加害者X
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/09 12:24 UTC 版)
「北九州監禁殺人事件/del20140716」の記事における「加害者X」の解説
1961年4月28日生。北九州市小倉北区出身。実家は畳屋。 7歳の時に父が実家の家業を引き継ぐため柳川市に転居。小学校の全学年で殆どの科目でオール5であり、学級委員長や生徒会役員を務め、中学校1年生時には校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝し、中学では部活でキャプテンを務めた。 Yと同じ高校に進学し風紀委員長になるも、不純異性交遊が発覚して男子校に転校させられた。転校先の高校を卒業して父の店を受け継ぎ、家業を布団販売業に転換するも、1992年に指名手配されるまで詐欺商法を繰り返す。1980年に結婚して1男をもうけるが、1992年に離婚。その後に内妻Yと2男をもうける。 病的な嘘吐きで自意識が強く目立ちたがり屋。饒舌でいくつもの顔を持ち、エリートを演じる傾向がある。礼儀正しく愛想が良いが、猜疑心・嫉妬心が強い(アフェクションレスキャラクターの傾向) 。異常なまでに執念深く嗜虐的。神経質で臆病な面もあるが虚勢を張る。 Xは「東大卒のコンピューター技師」「京大卒の予備校講師で物理学者の逸材で小説家志望」「実家は村上水軍の当主」「兄は東大卒の医者」など様々な嘘の経歴を名乗っていた。 Xは容姿や話術から女性から好感を持たれる魅力があり、それにより様々な女性遍歴があった。Xは同時に複数の女性と肉体関係を持っており、交際女性とその母親と同時に肉体関係を持っていることもあった。しかし、Yと元妻はXが同時に複数の女性と肉体関係を持っていることを知っていたが、中々Xと別れようとしなかった。また、Xの証言によると、この事件関係者である内妻のYの家庭については、YだけでなくYの母DやYの妹Eとも同時並行で肉体関係を持っていた。Xはこのことについて「奇妙な人間関係」と表現している。死亡したYの母DやYの妹Eの肉体関係については相手が誘ってきたとXは主張しているが、Yや元妻などXと交際して生存している女性によると交際のきっかけはXから誘ってきたと述べている。 事件発覚後に元妻は「Xは自分を"世の中の救世主"と語っていたが、Xと出会った人は全員不幸になった」「Xによっていつか死人が出ると思ってた」「多くの嘘で上塗りをしていくと、Xの中では本当のことになる」「あんな人間、二度と出てこない」という言葉を残している。 両親を含めた親族は取材を拒否している。なお、Xが経営していた会社の元従業員は「Xは暴力団幹部と付き合いがあった。Xの実父からピストルを見せられたことがある」と法廷で証言している。
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加害者X
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本事件の加害者となった男X(逮捕当時40歳・無職)は事件現場となった洲本市郊外の集落で生まれ、事件発生時点では自宅の離れで1人暮らししていた。逮捕当時は父親・祖母と3人暮らしで父親と祖母が母屋・Xが離れに住んでいた。母親は約20年前から島内で別居しており、弟も事件当時は別居していた。 小中学生のころは地元のボランティア活動に積極的な父親を持つ活発な少年で、友人と一緒に釣りに出かけたりラジコンで遊んだりしていたが、幼少期の両親の離婚・学校におけるいじめなどが原因で引きこもるようになった。父親は近隣住民から「話好きな性格」として慕われていたが、X本人は小学校を卒業したころから人前に姿を見せなくなった。 Xは地元の小中学校を卒業後、神戸市内の私立高校に進学したが3年生の時に中退し、それ以降は実家で引きこもり生活を送っていた。Xと接見した弁護人は『産経新聞』(産業経済新聞社)の取材に対し、Xの第一印象について「ごく礼儀正しい人柄で落ち着いた印象だ」と述べたが、Xは事件を起こす数年前からTwitter・Facebookなどで「日本国政府が何十年も前から電磁波犯罪・ギャングストーキングを行っています」と訴えたり、被害者の近隣住民に対しても「集団ストーカー犯罪とテクノロジー犯罪の常習犯」などと同様の内容で一方的な誹謗中傷を行うなど、異常な行動が見られた。 インターネット上ではTwitter・Facebookにて「スパイリスト」として事件被害者5人やその親族のみならず、面識のない近隣住民や警察・行政・病院関係者を含めて約140人・団体の実名を挙げた上で、地域住民の家族構成・勤務先などの個人情報一覧表を載せた名簿をインターネット上に公開するなど、誹謗中傷・意味不明な投稿を繰り返していたため、近隣住民の間では「Xに近寄るな」という声が上がっていた。例として地元の建設会社について、Xは自分と面識がなかった経営者の男性を住所・氏名・電話番号とともに「この会社にインターネットドメインを奪われて祖父母を暗殺された」などと誹謗中傷するような投稿をしていた。また、後述のように明石市内で一人暮らしをしていた際にも近隣住民を無断で撮影した動画をインターネット上に投稿し、その住民を被害者らと同様に誹謗中傷する行為をしていた。 兵庫県警察・洲本健康福祉事務所(保健所)には2005年9月以降、被害者家族から少なくとも11回・Xの両親からも9回にわたって「ネットへの書き込みで近所から苦情がある」など公的機関への通報・相談がされていた。健康福祉事務所はこれを受けてXを強制入院させたり精神科病院を紹介したりするなど支援を継続しており、2014年10月には洲本警察署へ「暴れるなどしたら連絡を」と要請するなど「行政機関同士の情報交換」を行っていた上、兵庫県警も加古川7人殺害事件(2004年発生)・尼崎事件(2012年発覚)の教訓を踏まえて住民相談への対応強化を進めていた。しかし結果的に県警・行政が互いに連携して事件を阻止することはできず、事件発生時に被害者B1の長女を一時保護していた近隣住民は『神戸新聞』(神戸新聞社)の取材に対し「事件が起きる前に何とかできなかったか」と述べた。 Xは淡路島内だけでなく明石市内を含めて精神科病院への入退院を繰り返し、一時は明石市内に転居したが事件発生直前の2015年1月ごろに現場集落に戻り、退院後は行政機関・医療機関などの関係機関から転居先を把握されず、適切な治療が中断されていた中で本事件を起こした。
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加害者X
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「福岡商業施設女性刺殺事件」の記事における「加害者X」の解説
事件当時15歳だった加害者の少年Xは、3人兄弟の末っ子として九州南部で生まれ育った。Xは3歳児健診の時には既に注意散漫、多動、粗暴性を指摘されており、さらに保育所での粗暴行為も顕著になり、他の児童へ噛み付いたり、職員への暴力などが見られ、Xが癇癪を起こして大暴れして保育士が骨折したという報告もあった。Xの兄は幼少期から父親から暴力を受けており、さらに兄もXに対して殴る蹴る、エアガンで撃つなどの暴力を振るっていた上、Xが両親の性交を目撃する事もあり、さらにはXが8歳から10歳の頃には兄がXに性器を舐めさせるという性的虐待を行っていたという。Xは2012年に小学校に入学するが、ここでもXの粗暴性は継続し、他の児童の首を締めたり、教諭に「殺すぞ」と暴言を吐くといった問題行動を毎日のように繰り返し、さらに2014年に父親が不倫をした事がきっかけで両親が別居になってからは暴力がさらに悪化し、Xが10歳の頃には母親が病院に連れて行ったり、児童相談所に入れようとしたが、Xは各地で暴力沙汰を起こし、自立支援施設や病院などの施設を転々とした。2017年には両親の離婚が成立し、Xはその翌年に国立の治療施設に入所するが、ここでも暴力行為や無断外出が見られ、さらには強化ガラスを消化器で割ろうとした事からXは鑑別所に入所。そしてXは14歳だった2019年に少年院に送致された。2020年8月には少年院を仮退院して福岡県田川市の更生保護施設に入所した。Xは少年院を出院したら母親の元へ戻るつもりだったが、施設からの引き取りを母親に金銭的な理由で拒絶されてしまい、気持ちが前向きになれず、入所翌日に施設を抜け出した。コンビニで出会った若い男性に「お金に困っており、泊めてほしい」と何度も頼み込んだ。男性からは断られたものの、現金3千円を貰ったため、その金でコンビニで避妊具などを購入した。
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