本田ゆかとは? わかりやすく解説

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本田ゆか

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 03:35 UTC 版)

本田ゆか
Yuka Honda
本田ゆか(2014年)
基本情報
出生名 本田ゆか
出身地 日本 東京都
ジャンル 電子音楽実験音楽即興
職業
担当楽器
活動期間 1995年 - 現在
共同作業者

本田 ゆか(ほんだ ゆか)は、ニューヨークを拠点に活動している日本人音楽家音楽プロデューサー作曲家リミキサー様々な楽器のプレイヤーであり、チボ・マットのオリジナル・メンバーである。本田はそのキャリアの中で、ペトラ・ヘイデン、ショーン・レノン、マイク・ワット、ネルス・クライントリッキー、ハーパー・サイモン、ビースティ・ボーイズロス・ロボス、ミッチェル・フルーム、メデスキ、マーティン・アンド・ウッドマーク・リボー、YOSHIMI P-we、アート・リンゼイエディ・ブリケルヴィンセント・ギャロ、ルシャス・ジャクソン、デイヴ・ダグラス、バーニー・ウォーレルカエターノ・ヴェローゾなど様々なミュージシャンと共演している。

略歴

東京都生まれ、幼年期をドイツデンマークで過ごした。そしてフランスのエクス=アン=プロヴァンスの学校に通い、1986年11月にニューヨークへ引っ越した。幼いころからクラシックを学んでいたが、ミュージシャンになろうとは思っていなかった。ニューヨークに来たころは、日本食の雑誌に寄稿していた。

1988年、グレッグ・コーエンとマイケル・ブレアとともにCBGBのステージにキーボード奏者として初めて出演した。1989年、ボーイフレンドのダギー・ボウント(後に夫となる)、E.J. ロドリゲス、エリック・サンコとともに「ザ・フレイミング・フープス(The Flaming Hoops)」というバンドを結成し、本田とマイケル・ブレッカーのデュエット曲を含むアルバムを発表した。1990年には、本田はジャズ・パッセンジャーズに加入し、彼らのライブ・アルバム『Live at Knitting Factory』に参加している。また、ヒップホップ・バンドの「リズム・メソッド(Rhythm Method)」にも加入した。

1992年、ロンドンのクイーン・エリザベス・ホールに、マーク・リボーバーニー・ウォーレルブライアン・イーノとともにアート・リンゼイのサポート・ミュージシャンとして出演。

1993年に羽鳥美保と知り合い、2人は1994年3月にチボ・マットを結成した。その前後にボウントと離婚している。羽鳥があらゆる食べ物と愛について歌い、本田が1人で電子楽器で作り上げる独特の音楽が特徴で、その年末にワーナー・ブラザースと契約した。1995年、チボ・マットは、デビュー・アルバム『Viva! La Woman』をミッチェル・フルームとチャド・ブレイクをプロデューサーに迎えて録音した[1]。同じ年、本田はジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのラッセル・シミンズらとバンド「バター08(Butter 08)」を結成し、本田とシミンズのプロデュースの下でセルフタイトルのアルバムを制作した[2]。1996年は、チボ・マットとバター08の両方がアルバムを発売した。

1996年から2000年までの間、ショーン・レノンと恋人関係になり、レノンの1998年のアルバム『イントゥ・ザ・サン』のプロデューサーをつとめた。2人の出会いは本田がオノ・ヨーコの曲「Talking to the Universe」のリミックスをつとめたことから始まり、サーストン・ムーア、トリッキービースティ・ボーイズ、ウィーンと共演した。チボ・マットはツアーのため、ショーン・レノンとティモ・エリスをバンド・メンバーに誘った。1996年から2000年までの間、複数のプロジェクトで広く活動をしていた。

チボ・マットは2001年に解散した。それ以降、ニューヨークで集中して活動するようになり、デイヴ・ダグラス、スージー・イバラ、ヴィンセント・ギャロトレヴァー・ダンジム・オルークジョン・ゾーンと仕事して、2枚のソロ・アルバムを発表する。2003年にはボアダムスのドラマーであるYOSHIMI P-weと「Yoshimi and Yuka」を結成する。

2005年、EXPO2005ロバート・ウィルソン監督の3Dアニメーションで、ハル・ウィルナーと参加。Dopo Yumeのアルバム『The Secret Show』にも参加している。

2006年にはショーン・レノンのアルバム『フレンドリー・ファイア』にキーボード奏者として参加し、レノンのツアーの音楽ディレクターをつとめた。2007年、イリナ・ラザレアヌのプロデュースをショーン・レノンと務めた。エディ・ブリケルとハーパー・サイモンのアルバム『The Heavy Circles』に曲を提供した。

2009年にはオノ・ヨーコのアルバム『ビトウィーン・マイ・ヘッド・アンド・ザ・スカイ』のアシスタント・プロデューサーをつとめ、ミキシング担当として、また、サンプラー、ピアノ、オルガン・パーカッション奏者としてクレジットされている[3]

2009年の後半から2010年の前半にかけ、ショーン・レノン、清水ひろたか小山田圭吾プラスティック・オノ・バンドに加入して東京とニューヨークでコンサートを行った。また、マイク・ワット(ミニットメン)とネルス・クラインウィルコ)と「Floored By Four and Brother's Sister's Daughter」(後のフロアード・バイ・フォー)というグループで即興ショーを行い、クラインとは恋人関係となった。2人は、2010年11月、日本で結婚した[4]

2010年、3枚目のソロ・アルバム『Heart Chamber Phantom』を発表。アルバムには、ショーン・レノンや清水ひろたからが参加している[5][6]

チャーリー・ヘイデンの娘であるペトラ・ヘイデン、清水ひろたか、あらきゆうこのユニットである「If By Yes」のデビュー・アルバム『Salt on Sea Glass』を、2011年に発表した[7]

ディスコグラフィ

リーダー・アルバム

  • Memories Are My Only Witness (2002年、Tzadik)
  • Flower with No Color (2003年、Ipecac Recordings) ※with Yoshimi P-We
  • Eucademix (2004年、Tzadik)
  • Heart Chamber Phantoms (2010年、Tzadik)

フロアード・バイ・フォー

  • Floored by Four (2010年、Chimera Music)

If By Yes

  • Salt on Sea Glass (2011年、Chimera Music)

参加アルバム

  • デイヴ・ダグラス : Sanctuary (1997年、Avant)
  • ネルス・クライン : Macroscope (2014年、Mack Avenue)
  • ネルス・クライン : Lovers (2016年、Blue Note)
  • ハンツヴィル : Bow Shoulder (2020年、Hubro/Grappa Musikkforlag AS)

プロデュース作品

リミックス

脚注

出典

  1. ^ Viva! La Woman - Chibo Matto : Credits”. AllMusic. 2012年7月14日閲覧。
  2. ^ Butter 08 - Butter 08”. AllMusic. 2012年7月14日閲覧。
  3. ^ Between My Head and the Sky - Yoko Ono : Credits”. Allmusic. 2012年7月14日閲覧。
  4. ^ Hotwire : 魅力溢れる、逆輸入女性ミュージシャンたち”. BARKSニュース (2011年1月15日). 2012年7月14日閲覧。
  5. ^ ナタリー - 本田ゆかがショーン・レノンら迎え6年ぶりのソロアルバム” (2010年1月25日). 2012年7月14日閲覧。
  6. ^ SOUNDBYTES : 本田ゆか”. 本田ゆかインタビュー. KORG INC.. 2012年7月14日閲覧。
  7. ^ チボ・マット本田ゆかの新ユニット、デビュー作に小山田圭吾やWilcoがゲスト参加 - musicニュース”. CINRA.NET (2011年1月31日). 2012年7月14日閲覧。

外部リンク




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