経済政策と腐敗撲滅キャンペーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:34 UTC 版)
「ユーリ・アンドロポフ」の記事における「経済政策と腐敗撲滅キャンペーン」の解説
アンドロポフは書記長就任後、汚職に対しての綱紀粛正に着手した。ソ連経済は莫大な軍事費によって不安定化し、問題を抱えているということをアンドロポフはよく知っていた。そこでアンドロポフは、それを正すために汚職と「闇経済」との闘いを始めた。闇経済はブレジネフ時代の後期に蔓延し出していた。アンドロポフは演説の中で「私たちは失った時間を取り戻さなければいけない」と強調した。ソ連経済の停滞に対する危機感をあらわにしたと同時に、強烈にブレジネフを批判したのである。ソ連経済立て直しのために抜本的な手を打たなければならないというのが経済関係者の共通の認識であった。そして、アンドロポフ政権発足とともに、かつて見られないほど経済改革を求める提案が出された。製品を入れる木箱や細々とした道具類まで作る巨大工場を細分化し、効率のよいミニ工場を目差すべきだとの論文から、タクシー等は個人経営を推奨すべきだとの意見まで公表された。共産主義建設の過程でソ連よりはるかに後方にいるはずの東ヨーロッパ各国、とくにハンガリーを見習えと呼びかけた学者もいた。 その一方で、アンドロポフは規律の強化によっても経済再建を成し遂げようとした。警察は勤務時間中に路上にいたり、酔っ払ったりした人々を拘束し始め、ウォッカの値上げによる酒類追放で労働者の生産性向上を図ろうとした。アンドロポフの下で、初めて経済の停滞と科学技術の進捗の遅滞が公表され、後の「グラスノスチ」の先例となった。このような政策により産業生産高は4%増加し、ロボット工学など新技術への投資が拡大した。さらに五カ年計画が2期連続で達成されなかったことを指摘し、農業担当書記のゴルバチョフを重用して食糧問題解決に向けた食糧プログラムに取り組ませるなど事態の改善に努めた。アンドロポフの死後、アレクサンドル・ヤコヴレフは彼の改革について「要するに、燃料を使い果たした電車を磨き立てることで速度を上げようとするようなものだった」と評した。それは、アンドロポフがヨシフ・スターリンの下で導入された計画経済からの転換を拒み続けたためである。
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