獄中における死刑囚M
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 08:39 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「獄中における死刑囚M」の解説
Mは死刑囚らによって構成される「日本死刑囚会議」(麦の会)の代表を、(1998年9月時点で)4年あまりにわたって務め、半年に1回程度発行されていた会報への投稿をしていた。一方、1983年ごろからは獄中で般若心経や阿弥陀経の写経を行うようになり、その写経を被害者遺族宛の謝罪の手紙に添えて送った。その理由について、Mは上告審判決後に弁護人を通じて発表した手記で、長野事件の被害者Bの父親が、法廷で自身への恨みや憎しみの言葉を述べなかったことについて、「どんな罵詈雑言を浴びせられるよりこたえました」と言及した上で、「B様の写真に向かって朝晩、読経と御詫びをしています」と述べている。しかし、その手記には富山事件への反省の言葉はなく、以下のように死刑確定に対する不満も顕にしている。 「事件全体を私が行ったことにされた。信じられない結果です」「事件が100の事項から成り立っているとすれば、確かに50なり、60なりは私のやったこと。それを認めたうえでの死刑判決であれば納得できるが、全部私がやったことにするのは到底納得できない」 — 被告人Mの手記、『毎日新聞』 (1998) また、富山事件の遺族宛に謝罪の手紙を送る一方で、「私は悪いなんて思っていない。いい加減なことをマスコミに言うな」、「減刑嘆願書を早く書いてほしい」と要求する手紙を送るなど、遺族の心情を逆撫でするような言動も取っていた。 Mは第一審公判中の1981年に富山刑務所内で自殺未遂事件を起こして以降、居室をテレビカメラで監視されるようになったが、倉田 (1997) によれば、Mは第一審で死刑判決を受けて以降も、自殺防止のために独居房にテレビカメラを設置され、24時間(用便の時も含めて)監視を受けていた。また、死刑確定後の2014年(平成26年)ごろ以降はテレビ視聴を制限されており、関係者に対し、独居房の室内をカメラで監視されていることに不満を漏らしていた。 2015年(平成27年)に「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」と福島瑞穂(参議院議員)が、死刑確定者127人を対象に実施したアンケートに対し、M(名古屋拘置所在監)は以下のように回答している。 処遇は理由も原因も言われず平成23年ごろから変わり(突然)、弁護人に話しても、あまりに酷く信じてくれない。精神科云々、と言われる。再審どころでなく、異常処遇を何とかして欲しい。とにかく誰れか来て下さい!! 突然の処遇急変、で、ショックストレスで字が書けなくなり、言葉も喋れなくなり、弁ご人に連絡も出来なかった 健康面で不安なこと 全て処遇の指示と言われ、体調関係なく殆ど放置状態、薬も中止、取り上げられた。 最近(この2年程度)、処遇の変化で悪くなったこと 24時間、男女2人態勢で特別の装置とカメラ監視、威嚇、嫌がらせ、早く死ねと言われる。裁判書類を全部取り上げられ、裁判が出来ない。却下になった(期日まで出せなかったので) — 死刑囚M、『年報・死刑廃止2015』
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