経済搾取と大飢饉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:13 UTC 版)
「第二次世界大戦時のギリシャ」の記事における「経済搾取と大飢饉」の解説
ギリシャは占領のために、大規模な損害を受けた。ただでさえ経済基盤の弱いギリシャは6ヶ月の戦いですでに経済危機に陥っており、さらに、ドイツの占領のため、厳しい経済的搾取が行われた。原材料と食料の厳しい要求が行われ、親独政府は多額の占領費用を負担することを強いられ1942年には国家収入の90%がその費用とされた。そのためにインフレーションが発生、さらにドイツの戦時公債の負担を強いられ、さらなる経済の悪化を引き起こした。しかし、その要求も連合軍による経済封鎖、破壊された国の基盤、強力なコネで形成された闇市場の出現により、1941年から1942年にかけての極めて厳しい寒さとなった冬に大飢饉(希: Μεγάλος Λιμός)が発生する元となり、約300,000人が餓死することとなり、この飢饉はギリシャ人を全滅させるために仕組まれたものと噂されるほどであった。スウェーデン、トルコなどの中立国からの援助にもかかわらず、援助物資のほとんどが親独政府の官僚の手に渡り、彼らから援助を「買う」ためにドイツ占領当局とのコネを持っている売人がそれを入手して闇市で売買、その値段を吊り上げて利ざやを稼いでいた。このために、ギリシャ亡命政府がこの多大なギリシャ人たちの苦痛を訴えを行い、結局、イギリス政府は部分的ながら、封鎖を解くことを強いられた。そして1942年夏より国際赤十字委員会により、民需品配布が十分にできる体制が整った。 飢饉による死亡者数(国際赤十字社の数字に基づく)地域1941年9月 - 11月1941年12月 - 1942年1月1942年3月 - 5月1942年6月 - 7月アテネおよび周辺部 8,896 20,244 13,620 8,849 中央ギリシャ およびエヴィア島 696 1,789 1,700 1,145 ペロポネソス半島 1,461 2,956 2,410 2,402 テッサリア 534 1,347 1,504 1,236 マケドニア 1,195 2,771 2,246 2,399 イピロス 189 313 286 275 クレタ島 382 458 354 333 島嶼 1,373 3,640 2,788 1,487 インフレの進行(単位はドラクマ)商品 (1oka当り)(1oka=1.2829kg)1940年10月1日1942年9月1日1943年10月1日1944年1月1日1944年4月1日1944年9月1日パン 10 7,000 13,000 34,000 460,000 34,000,000 チーズ 60 44,000 120,000 600,000 6,000,000 1,160,000,000 オリーブ油 50 30,000 80,000 200,000 2,800,000 400,000,000 オリーブ 26 7,000 22,000 80,000 1,200,000 400,000,000 靴 (一組) 450 300,000 800,000 - - 2,204,000,000
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