長崎県立島原商業高等学校
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長崎県立島原商業高等学校(ながさきけんりつ しまばらしょうぎょう こうとうがっこう, Nagasaki Prefectural Shimabara Commercial High School)は、長崎県島原市城内一丁目に所在する公立商業高等学校。略称は「島原商業」(しまばらしょうぎょう)、「島商」(しましょう)。
- ^ a b 「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(1943年(昭和18年)10月12日閣議決定)により、県立商業学校(佐世保・諫早・島原)と佐世保市立商業学校を工業学校に転換した。
- ^ a b 読みは「じたいちにょ」。仏教の教えで、「自分と他者は一体(同じ)である」、つまり「他と共に生き、他を生かすことで自分も生きる」という意味で用いられる。
- ^ みやざきこうへい。、1917年(大正6年)~1980年(昭和55年)。島原市出身の詩人。島原高校、島原工業高校、島原農業高校、国見高校、小浜高校、旧有馬商業高校の校歌の作詞にもあたった。
- ^ もりわきけんぞう。1916年(大正5年)〜1996年(平成8年)。北松西高校の校歌の作曲にもあたった。
- ^ 読みは「わっかもん」。方言で「若い者」「若者」という意味。
- ^ 1947年(昭和22年)の学制改革(六・三制の実施)により暫定的に併設された新制の中学校。旧制中等教育学校(旧制中学校・高等女学校・商業学校等)の1947年(昭和22年)時点で2・3年生であった生徒を収容。1949年(昭和24年)3月に最後の卒業生を送り出し廃止された。
- ^ a b 地域と連携した課題研究の実践(2005年(平成17年度)長崎県立島原商業高等学校) (PDF) - 実教出版ウェブサイト
- ^ 2年次より国際コースと経済コースの2コースに分かれていた。「国際コース」では外国語を中心に学び、少人数クラスでのティームティーチングを行い,英語や中国語での会話能力を身につけることを目的としていた。また「経済コース」では社会で即戦力となるために商業分野を中心に学習し、グローバル社会に対応できるように,ビジネスマナーや経済分野の知識、パソコンの技術を身につけることを目的としていた。
- ^ Assistant Language Teacher(言語指導助手)の略。
- ^ 方言で「うまいもの」、「おいしいもの」という意味。
- ^ 島原半島中の高校3年生が集い、記念植樹を行う。
- ^ 読み「こごう」、意味は「競技などで、経験が豊富で力のある人や集団」。
- ^ 読みは「しましょっぷ」。学校の略称「島商」と店のショップを組み合わせてネーミングされた。
- ^ 読みは「しらぬい」、九州の有明海や八代海で、夜間に無数の光が明滅する現象。漁船の漁火(いさりび)が異常屈折によって光像を作るために起こるといわれている。
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