駅舎概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 23:26 UTC 版)
現在の駅舎のデザインは、かつての矢野地区の代表産業であった「かもじ」の曲線や、古い町屋がモチーフとなっている。駅の敷地内(南口)に矢野駅ビルアイスタ矢野が建設され、1階にはスーパーフレスタ「おかず工房 矢野店」、2階にはフタバ図書JR矢野駅前店と歯科医院が出店した。 橋上駅舎(部分)使用開始後に残工事を行い、未完成だった駅舎部分・駅前広場・やの交流プラザが2009年に完成し、使用が開始された。 やの交流プラザは、駅舎2階の駅前広場(南口)側に、自由通路を挟んで左右に位置し、矢野地区の住民や児童の作品・矢野の歴史を伝える資料・駅の歴史を記したパネル・矢野地区のイベント情報などが常時展示されている。矢野地区の住民らで、交流プラザの活用委員会も立ち上げられ、地域住民の交流の場としてイベントなどでも利用されている。 駅前広場の完成に併せてバス停が移設され、南口からすぐ広電バスへの乗り換えが可能となり、熊野営業所行き、夢が丘・押込行き、安芸矢野ニュータウン循環・済生会広島病院前行きが、2ヶ所の乗降所から発着するようになった。2010年(平成22年)10月4日の広電バスダイヤ改正で、矢野旧道経由便の乗り入れが開始され、広島都心や広島駅、向洋、海田、矢野旧道沿線へ向かうバス路線も発着している。 呉方面側に踏切が2か所あるが、そのうち1か所は遮断機・警報器が設置されていない。ここは国鉄時代から無謀横断による人身事故が多く、警告文・簡易踏切(警報器と遮断機なし)を設置したが効果はなく、自治体から改善するように求められていた。元々、道幅自体が抜け道のように2m前後と狭く踏切警報機の設置が困難だったと思われる。2016年現在はフェンスで閉鎖されているが簡易踏切は残されている。 北口(2009年2月21日) 隣接するアイスタ矢野(2009年2月21日) 矢野駅とアイスタ矢野(2009年2月21日) 改札口(2008年8月17日) 自由通路(2009年2月21日) やの交流プラザ(2009年2月21日)
※この「駅舎概要」の解説は、「矢野駅」の解説の一部です。
「駅舎概要」を含む「矢野駅」の記事については、「矢野駅」の概要を参照ください。
駅舎概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:11 UTC 版)
簡易橋上方式(但しペデストリアンデッキや歩行者専用の自由通路が無く、駅への連絡通路は自動車通行可能の市道扱い) 落成:1968年(昭和43年) 元々は地平駅であったが、磯松地区方面にしか出口がなかったため、原・吉川・宗吉・向原(現在の八本松南)・下西・下東地区の利用者にとっては利用しにくかった。1965年(昭和40年)ごろからに急激に向原地区の住宅開発・造成が相次いで起こったことにより南側の人口も急激に増え始めたため、1968年(昭和43年)に現在の橋上駅舎が完成した。2005年には構内に、2010年には駅前にエレベーターが新設されている。
※この「駅舎概要」の解説は、「八本松駅」の解説の一部です。
「駅舎概要」を含む「八本松駅」の記事については、「八本松駅」の概要を参照ください。
駅舎概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:15 UTC 版)
地平平屋方式 1964年(昭和39年)改築・落成駅舎のデザインは大鳥居を模したものであり、国鉄時代は駅舎の色が朱色だったがJR西日本発足後、朱色から茶色に変更された。
※この「駅舎概要」の解説は、「宮島口駅」の解説の一部です。
「駅舎概要」を含む「宮島口駅」の記事については、「宮島口駅」の概要を参照ください。
駅舎概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:21 UTC 版)
橋上駅舎に南北自由通路を併設。自由通路は自転車専用レーンが設置されており、自転車の通行も可能。自転車専用レーンと構内には柵が設けられており、自転車専用レーンの入り口から入ると駅改札方面へは行けない構造になっている。
※この「駅舎概要」の解説は、「寺家駅」の解説の一部です。
「駅舎概要」を含む「寺家駅」の記事については、「寺家駅」の概要を参照ください。
- 駅舎概要のページへのリンク