獄中での生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 14:10 UTC 版)
「ターリク・ミハイル・アズィーズ」の記事における「獄中での生活」の解説
2005年5月に英紙「オブザーバー」はアズィーズの獄中からの手紙を公表。この手紙でアズィーズは国際機関に対して、収容者に対する環境の改善を訴えた。手紙では自身は一日中監視され、家族からの手紙、連絡、面会も許されていないとし、裁判も公正な手続きで行われていないとしている。 同年8月に彼の家族が、アズィーズが収容施設で糖尿病と心臓病を患い、薬を投与されていると語った。 2006年5月、ドゥジャイル事件裁判では、被告側証人として出廷し、サッダーム・フセインとフセインの異父弟であるバルザーン・イブラーヒーム・ハサンを弁護した。 アズィーズは法廷でサッダームは自身の暗殺未遂を受けて、犯人を罰するように命令しただけだとし、『国家元首が暗殺を受けたなら、国は行動を起こすことを当時の憲法に明記していた。犯人が武器を所持していたならば、彼らは逮捕されなければならず、裁判を受けるのは当然のこと』と語り、そして、暗殺を実行したのはシーア派政党のダアワ党であり、自分もダアワ党から暗殺未遂を受けたとして、『暗殺犯の指導者が今の首相であるイブラーヒーム・ジャアファリーだ。彼らは当時、罪の無いイラク国民を多く殺した』と現政権を非難した。 最後に『サッダームは私の何十年にも渡る盟友、同志。そしてバルザーンは私の親友、兄弟である。彼らはドゥジャイルの件に何の関係も無い』と弁護した。 2006年12月のフセイン処刑後に面会した弁護士によれば、アズィーズは『サッダームは友人だった。私は彼を愛していた。彼ら(イラク新政府)はサッダームだけでなくイラク共和国をも殺した』『私の一部が死んでしまった』と言って滂沱の涙を流し、『本当のサッダームについて本を書く』と述べたという。 2007年3月5日、アンファール作戦についての裁判に弁護側証人として出廷、フセインを「英雄」と讃え、「イラク政府によるクルド人虐殺は無かった」と言い切り、クルド人の裁判長を激怒させた。イラクの関与を否定する証拠として、1989年に国防総省の情報機関が提出した「Seaman」と呼ばれる報告書と、アメリカの雑誌「ニューヨーカー」に掲載されたミルトン・ビオーストの記事を挙げ、「クルド人虐殺はイランによるものだ」と証言した。 アッ=シャルク・アル=アウサト紙が、ターリク・アズィーズが弁護士に語った事として伝えたところに拠れば、釈放後はイラクではなく、「イタリア・ローマに移住したい。ローマ教皇やイタリア政府が歓迎してくれたからだ」という希望を話し、既にサッダームについての本を執筆中で、人生で最も苦しかった時はサッダームの処刑を見せられた時と言い、獄中では必要最低限の医療行為しかされない事を不満に思っているという。また、別のイタリア人弁護士を通じてプーチン大統領に対し、早期釈放支援とモスクワでの病気治療を求めるメッセージを送っている。 2007年7月21日、アズィーズの弁護人を務めるバディーウ・イッザト・アーリフ弁護士はアズィーズが同月17日に米軍の拘置施設で何度も意識を失い、バグダード国際空港から、イラク中部のバラド基地の医療施設に緊急搬送されたと語った。翌日には1991年のシーア派ウラマー殺害と、1999年のムハンマド・サーディク・アッ=サドル殺害に関与したという容疑で尋問のため裁判所への出頭命令が出されており、尋問を迅速に遂行するためにイラク政府が米軍に治療を要請したと見られている。アズィーズは治療を受けた後、回復したとしてバグダードの拘置所に戻された。 健康上の問題は年相応のものであり、特別な問題は無いとする米軍とイラク政府に対し、アズィーズの弁護士と長男は、起訴の無いままに長期間の拘留が続けられていることは不当であり、健康状態の悪化にも関わらず充分な医療行為が受けられていないとしてイラク政府とイラク高等法廷を非難し、強い不信を表明している。2007年12月11日、AFP通信の電話インタビューに応じた長男ズィアドに拠れば、アズィーズは拘置施設内で心臓発作を起こし、処置を受けたという。 2007年12月25日、カルデア・カトリック教会のインマニュエル・デッリー枢機卿は、人道的見地からアズィーズの釈放を求めた。 英紙タイムズの電子版、Times Onlineは2008年3月21日、アズィーズが深刻な肺疾患を患っており、イラク政府が4月末に開廷するとしている裁判の判決や、盛んに行われている釈放要求が実を結ぶ前に、彼が死去する可能性があることを報じた。 2010年1月17日、アズィーズが1月15日に拘置所の独房で脳卒中を起こして倒れ、バグダードにあるアメリカ陸軍病院に搬送されたが、脳卒中が原因の言語症により、会話することが不可能になったとアズィーズの長男ズィアドが明らかにした。ズィアドによれば、容態に関する情報はアズィーズと同じ拘置施設に収監されている収容者から聞かされたと明かし、父がイラク戦争以前から軽い脳卒中を患っており、長い拘留生活でそれが悪化したのではとの見方を示したうえで、イラク政府に対して高齢の父を即時釈放するよう求めた。イラク駐留アメリカ軍もアズィーズが治療のため1月14日に同軍の病院に搬送されたが、状態は回復していると述べた。どのような病状で搬送されたのかについては、「患者のプライバシー」を理由に明らかにしなかった。 一方、アズィーズの弁護人を務めるアーリフ弁護士は、アズィーズが搬送されたのはバグダードの病院ではなく、イラク中部にあるバラド基地のアメリカ軍病院であるとし、当初は「容態は深刻」との見方を示していたが、翌18日にアメリカ軍と連絡を取り、同軍当局者からアズィーズの容態が安定し、快方に向かっていると告げられたことを明かした。しかし、アーリフによればアメリカ軍が『初めはアズィーズが脳卒中であると言っていたが、後でそれを否定した』と語った。 また、長男ズィアドも『父に何が起こったのか確認したい』と述べ、アメリカ軍やイラク当局、赤十字が自分に情報を提供することを拒否したと語り、国際人権組織の介入を求めた。 2003年の拘束以来、バグダードにある米軍拘置施設「キャンプ・クロッパー」に他の旧政権高官と共に拘留されていたが、2010年7月14日、キャンプ・クロッパーの権限がイラク側に返還されることになったため、アズィーズを含む旧政権高官55人はイラク警察に引き渡され、バグダードのカーズィミーヤ地区にあるカルフ刑務所に収監された。この措置に対し、アズィーズの長男ズィアドとアーリフ弁護士はアズィーズの待遇の面などで懸念を表明している。 アーリフ弁護士はイラク当局にアズィーズを含む他の旧政権高官との面会の許可を求め、イラク司法省のブシュウ・イブラーヒーム司法次官から許可を得、7月19日に面会のためイラクを訪れるはずであったが、突然、イラク側から「7月18日にアズィーズの裁判が始まる」と通告を受けて面会を拒否されたとAFP通信に明らかにした。 イギリスの新聞「ガーディアン」は、8月6日付の同紙でアズィーズのインタビュー記事を掲載した。 インタビューはバグダードの刑務所の中で行われた。記事によるとアズィーズは、イラクは米英の犠牲者であると述べ、「30年の間サッダームはイラクを建設してきたが、現在それは破壊された。以前より、多くの病人がおり、(国民は)より飢えている。人々はサービスを受けられず、毎日数十人が死んでいる」と語った。 また、オバマ大統領については、「私は彼(オバマ)がブッシュの間違いを訂正しそうであると思ったので、大統領に当選したとき、私は励まされた」とオバマの大統領就任に期待を抱いていたとしつつ、「しかし、オバマは偽善者だ。彼はオオカミを残してイラクを去ろうとしている」と語り、オバマ政権が治安を悪化させたまま、イラクから米軍戦闘部隊を撤退させようとしていると非難し、米軍駐留継続を望むとも受け取れる発言をした。 サッダーム・フセインに関する質問では、「私は彼に大きな尊敬と愛情を感じている」「サッダームは国を建設して、国民に仕えた。私は彼が間違っていたというあなた方(西側)の意見を受け入れることはできない」とフセインの死後も変わらぬ忠誠心を語っている。 8月8日、長男ズィアドはAP通信のインタビューに対し、父は刑務所内で健康を悪化させたが、士気は良好だと語った。また、現在は背中と足の痛みを訴えて歩行が困難となり、移動する際は車椅子を使用していると述べた。その他にもアズィーズは歯肉感染症も患っており、入れ歯が必要だが、刑務所内には歯科医がいないため入れ歯を作ず、固形食品を食べることが出来ないという。ズィアドによれば、これらのアズィーズの健康情報は、7月30日にバグダードの刑務所を訪れて本人と面会をしたズィアドの母と姉から知らされたと語った。 刑務所内での待遇については、比較的丁寧に扱われており、刑務官の処置を評価する一方で、独房が小さく他の収容者と共有しており非常に狭いと語った。 9月5日、アズィーズは刑務所内でAP通信とのインタビューに応じ、74歳という高齢と禁錮15年という刑期から、自分は刑務所内で死ぬだろうと語った。一方、米軍の戦闘部隊撤退やイラクの政治情勢についてはコメントを辞退した。また、「私は疲れきった。しかし、私はイラクとイラク国民が裕福になれば良い」とも語った。 長男ズィアドはAFP通信の取材に対し、イラク政府は父が刑務所内で死ぬことを望んでいると語り、「彼らが父の健康を本当に心配するならば、彼らは父に適当な医療管理を提供して、父を病院に行かせたでしょう」と述べ、イラク政府が父を解放する徴候は無いと語った。 一方、アズィーズの弁護人のアーリフ弁護士は、イラクのヌーリー・マーリキー首相の側近の一人が彼に接触し、アズィーズの健康状態を考慮して、釈放を検討していると述べたと語った。アーリフによれば、その首相側近は「タラバーニ大統領の許可が出れば釈放できる」と述べたという。 しかし、マーリキー首相の補佐官の一人はAFP通信の取材に対し、「我々はターリク・アズィーズを釈放するなど考えていない」とアーリフの発言を真っ向から否定している。 10月29日、ズィアドはAFP通信に対して、アズィーズが収容者に毎月1回認められている友人や関係者との面会が出来なかったとして、25人の収容者と共に28日からハンストに入ったことを明らかにした。ズィアドは「父は友人との面会を許されなかった。私は彼にアンマンから送った薬や雑誌、本などを託していた」と述べ、「父は薬を手にするのに11月末まで待たなければならない。」と批判した。 2011年8月18日、アズィーズが「速やかな死刑執行」を望んでいるとイッザト・バディーウ弁護士が明らかにした。バディーウ弁護士によれば、アズィーズの健康は悪化しており、糖尿病の他、高血圧、心臓疾患、胃潰瘍、前立腺ガンなどの病気を併発しているとされ、病気に苦しむよりかは速やかに自身の死刑を執行するようマーリキー首相に求めたとされる。刑務所での待遇は丁寧に扱われているとバディーウ弁護士に述べたという。 2015年6月5日、ジーカール県・ナーシリーヤのフセイン病院で死去した。79歳であった。娘のザイナブによれば、亡くなる前日に家族が刑務所を訪れたが、アズィーズは寝たきりの状態で会話は出来なかったという。アズィーズは死刑囚としてイラク南部の刑務所で収監されていたが、5日の日に心臓発作を起こし病院に搬送されたが、まもなく死亡したという。
※この「獄中での生活」の解説は、「ターリク・ミハイル・アズィーズ」の解説の一部です。
「獄中での生活」を含む「ターリク・ミハイル・アズィーズ」の記事については、「ターリク・ミハイル・アズィーズ」の概要を参照ください。
- 獄中での生活のページへのリンク