広島県立広島国泰寺高等学校
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広島県立広島国泰寺高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまこくたいじこうとうがっこう, Hiroshima Prefectural Hiroshima Kokutaiji High School)は、広島県広島市中区国泰寺町一丁目に所在する県立高等学校。
- ^ a b 広島県立広島国泰寺高等学校ウェブサイト内の 平成24年度学校案内(PDF)によると「自治協同」が校訓として記されている。
- ^ “令和2年度 改訂年間行事予定表”. 広島県立広島国泰寺高等学校 (2020年10月8日). 2021年2月26日閲覧。
- ^ 「鯉城」第2-26号 鯉城同窓会。
- ^ 「広島市内六校」は国泰寺高校の楠と同様に各校ともシンボルツリー(校樹)を制定しており、舟入高校以外の5校の校章は、いずれも自校のシンボルツリーの葉を図案化したものであるという共通点がある。これは戦後、広島旧市内新制県立高校3校発足時、原子爆弾の惨禍にも耐えた樹、生命力旺盛、強靭な樹のイメージを入れる、すなわちシンボルツリーを制定するという申し合わせに始まる。(観音高校(旧制第二中学校)には戦前よりシンボルツリー、ポプラがあった。)また基町高校・舟入高校以外の県立4校の校章は、一般的な高校の校章によく見られる中央に「高」の文字を配したデザインをあえて取っていない点も共通している。これは広島の場合、戦後の学制改革において旧広島市内にあった県立中学校2校、県立高等女学校1校がそれぞれ今の県立3高等学校(国泰寺、観音、皆実)、一方で「広島高等学校」「広島高等工業学校」などが広島大学、「県立広島工業学校」が「県立広島工業高等学校」などになり、当時、校章に「高」の文字を入れると「非常に紛らわしくなる」と広島県が判断、指示したことによる。昭和52年に新設された広島井口高等学校もこれを踏襲する(無論、もうこの時点ではそのような制限、指示はなくなっていたのではあるが。)格好で「高」の文字を校章デザインに取り入れなかったため、6校のうち県立4校の校章について「高」がない。(「鯉城」第4-58号 鯉城同窓会。)
- ^ 「鯉城」第63号 鯉城同窓会 平成22年12月15日。
- ^ 「鯉城の夕」は国泰寺高校の応援歌であるため、校名が登場しないことについてさほどの不思議はないが、校歌に校名が登場しないのには校歌制定当時の複雑な事情がある。校歌が制定される前年、校名が「広島県広島国泰寺高等学校」(「県立」が入ったのは昭和43年である。)の名称に決まったが、この校名決定が大変であったことからである。当時広島県では、商業、工業科などを除く新制県立高等学校の名称には、主たる学校の敷地所在場所の地名、旧広島市内の場合には町名を入れることとしたため、国泰寺高校の名称がなかなか決まらない事態に陥った。すなわち当時の雑魚場町内に国泰寺高校敷地のほとんどがあり、「広島県雑魚場高等学校」としなければならなかったのであるが、雑魚場町は復興計画により近々に消滅の方向(実際には昭和40年4月1日に消滅。)、また「雑魚場高校」では、縮めて「ザコ高校」と世間から言われかねないと反対の声が上がり、再度図面と実地を精査したところ、国泰寺高校のごく一部の敷地が国泰寺町内に「はみ出して」いることが判明、これでようやく「国泰寺」に決まったいきさつがあった。このことから将来的にも町名変更の影響を受けない(当時は町名が変わればそれに合わせて校名も変えるものとされていた、また国泰寺高校所在地は当時、大きく再開発される可能性があり、移転もあり得ると考えられていた。)ように配慮した、すなわち校名を入れない作詞とされた。同様の配慮は観音高校でもされている。校歌の制定が後(昭和36年)になった皆実高等学校では、将来的にまず移転も町名変更もないだろうと考えられ、「皆実の庭」と校名が含まれている。(「鯉城」第2-21号 鯉城同窓会。)
- ^ 「鯉城」第51-63号 鯉城同窓会。
- ^ 「校長挨拶」広島国泰寺高校 WebSite 平成24年12月20日閲覧。
- ^ 「鯉城」第6-11号 鯉城同窓会。
- ^ a b c d 第二中学校は広島県立広島観音高等学校の前身。
- ^ 広島市立第三国民学校は前身が高等小学校で、国民学校になってからも高等科のみの学校であったので、戦後の学制改革(六・三制の実施)の際に小学校ではなく、新制中学校となった。
- ^ 学制改革に伴い、1945年(昭和20年)と1946年(昭和21年)に旧制中学校に入学した生徒を対象に暫定的措置として設置された新制の中学校。新たに生徒募集は行われず、1946年(昭和21年)入学生が卒業する1949年(昭和24年)3月に廃止されることになっていた。
- ^ 旧制・広島県立第一中学校の略称。
- ^ a b 前期3ヵ年(2001年(平成13年)から2003年(平成15年))、後期3ヵ年(2004年(平成16年)から2007年(平成19年))で行われたプロジェクトで、前期は「名門校復活のための基盤整備」を、後期は「復活のための躯体作り」を目標に進められた。
- ^ 大島裕史『日韓キックオフ伝説』、実業之日本社、1996年、p52
- ^ 1912年の日本サッカー | 日本サッカーアーカイブ
- ^ 全国優勝大会の大正末期の技術進歩。ドイツ捕虜との交流で進化した広島
- ^ a b 『広島一中国泰寺高百年史』より: 蹴球本日誌、『広島一中国泰寺高百年史』より(2)
- ^ 日刊スポーツ 2010年1月3日9面
- 1 広島県立広島国泰寺高等学校とは
- 2 広島県立広島国泰寺高等学校の概要
- 3 部活動
- 4 理数ゼミ
- 5 生徒指導
- 6 著名な出身者・関係者
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