加害者T
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:19 UTC 版)
「東村山署警察官殺害事件」の記事における「加害者T」の解説
本事件の加害者である男T・S(旧姓K / 以下「T」と表記)は1925年(大正14年)1月30日生まれ(事件当時51歳)。 Tは茨城県多賀郡松岡町(現:高萩市)で炭鉱夫の次男として出生したが、3歳の時に両親を坑内事故で同時に失い、その後は祖父母の下に引き取られた。1939年(昭和14年)3月に地元の尋常高等小学校を卒業すると、直後に親戚の経営する回漕店に船乗りとして勤め、軍隊から復員後も東京機帆船組合所属の船の機関士となり、船上生活を続けていた。しかし、次第に金に窮して次々と盗みなどを働き、1948年(昭和23年)12月1日には東京地方裁判所で窃盗罪により懲役1年2月の刑に処された。さらに1949年(昭和24年)4月27日には、東京地裁で強盗傷人罪により懲役7年の刑に処されたほか、1956年(昭和31年)5月17日にも水戸地方裁判所麻生支部で窃盗罪により懲役4年の刑に処された。 1961年(昭和36年)6月に府中刑務所を仮出獄すると、服役中に身に着けた植字工の技術を生かして印刷会社で働くようになり、1962年(昭和37年)6月下旬に女性Xと結婚した。しかし、結婚から3年経っても子供ができなかっただけでなく、後の妻となる女性Yと知り合ったことなどから、夫婦仲が次第にうまく行かなくなり、1965年(昭和40年)7月にXと協議離婚した。そしてYと正式に婚姻して2児(一男一女)をもうけ、アパート住まいを続けていたが、1972年(昭和47年)7月に当時住んでいたアパート「甲」(東京都田無市本町四丁目26番地5号)の他人の居室に侵入し、住人に傷害を負わせる事件を起こしたため、1973年(昭和48年)5月4日に東京地裁八王子支部で住居侵入・傷害罪により懲役5月・執行猶予4年の刑に処された。この事件により、当時勤めていた印刷会社に居づらくなったことから退職し、その後も勤め先を転々と変えていたが、1974年(昭和49年)3月上旬ごろからは常用の植字工として印刷工場(板橋区小豆沢)に務めるようになった。しかし、この会社でも工場長代理に対する不満から、1976年(昭和51年)9月17日に突然会社を退職した。
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