おの‐ようこ〔をのヤウこ〕【オノ・ヨーコ】
オノ・ヨーコ
オノ・ヨーコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 07:44 UTC 版)
「ビートルズの解散問題」の記事における「オノ・ヨーコ」の解説
レノンとオノ・ヨーコの出会いは、1966年の「インディカ・ギャラリー」における彼女の個展でのことであった。特にイギリスのファンの間では、「結婚でジョン・レノンの音楽性や人間性が変化し、他のメンバーとの軋轢が生じた」という見方があり、ビートルズ解散に関するオノの関与に関しては多くの議論がある。 オノとバンドの唯一の接点は、レノンが彼女をバンドのセッションに連れて行ったときのことのみであったが、そこでは彼女は曲について提案したり批判したりした。さらに彼女はレノンに対して彼とグループの関係に対する批判をささやき、ソロとしての活動を促した。ジョン・レノンの友人であるピート・ショットンは、「『ザ・ビートルズ』のレコーディング時にレノンがオノを連れてきたことによって(「グループの仕事場にパートナーを連れてこない」という不文律をレノンが破った)レノンと他のメンバーの間に緊張感が高まってしまった」と回想する(マッカートニーは「ゲット・バック」録音時に彼女を睨みつけたと伝えられる。ただし、結局はマッカートニーも後に結婚するリンダ・マッカートニーを同伴するようになったことが映像でも確認出来る。映画『レット・イット・ビー』では、リンダの連れ子であるヘザーもスタジオで遊んでおり、レノンがオノをスタジオに連れて来たことをきっかけに「じゃあ俺も」という感覚で他のメンバーも妻や恋人を同伴させるようになった)。 2012年10月には、マッカートニーが「ヨーコがビートルズをバラバラにしたんじゃない。ビートルズは自らバラバラになった」とオブザーヴァーに語った。2013年3月には、ポールはQ誌の取材に対し、同様の発言を繰り返している。マッカートニーの発言について、オノは「わたしが原因でないということはみんな知っていると思っていましたが、まだ多くの人がそう感じていたということに驚きました」「それだけにポールはとても勇敢でした。『ありがとう、ポール。わたしはあなたのことが好きですし、みんながあなたを愛しています』と伝えたい気分です」と、オブザーヴァーに語っている。 2013年3月に、マッカートニーは「ジョンがその当時ヨーコにかなり惚れ込んでたのは事実だから、今思えば、ジョンは新しく手に入れた自由をエンジョイして、ワクワク気分だったんだろうなと思うよ。でもヨーコがスタジオに現れて、何もしないでチョコンと僕らの真ん中に座られてもね、って感じだったよ。僕らはその事にウンザリしてたって認めざるを得ないよね」とQ誌に語っている。 マッカートニーは、「ジョンがヨーコとともに過ごすようになってから、彼にもっとプライヴェートな時間を作ってあげようと思った」と後に語っている。 2021年のインタビューでもマッカートニーは、ヨーコと出会ったことで起きたジョンの変化が彼の脱退宣言へ繋がり、バンドを終わらせた直接の原因になったことを認めてる。その上で「ジョンはヨーコと新しい人生を作ろうとしていたってことだよ。ジョンはずっと社会から自由になりたがっていたんだ」「彼らは最高のカップルだった」と、オノ・ヨーコに責任があったとは思っていないと再度語った。 なお、ハリスンが脱退宣言した後の会合の場で「ビートルズのことはメンバー4人だけで話し合って決めたい」というハリスンの意向があったにもかかわらず、何も発言しないレノンに代わって、メンバーでもないオノが1人で発言し続けたため、話し合いが決裂したという事実や、セッション中にも同様の行動が記録されていた。
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