加害者O
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 08:43 UTC 版)
被告人O・T(逮捕当時はT姓 / 36歳・塗装工)は北海道上川郡和寒町で農家の11人兄弟姉妹(男8人・女3人)の七男として出生したが、小学2年生のころに父親が脳溢血で倒れ、中学校に入学するころには母親も心臓病などに冒された。このため、O家は経済的に貧しく、O自身も家業の養豚の手伝いなどのため、学校を欠席することが多く、成績も振るわなかった。また、同級生らからは「豚などの家畜の臭いがする」などと言われて軽蔑・疎外されていた。やがてOは空き巣・性的いたずらを繰り返すようになり、中学2年時には女子小学生に対する強制わいせつなどの非行により、北海初等少年院に送致され、約2年間収容された。 中学校を卒業した1972年(昭和47年)春、Oは兄(六男)を頼って上京し、塗装工として働いたが、空き巣(窃盗)や強盗の非行により家庭裁判所に送致され、成人後の1978年(昭和53年)10月31日には東京地方裁判所で窃盗(空き巣22件)、有印私文書偽造・同行使・詐欺などの罪により、懲役2年6月・執行猶予4年の判決を受け、故郷の和寒町に戻った。しかし同判決の1週間後、Oは和寒町内で白昼、留守番中の女性(23歳)に包丁を突き付けて脅迫し、両手を縛って猿轡をするなどした上で強姦し、処女膜裂創の傷害を負わせる強姦致傷の犯行に及び、同年12月27日には旭川地方裁判所で懲役3年6月に処され、前期執行猶予が取り消された刑期も併せて函館少年刑務所に服役した。1984年(昭和59年)5月4日に刑務所を仮出所すると再度上京したが、その翌日には喫茶店で女性の後頸部などに噛みつき、頸部を絞めるなどして傷害を負わせる事件を起こし、罰金80,000円に処された。一方で同月23日ごろには「甲」が経営する甲塗装店に塗装工として就職し、1985年(昭和60年)8月ごろには女性X(当時28歳くらい)と結婚し、Xと彼女の連れ子2人とともに暮らすようになった。 間もなく、Oは妻Xとの間に長男をもうけたが、1986年(昭和61年)4月ごろ - 1988年(昭和63年)7月ごろには空き巣を重ね、同年11月2日には葛飾簡易裁判所で窃盗9件などの罪により懲役1年6月に処され、滋賀刑務所に服役した。1989年(平成元年)9月21日に仮出所したが、仮出所期間中の同年12月に未成年の女性に対する強制わいせつ容疑で逮捕された。この時は甲塗装店の経営者の尽力で示談が成立したため不起訴処分となったが、仮釈放は取り消されて黒羽刑務所で残刑の執行を受けることとなり、妻Xとも離婚。1990年(平成2年)6月1日に黒羽刑務所を満期出所すると再び甲塗装店で働き始め、1991年(平成3年)6月・7月ごろには行きつけのスナックで主婦Yと知り合い、親密な仲になる。そして1992年(平成4年)3月31日には夫と離婚したYと婚姻し、Y方の姓を名乗ることとなった。このころは甲塗装店から月平均約40万円の給料を得ており、妻Yとの夫婦仲も円満で、性生活の面でも格段の不満はなかった。しかし、ギャンブル(パチンコ・競馬など)に凝って常に遊興費などに窮する状態になったが、金銭面に厳しい妻Yにそれ以上の金額を求めることができず、空き巣を働くようになった。また、22歳の時に犯した強姦致傷事件の際に覚えた異常な性的快感が忘れられず、その時と同様の手段で女性を姦淫したい願望を抱いていた。
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