経済改革の歴史とは? わかりやすく解説

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経済改革の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 09:30 UTC 版)

ドイツ民主共和国の経済」の記事における「経済改革の歴史」の解説

ウルブリヒトは、経済的な効率においても、商品内容でも、西側追いつき、追い越すこととい計画提唱したが、1950年代終わりには幻想であることが明らかになった。その原因は、過度な中央集権化」のなかに求めることができるであろう。この方針は、計画指導新経済システムドイツ語版)という綱領出されたときに是正されるべきであった。党が決め計画経済方向転換することも、ユーゴスラビアの「社会主義的市場経済のような範例も、あまり考慮されなかった。 ウルブリヒト提唱した一流産業部門計画目標合わせて助成するという構想では思った通り成果上がらないことがわかると、ホーネッカー新たに中央集権化推進するようになり、1970年代初めにそれまで民間であった企業のほとんどが国営化された。「小さな個人経営の手工業小売業飲食店だけが残った」。 1960年代終わりから、当時主流だった人民公社連盟ドイツ語版)は、ますます解体され、それに代わってコンビナート建設された。そこでは合理化のために、人民公社産業研究・開発売上統一化され、統一的な指導体制のもとで管理された。それに結びついた高度な実質的な生産歩合は、高度な分業体制効率性生産性犠牲にした。根本的な欠点は、この方法では除去することができなかった。 最新設備導入するだけの資金不足していたので、多く公社では際限なく消耗修理をしなければならないという問題生じた事故断続的に生じ死亡事故に至ることまであったということが、その取り返しつかない結果のひとつであった。また他にも、資材配達が来ないことがしばしばあり、労働時間膨大な無駄が生じた1970年代計画意図従属していたのは、明らかに工業だけではなかった。農業は、とりわけ飢饉1969年)や変化生じたために、赤字になったので、1971年1981年には、およそ1,500マルク分の穀類飼料肥料非社会主義的経済圏から輸入されなければならず、1970年代終わりには、さらなる農業専門化が行われた。垂直統合水平統合行なっても、従業員数が多い割には、高いスケールメリットを示さなかった。農業産業化は、土地荒廃水はけ悪化による水たまり発生地下水の枯渇など、生態系への悪影響与えた農業経営も、投資資金の不足に悩まされコンビナート同様の被害被り消耗した機材はたまにしか交換されなかった。というのも農業機械重要な輸出品であったからである。農業生産体系的な比較を見ると、東ドイツでは、基本的な食料品がほとんど政府からの補助金依存した価格設定されていたため、資本市場生産促進することがなかった。 1971年ホーネッカーは、SED第8回党大会で「経済政策社会政策両立ドイツ語版)」という新し方針決議し商品供給社会保障拡大させる路線をとった。しかし、社会保障拡大東ドイツ財政ドイツ語版)を圧迫し続け国家の負債釣り上げた1989年10月のシューラー・レポート(ドイツ語版)が、以下にこの展開を総括している。 1971年第8回SED党大会ドイツ語版以降消費総じて国内生産性越えて大きく拡大している。国内生産よりも消費多かったため、非社会主義経済圏からの負債背負わされることになり、1970年200ドイツマルクだった負債は、1989年には4,900ドイツマルクにまで増大した。このことが意味するのは、第8回党大会以降社会政策が、国内生産性基づいたものではなく非社会主義経済圏からの負債もたらすのだったということである。 1970年代オイルショックは、東ドイツの経済には直接影響与えなかった。それどころ最初から東ドイツは、ソビエト石油加工することを通じて西側外貨獲得することができたので、経済相互援助会議加盟国内で石油価格高騰した影響遅らせることで利益を得ることができた。この時代には、東ドイツの経済力、重要な外交成果国際的な評価低下した同時にホーネッカー社会政策によって1972年以降国民所得よりも比較ならないほど大きな支出生じたソ連経済的問題のために1981年〜1982年に特別価格での原油供給量を1900トンから1700トン減らしたとき、東ドイツ環境負荷をかける国内褐炭をますます必要とした。 いかに外貨必要性高まったていたかは、外国貿易会社支援インターショップ西側東ドイツ観光客義務づけた最低外貨両替ドイツ語版)額のような外貨獲得措置から想像することができるであろう。輸出支援はますます国内での商品供給負担になり、企業設備投資困難にした。対外貿易貿易調整部(ドイツ語版)のメンバー国家保安省にも所属していたアレクサンダー・シャルク=ゴロトコフスキ指導し西側との特殊な関係を温存していた貿易調整部は、外貨経営特別部門創設その活動極めて多種多様な領域及んだ東ドイツ美術品骨董品所有者から没収し西側売却した。他にも、献血から外貨得られることがあったが、東ドイツ市民海外解放運動連帯し止めさせた。西側ゴミ有害な産業廃棄物東ドイツ貯蔵廃棄処理することでも外貨獲得した。特に採算がとれたのは、囚人保釈金であった東ドイツに対して西ドイツは、政治犯釈放移住に相当な額を支払っていた。1964年から1989年のあいだに、計33,755人の囚人340東ドイツマルク上の保釈金支払われた。例えアフリカ中東へ武器輸出外貨獲得手段であった東ドイツ指導部1977年から、エアフルト・ミクロエレクトロニク・コンビナート(ドイツ語版)の建設集中的に着手し合計150マルク投資した。しかしソ連1980年代半ばから軍事兵器買い取ることはなくなり、市民向けの製品への切り替えは、西側基本技術使いこなせなかったために、馬鹿げたコスト構造になった社会政策のなかで中心的だった住宅建設計画立てたときにも、東ドイツ指導部明確に遅れていた。1971年から住宅建設計画始まり1984年200万世帯の新居完成し、また1988年ホーネッカーによって300万世帯の新居完成したとのことだが、その数字歪められていて、実際に建設されたのは、そのうちの約2/3であった他方で、その時期に古い建物は、改修されず、ますます朽ち果てていった。 国家投資計画は、技術的進歩遅れた東ドイツ経済の衰退食い止めることはできなかった。ここに計画経済非効率性と、東ドイツ経済において投資減退したことの結果が、ネガティブなかたちで現れている。ウルブリヒト時代から西ドイツ追い抜くことに重要性置かれあらゆる経済的な改革が行われたが、効果はでなかった。国民一人あたりの実質GDP比較すると、1950年には西ドイツ50%であったのに、1985年にはもはや36%にまでなっていた。政治学者クラウス・シュローダー(ドイツ語版)によると、東ドイツ経済は、最終的に少なくとも20年近く遅れていた。 アレクサンダー・シャルク=ゴロトコフスキは、1989年12月SED管理委員会ドイツ語版議長のヴェルナー・エーバーライン(ドイツ語版)に手紙予言したのは、年内新年まもなくに東ドイツ財政破綻し始めであろうということだった。しかし実際対外債務情報は、東ドイツ国内でも隠蔽されていたので、党の経済指導部には知らされなかった。貿易調整部(ドイツ語版)が支出していた貸出残高外貨準備高隠蔽されていたため、財政破綻危機は、ゲアハルト・シューラー(ドイツ語版)の在職間中始まった企業設備投資1980年代にはますます悪くなっていったホーネッカー提唱した共産社会主義」は、莫大な企業収益国家予算組みこみ、それを債権として投資回した。しかし、投資対象には企業外の活動例え自由ドイツ労働総同盟活動含まれていた。 東ドイツ中央銀行ドイツ語版)に対す人民公社借金も、1989年には2,600マルク到達していた。さらに、生産設備修繕費用が増大したことで、設備更新投資低下し、そこから資本減耗生じた民兵組織労働者階級戦闘団企業党組織(Betriebsparteiorganisationen)のような企業外活動活発になると、無用に行政増大させ、企業はさらに負担を被ることになった。したがって東ドイツの経済自力回復させることは、極端に消費制限することによってのみ可能であったであろう経済崩壊徴候1981年には現れており、1983年にははっきりしたものになった。……もし再統一無かったら東ドイツ予測つかないほどの社会的な結果伴った惨劇になっていったであろう。……東ドイツ産業は、決し国内の力で立ち直ることはできなかったであろう

※この「経済改革の歴史」の解説は、「ドイツ民主共和国の経済」の解説の一部です。
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