不適切な取り調べ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「不適切な取り調べ」の解説
北野は長野事件の発生直後、3月8日 - 10日に富山署で岐阜県警などの警察官から取り調べを受けた際には、両事件への自身やMの関与を否定したほか、長野事件発生時(3月3日)以降の行動について「目的のない気晴らしのための旅行」と説明していた。その後、同月29日に富山県警警部の広瀬吉彦に面会を求め、同日から2日間にわたり広瀬から取り調べを受けた際には、自身の関与を否定し続けた一方、Mの行動上の不審点を指摘する(Mが事件に関与したことを示唆する)姿勢に転じ、長野に護送されて以降も事件への関与を否定し、Mから持ちかけられた金儲けの話について説明しようとしていた。しかし、取り調べ担当者はそのような北野の弁解を聞き入れず、その矛盾点を突くような尋問ではなく、もっぱらMとの従前の関係や、長野へ同行していた事実を根拠に、「共謀がなかったはずはない」という角度からの追及に終始していたことが、富山地裁 (1988) により指摘されている。4月6日、北野は宮﨑恪夫(長野県警警部)による取り調べで、被害者Bの遺族の心情を前面にした説得を受け、歯ぎしりして「俺は責任を取ってやる」と言いながら、自身がBを殺害したことを認める自供書を書いたが、富山地裁 (1988) は当時の北野の態度について、「そこには反省悔悟の情などはいささかも窺われない。むしろ、心情論によりかかって改悛を求めようとする捜査官の態度に対し、弁解が聞き入られないため自暴自棄になった北野が突如前記行動に走ったという過程をかなり明瞭に読み取ることができるのである」と指摘している。また、北野は富山への移送後も4月26日までは否認を続け、「長野では、やってもいないことをやったように言わされた」などと不満を述べる一方、道義的責任を感じている旨の心情を吐露したり、「自分はMと同罪になっても構わない」など、自暴自棄な発言も見られた。 北野は無罪確定後の1992年、雑誌『VIEWS』(講談社)に寄稿した手記で、最初の任意同行の際から取調室に入れられ、高圧的・暴力的な取り調べを受けたことや、逮捕されて富山から長野へ連行される際に人々から「人殺し」と罵倒されたこと、逮捕後には刑事や検事が作成した虚偽の供述調書にサインするよう強要されたり、刑事から「男として責任を取れ」「俺は昔、あさま山荘事件の犯人を(この取調室で)取り調べた。あいつらは俺に反抗的な態度を取るから、血反吐を吐くまで殴ってやった」などと暴言・脅迫を伴う苛烈な取り調べを受け、検事からも「チンピラ」「人殺し」などと恫喝された旨を主張している。佐木 (1991) によれば、北野に対し「道義的責任」「男の責任」などの観点から自白を迫った捜査官は、宮﨑恪夫、横畠裕介(長野地検検事)、広瀬である。後に北野は第一審の公判で、自身を取り調べた宮﨑や横畠を「私を無理に自白させたのではないか」と追及したが、2人ともそれを否定した。また、広瀬は第139回・146回・147回公判で、「自分が北野に対し、被害者の両親らの心情を訴えて説得すると、北野は号泣しながら妹の結婚の世話などを依頼し、自白した」と説明したが、德永勝(富山地検主任検事)は1985年(昭和60年)10月2日の第145回公判で、弁護団からの尋問に対し「北野は自分に対し、広瀬と『妹の結婚の世話など、家族の生活に協力する』と約束した旨を話していた。自分が広瀬に確認したところ、広瀬は『約束したわけではないが、自分に将来できることがあるならやってやろう』と話した」と述べている。 名古屋高裁金沢支部 (1992) は、富山地裁 (1988) の判示も踏まえ、北野が虚偽の自白に至った理由について以下のように指摘している。(以下、丙=北野、甲=M) 丙の捜査段階における自白の信用性について検討するに、その自白を含む全供述の過程や内容の概観は、原判決が摘記するとおり(三六〇頁〜三八一頁)であるところ、原判決は、丙供述は、長野、富山両事件ともに否認と自白との動揺の跡が歴然としていて自白状況の不安定が目立つ点が信用性を減殺する要因としてまず挙げられるとするほか、自白には秘密の暴露とみられる供述部分がなく、共謀がなされたものとすれば当然に認識しているはずの事項についての説明が欠落し、共謀を疑わせる客観的事実についての疑問を解消させるに足る説明もなされていないなど不自然、不合理な点を随所に指摘することができ、また、供述は共謀や犯行手段等の本体的部分について重要な変遷がなされているのに、その供述修正の理由が調書上明らかにされていないなど体験供述性にも疑問があり、更に、丙が共謀についての全面自白を始めたときの状況には、自己の受けるべき刑期について著しい誤解をするなど、その供述の真摯性にも問題があり、結局、丙の自白は、本件各犯行を単独で敢行した甲と愛人関係にあった男としての心理的負担と捜査官の心情論的追及の相乗作用によって、自ら「男の責任」と称する道義的責任を承認する趣旨であえて虚偽の不利益事実を自認したものである疑いが非常に強いものとみて、その信用性を否定しているのであるが、当裁判所の考察によれば、丙が自白するに至った動機や自己の行為に科せられる刑罰を誤解していたとする点については必ずしも完全には見解は一致しないけれども、その自白内容に判示のような多くの疑問点があって信用するに足りないとする結論には賛同できるのであって、これを丙の有罪立証の資料とすることは許されないとした原判決の証拠評価は正当というべきである。 — 原判決は、丙の供述過程に従い、その供述態度や捜査官の取調方法等をも勘案しながら追跡的に検討して自白の動機、原因を推究した結果、本件両事件についての共謀事実を認めた丙の自白が反省、悔悟に基づいた真摯なものであったとは考えられず、その真の動機というのは、愛人関係にあった甲が、やがては丙にも利得が還元される可能性もある大金を奪取しようとして本件各犯行を行ったことに対して男としての心理的負担を抱いていたところへ、捜査官からの心情論的追及や説得を受けてその心理的負担を増大させ、最終的には自らの道義的責任を承認する趣旨で虚偽の自白に及んだ可能性が強いものとする推論については、当裁判所としても基本的に同調するものであるが、その理由とするところでは多少意見を異にする。……(中略)……察するに、丙がその当時、自己の行為の刑事責任と道義的責任とを明確に区別して意識していたかどうかは明らかでなく、刑罰の誤認とみられるような発言を行っていたことからしても、丙自身が公判弁解で主張しているように、長野事件で丙に詐欺まがいの悪事に加担して大金を得ようとする限りでは甲に協力するつもりがあった以上少なくともその限度での刑事責任はやむを得ないとする覚悟に道義的責任感が加わって本件両事件での事前共謀の虚偽自白に及んだ可能性が強く窺えるのであって、このようにみることによって丙が何度も弁護人と接見して捜査官には事実を述べるようにとの助言を受けながら、なお自白した経緯が理解できるのである。 しかし、いずれにしても、本件各犯行での事前共謀を認めた丙自白には、虚偽供述がなされる要因が十分存在するのであって、これに捜査官の取調方法の在り方も影響して、丙がいわゆる「男の責任」を取るという心境にもなって取調官が求める内容の自白を迎合的に行った可能性は強いのであり、前述のような供述内容自体が含んでいる欠陥とも併せて、その信用性は否定せざるを得ないのであって結局同旨の原判決の判断は正当である。 — 丙が本件両事件で甲との共謀を自白するに至った動機というのは、自分が本件で全くの無実であることを信じながら、単に道義的責任感だけから、本件各犯行を甲と共謀して犯したことを自白したものとは認め難く、少なくとも本人の気持ちのうえでは、誘拐、殺人というような本件各犯行の実体を事前に甲から聞かされてはおらず、したがって実際には共謀もしていないけれども、いずれにしても甲が企んでいた何らかの悪事と知って大金獲得の協力をしていたという限りでは自分も本件に関わりがあることは否定できない立場にあるから、それが果たして法律的に犯罪に該当するかどうかは別にして、ある程度の刑責を問われるのもやむを得ないと覚悟するところがあって、これが前述のような道義的責任感と結び付き、両々相まって結局は事実に反する虚偽自白をするに至った可能性が高く、(以下略) — (前略)また、本件両事件について甲との共謀を認めた丙の自白も、甲供述同様、その内容や供述過程等に不自然、不合理な点が多くてもともと信用性に乏しいばかりでなく、その供述の変遷状況等をつぶさに分析検討してみると、丙の自白というのは、本件各犯行における共謀事実を真実のものと認めてその反省、悔悟の下に行ったわけのものではなく、道義的責任を承認する趣旨であえて不利益事実を自認した可能性が極めて高いのであって、これまた、その信用性を肯定することは到底できず、以上本件で取調べた全証拠をもってしても、丙が本件両事実について甲と共謀して犯行に及んだことは認定できないとした原判決の判断は相当であり、当裁判所としてもこれを肯認することができるのである。 — 富山県議会議員の小川晃(日本社会党)は、1992年6月19日の県議会一般質問で、事件当時の捜査について松原県警本部長を追及し、「証拠不十分にもかかわらず北野を逮捕し、代用監獄で人権を無視した取り調べを行い、自白を強要した疑いがある。捜査の誤りを認めて北野に謝罪すべきだ」と求めたが、松原は「取り調べに際しては、被疑者の人権に十分配慮し、自白の任意性が配慮されるよう適正に行った」と答弁し、捜査ミスを認めなかった。このような密室取り調べによる冤罪事件を教訓に、富山県弁護士会(会長:浦崎威)は1992年4月1日から、警察署や拘置所にいる被疑者や、その家族からの要請を受け、当番弁護士を派遣(紹介)して24時間以内(遅くとも48時間以内)に被疑者に接見し、黙秘権や弁護人選任権の説明、事実関係の聞き取り・確認を行う制度(当番弁護士制度)を開始した。 「#控訴審判決」も参照
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