味皇料理会(新味皇)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:53 UTC 版)
「ミスター味っ子の登場人物」の記事における「味皇料理会(新味皇)」の解説
葛葉保名(くずは やすな) 新味皇を務める青年料理人。第38回味皇GPで3連覇を果たした兵太の前に現れ「コンビニの豆腐でもお前より旨い物を作ってみせる」と豪語し、コンビニ豆腐とうま味調味料を使ったその料理を食べた味皇が葛葉の勝ちを認めた。その後行方が知れなかったものの、村田源三が突如味皇として推薦。さらに一時的とはいえ味皇の意識を回復させたことで、新味皇(三代目味皇)として万人に認められることになる。 その素性は江戸時代から続くと言われる有名な老舗料亭の跡継ぎで、店主の父より料理を厳しく仕込まれた。元々才能があった上に父に認められようと努力を続けた結果、中学生になる頃には父親の料理の腕を超えてしまった。その父親は逆に加齢による衰えから料理の腕を落とし、店の売上も低下していたことから、息子と共に味皇GPに出て名を取り戻そうとした。しかし本選1回戦で父の作った料理では勝てないことを悟った保名が、料理を試食台に運ぶ時に密かに父のものに似せて審査員の好みに合致した料理にすり替えた。結果勝利したものの、そのすぐ後に前々から息子の料理の才能に嫉妬していた父親は自殺してしまった。以後「料理は人を裏切る」という信念を持ち、熱意ある料理人に対して冷や水を浴びせるような言動で、料理で不幸になる人間を生まないようにと考えてきた。しかし、源三が新山・金本の熱意を奪い去った行為を見て、反旗を翻す。 先述の修行時代に他人の顔を伺いながら料理を作ってきた末に相手を見るだけでどういった料理を食べたいか・好みを持っているかが判る特殊な力を得ており、この力のせいで周囲からは心を見透かされた嫌悪感の目で見られてきた。 村田源二郎の復帰と味皇への復位に伴い味皇を退位して料理会を辞め(本人は「味皇をクビになっちゃった」と自嘲している)、一介の料理人に戻って活動しているが、髪型は修業時代に戻し、以前の面影が全くない程明るくなり、味皇時代に食事を運んできていた女性と付き合っている。 村田源三(むらた げんぞう) 味皇室室長兼高等部の校長。村田源二郎の実弟で、味皇料理会創設時からの大幹部だが、兄が健在の時は表舞台に立つことはなかった。しかし兄が病に倒れて1年後に葛葉を連れて現れ、彼を新味皇として立てて料理会の実権を握る。雑事は全て味皇から任せられているが、些細なミスも見逃さず、功績のあった古参幹部も簡単に追い出す独裁体制となっている。 その正体は味皇料理会の創設者にして、初代味皇。設立当時の味皇料理会は料理武闘派集団とも呼べる組織であり、料理の研鑽のためなら老舗だろうが何であろうが相手構わず勝負を仕掛けてはその店を乗っ取っていくなど非情な組織であった。しかし当時一介の町食堂の料理人だった味吉隆男との料理勝負に敗れたことで味皇料理会は解散の危機に陥り、源三が一線を退き源二郎が味皇になることで事なきを得、以来裏方として料理の腕を一切封印してきた。そのため、彼が初代味皇だった過去は料理会内部でもタブー扱いとなり、主任ですら知らない者が多かった。 料理主任である金本・新山のコンビを全く寄せ付けないなど実力は今なお確かである。 最終的に彼がグランプリを開いた目的が明らかにされ、その後も料理会で講義を持った。 磯島慶人(いそじま けいと) 丸井の次代の味皇料理会イタリア料理部主任だったが、陽一たちとの料理勝負に敗れたために、村田源三から味皇料理会を追い出される。だが、本人は主任の座にそれほど未練はないようである。陽太の良きアドバイザーであり、自身も味皇料理会の少年部・高等部の出身である。思い込みが激しい性格で、高等部時代に他人の営業している店を自分の店の用地と間違えて破壊し1億円の借金を抱えるが、わずか1年で料理の腕一つで全額返済した過去を持つ。 イタリア料理部主任時代は陽一と対戦した際、前任の丸井を「丸井」と呼び捨てにし「人を使う能力がまるでなかったからクビになった」と酷評していたが、自身が追放された後、「味皇高校」へ進学するか迷って相談に来た陽太への忠告では「丸井さん」と呼んでおり、追放についても「丸井さんの事では、オレも自分を弁護できる立場にない」としていた。終盤の味皇GPで丸井と再会した時は敬語で接している。 また思い込みの激しい性格からひょんなことで知り合った音羽松也とも親しくなっている。第50回味皇GPでは松也と組んで決勝戦に飛び入り参加。しかし課題が鍋料理なのにチャーハンと勘違いしていた。 水谷幸喜(みずたに こうき) 味皇料理会少年部で講師を務めている少年部の主任。料理の技術だけではなく、心得をちゃんと教えていることなどから、少年部の生徒および卒業生たちからの信頼はとても厚い。少年部に通う柿本は、養子であるがこの事実は公表されていない。 シオン・ハルス 中東の貧しい国で放浪している陽一と会った孤独な少年。一番の高級レストランと評されていた「ファウンテン」(泉亭)の捨てられた食材を持ち出してトラブルとなったが、シェフであるアレックスに認められる料理を作ることに成功し、アレックスに弟子入り、母親とも再会できた。その後、陽一と再会してその才能を開花。味皇GPにアメリカの少年、アラン・ブラウンと組んで出場し、堺一馬を破って本戦に出場。その後、味将軍・KAEDEによる厳しい修行を経てGPで味将軍・KAEDEと対決したが、地力の差で完敗した。 後に下仲の後を継ぎ味皇料理会ヨーロッパ支部統括部長となり、次期味皇候補とまで評されていることが語られている。 作者の別作品『将太の寿司2』には直接登場しないが、フランスの女性シェフ「アンヌ」に手作りの塩を送っている事が示唆されている。 アレックス・ロシ 「ファウンテン」(泉亭)のシェフ。味皇料理会から、最高の「3クラウン」の肩書きを持つレストランである。また「AJ」と冠される料理は、世界に100とない料理を作るほどの腕前である。 シオンが店の残り物を盗もうとしたことがきっかけで、陽一の仲介により彼に料理勝負を挑まれる。シオンの作った料理を食べて素直にその才能を認め、自分の使用した材料の残りを提供し激励の言葉を送った。その後日に彼を弟子に取る。 その後第50回味皇GPに下仲とコンビを組んで出場する。不測の事態が原因により予選で敗れたが、その後は密かに黙って出場していたシオン達のバックアップに回る。 新山昭和(にいやま あきかず) 現在の味皇料理会日本料理部主任。年は不明だが外見は20代後半くらいと若い。見た目通りの厳しい性格の人物ではあるが、陽一達先達の者達や目上の人物には敬語を使い礼儀も正しく、教えている子供たちの話をするときには楽しそうな顔もする。しかし料理の腕は地位相応のもので、イタリア料理部主任の金本とコンビを組んで出場した第50回味皇GPでは旧料理会主任達を抑えて予選を突破した。ただし下仲・ロシ組は不測の事態から規定調理時間を超えて調理を行ったことを審査員の1人に指摘されたことにより敗北している(この審査員は利害に駆られ下仲・ロシ組を裏切り者と決めつけたが、そのことで金本から鉄拳制裁を喰らった上、「味皇料理会の権威を失墜させる」と源三に叱責され大会終了後に処罰を下される事を通告された)。また、下仲・ロシ組の料理の評価が不当に低いことについては棄権を賭けて抗議した。 金本とは常に行動を共にするほどの親友で、2人で料理を作るとまるで夫婦漫才みたいなやり取りを行う。 金本と共に味皇料理会をもっと外に開けた組織にしたい理想を持っていたが、その理想を陽太達に語った夜、本性を現した源三が2人に料理勝負を挑んでくる。金本と共に次々と料理を作るがそのことごとくを源三に上回られ、三日三晩に亘って自分の今まで培ってきた料理を全て否定され続けた結果、「もう二度と料理なんて作らない」と思うほどに絶望の淵に落とされた。その後料理会に辞表を提出して去ったが、源二郎の復帰後に一から修業し直し再度源三に挑む決意と共に料理会に舞い戻り、源三の講義を受けに来た。 金本保光(かねもと やすみつ) 追放された磯島の後任の味皇料理会イタリア料理部主任。新山と同じ年齢くらいの外見。私服の上から調理着を羽織っただけの格好で性格も型破りな人物ではあるが、その実力は地位相応のもので、前任の磯島同様味皇高校主席卒業の実績を持つ。陽一達先達の者達を「ロートル」と呼び、自分の料理の腕に絶対の自信を持つ。また特に一般向けの料理教室などではそのフレンドリーな性格で主婦たちにも人気があり、極めて高い評価を獲得している。 新山とは常に行動を共にするほどの親友。かつて「自分が負けたら利き腕を斬り落とす」と豪語して行った料理勝負に負けた時に彼に救われた他、主任会議で磯島の後任のイタリア料理部主任を決める検討が行われた時、唯一新山だけに推薦してもらったなど、新山には多大な恩義を感じている。 新山と同じ理想を持っていたが、その理想を陽太達に語った夜、本性を現した源三が2人に料理勝負を挑んでくる。新山同様、三日三晩に亘って自分の今まで培ってきた料理を全て否定され続けて絶望の淵に落とされた。その後新山と共に料理会に辞表を提出して去ったが、源二郎の復帰後に新山と共に源三の講義にやってきてその技術を全部盗み取ると宣言した。
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