置、エレベーター・エスカレーター設置などによるバリアフリー化)と当駅周辺の再開発事業が行われた。これにより、当駅の構造・配線は島式ホーム2面4線から相対式ホーム2面2線に変更された。また、改築に伴い生じた余地が駅前広場の整備や道路の拡幅などに充当された。 2010年1月9日より橋上駅舎本体の供用が開始され、改札内コンコースとホームとを連絡するエレベーターとエスカレーターが新設されたほか、コンビニエンスストア「TOMONY」が営業を開始したが、この時点では出入口は仮設で、旧駅舎と跨線橋の撤去と出入口と改札外コンコースを連絡するエレベーター・エスカレーターの新設、屋上と壁面の緑化などを行い、同年末に完成した。なお、駅周辺再開発を含めた全体の完工は2011年度の予定である。国および練馬区と共同で実施する「駅・まち一体改善事業」として行われる。 この工事に関しては、2007年7月に西武鉄道と練馬区によって設立された事業主体の江古田駅整備株式会社に対し、国と区から鉄道駅総合改善事業として費用の一部が補助されている。なお、この事業では駅周辺に所在する武蔵大学、日本大学藝術学部、武蔵野音楽大学からのアイデアがデザインの一部に採用された。
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駅舎改築について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 13:49 UTC 版)
かつては橋本方西側に平屋建ての駅舎を有し、ホームとは跨線橋で連絡していた。しかし階段だけでエスカレーターやエレベーターはなく、バリアフリーの観点から問題があった。また東西自由通路がなく至近の踏切も1か所しかないことから、線路東側の住民が不便を強いられ、街が東西に分断されていた。このような状況を解消すべく、橋上駅舎と東西自由通路の建設が決定された。 本来は1991年3月16日の相模線電化開業と同時に新駅舎に移行するとされていたが、東側にマンションが次々に建設されるものの、セメント包装所と貨物設備が障害となって計画は進まなかった。21世紀を前にして建設予定地に位置したセメント包装所、貨物設備が撤去された際にようやく駅が改築されると住民も期待し、実際にJR東日本側も着工予定とその2年後の完成予想図を発表したが、着工はどんどん遅れていった。その後、駅用地として確保した土地を駅前スーパーの駐車場とし、しばらくのあいだ駅建設可能な状態を維持したまま数年の停滞が続いた。それらを経て、交通バリアフリー関連の法律施行にも後押しされ、ようやく工事が開始された。 橋上駅舎の工事は2005年に着工した。2006年10月1日に東西自由通路の使用を開始。2日後の10月3日には駅舎部分の使用を開始した。『タウンニュース』(2005年の記事)や相模原市の公式サイトによると、駅舎・東西自由通路・駅周辺工事の総工費は約14億円で、90%以上を相模原市が負担した。 東西自由通路開業当日の2006年10月1日には地元の盆踊りや西口でのテープカットなど、相模原市による式典が行われた。新駅舎の開設に伴って、旧駅舎および跨線橋は閉鎖され、その後撤去された。 2008年には駅前広場が完成した。
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