大韓航空機爆破事件 大韓航空機爆破事件の概要

大韓航空機爆破事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 15:28 UTC 版)

大韓航空858便
大韓航空のボーイング707(同型機/
画像は旧塗装)
出来事の概要
日付 1987年11月29日
概要 北朝鮮工作員による爆弾テロ
現場 インド洋アンダマン海上空
北緯14度33分 東経97度23分 / 北緯14.55度 東経97.38度 / 14.55; 97.38座標: 北緯14度33分 東経97度23分 / 北緯14.55度 東経97.38度 / 14.55; 97.38
乗客数 104
乗員数 11
死者数 115(全員)
生存者数 0
機種 ボーイング707
運用者 大韓航空(KAL)
機体記号 HL7406
出発地 サダム国際空港
第1経由地 アブダビ国際空港
最終経由地 バンコク国際空港
目的地 金浦国際空港
テンプレートを表示

日本で大韓航空機事件と呼ぶ場合この事件の事を指す場合と、1983年9月1日大韓航空機撃墜事件のことを指す場合に分かれる。

経過

※韓国及び北朝鮮の国内外情勢で、本事件に関連するものを含む。

1985年1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
  • 6月 - 金賢姫が手記を出版。

事件概要

事件当日

事件の被害に遭ったのは大韓航空に所属する大韓航空858便(使用機体:ボーイング707-320B登録記号:HL7406)であった。なお、当時の時刻表によればこの便は本来、マクドネル・ダグラスDC-10-30型機で運航されていたが、当日は機材変更によりボーイング707-320B型機で運航されていたという。

フライトプランとしては現地時間午後11時30分(UTC午後8時30分)にイラク・バグダードサダム国際空港を出発し、アラブ首長国連邦アブダビアブダビ国際空港タイバンコクバンコク国際空港を経由し、韓国・ソウルの金浦国際空港に向かう予定であった。つまり、イラク発UAE、タイ経由韓国行きである。なお、この便はバンコクへの寄港をテクニカルランディング扱いにしていたため、アブダビ〜バンコク間、バンコク〜ソウル間のみの利用は不可能であった。

乗員は11名、乗客は104名であり、乗客のほとんどが中近東への出稼ぎから帰国する韓国人労働者であったという。そして、その内9名は「デッドヘッド」と呼ばれる業務に就いていない操縦乗務員(機長、副操縦士、航空機関士各3人ずつ)で、中東へのフライトから帰国する途中であった。

事件発生

事件発生時の機体(再現図)

大韓航空858便は、アブダビを協定世界時日曜日の午前0時01分に離陸、インド上空を横断し、ボンベイからアンダマン海へ抜けて上空の航空路R468を飛行し、離陸から4時間半後の現地時間午前10時31分(UTC4時31分)にビルマの航空管制空域に差し掛かった。

インドとビルマの国境である"TOLIS"ポイントからラングーンの航空管制官に対し「現在37,000フィート(およそ10,700m)を飛行中。次の"VRDIS"には午前11時01分、"TAVOR"(ビルマ本土上陸地点)には午前11時21分に到達の予定」と報告したのが、大韓航空858便の最後の通信となった[1]。ここで858便は航空路ロメオ68を飛行しており、ほぼ定刻通りにバンコク国際空港に到着するはずであったが、ラングーンから南約220km海上上空の地点で、午前11時22分に旅客機内で爆弾が炸裂し、機体は空中分解し墜落した。

機長は、遭難信号や地上の管制機関に緊急事態を宣言する間もなく、爆発の衝撃で即死した[2]と見られる。乗客・乗員115人全員が、行方不明(12月19日に全員死亡と認定)となった。

捜索

定時報告交信が途絶え、レーダーサイトのモニターに機影は無く、タイの領空に入ると予想された時刻に、航空管制当局とのコンタクトが無い事態から、858便の異常発生が発覚した。タイ航空管制当局は858便へ通信を試み、大韓航空本社には事態一報と、同時にタイ政府内の関連には報告から状況の把握に努めた。858便から通信応答は無く、バンコク国際空港に858便から着陸許可をもとめる連絡アクセスは無く、着陸予想時刻を過ぎる、韓国標準時午後2時05分(タイ標準時午後12時05分/UTC午前5時05分)タイ航空管制の連絡から大韓航空が再度試みていた社内無線交信(カンパニーラジオ)に応答が無いことから、858便の遭難が確定した。

大韓航空機の捜索には、ビルマとタイの両政府当局が当たる事となった。タイ軍は捜索隊を組織し、858便が消息を絶つ迄の気象状況や経過から「泰緬国境付近のジャングルに墜落」と推定しその一帯に派遣されたが、実際にはアンダマン海上に墜落していた。

衛星測位システムや当時のアンダマン海近辺の航空レーダーサイトの整備が貧弱であったことで、迅速に事故発生地点を把握することが出来ず(2014年マレーシア航空370便墜落事故で再び問題となった)、さらに墜落地点と推定されたビルマ側は、ビルマ政府と対立しているカレン族が支配する紛争地帯であるため政府による捜索は不可能、またカレン族が国境を越えて武装闘争を繰り広げていたため、捜索隊を編成指揮したタイ側も十分な捜索活動は尽せなかった。

12月10日になってアンダマン海から事故機の機体と思われる残骸が、海上や海岸の漂着物などで次々発見、洋上の遭難が確実視されたが、墜落地点の特定は外交関係から1990年まで持ち越された。後述「被疑者の拘束」で、実行犯が確保される一方で、機体が確認されていないにもかかわらず『爆破』と断定したことは、捏造・陰謀説が一部から指摘される一因になった。

改めて推定された遭難地について、ビルマ国内紛争地帯沿岸に近い海域で、外交関係事情から捜索は限定的なものに留まり確定されないまま長期化し、漂着や現地の漁船により、858便の遺留品は救命筏や機体の部品、乗客の手荷物と遺体、バラバラになった機体の一部が偶発的に回収された。これらにボーイング707と確認できる構造原形をとどめたものは数多く、機体の残骸が大韓航空858便であることは明らかであったが、ブラックボックスは発見できず、事件から3年後の1990年3月10日に海底から回収した胴体上部外板一部に、大韓航空がオフィシャルエアラインとなっていたソウルオリンピックのエンブレムが記され、これがHL7406号機特有のもので858便の残骸と断定されるまで長時間を要した[注釈 1]

また搭乗者の完全な形での遺体は捜索が後手に回ったことや、インド航空182便爆破事件など他の多くの空中分解事故のケースと同様に完全なものは1人も発見されず、わずかに回収された遺体の一部がDNA解析され身元が判明した。回収された救命筏などの残骸の多くは高温に晒され強い衝撃を受けた痕跡があり、爆弾起爆から着水までに機体が損壊中何らかの引火から機体の大半が火炎に包まれていたことを裏付けていた。韓国政府の管轄部所では爆弾の位置から機体が空中分解し水上に墜落するまでの過程について、メーカー協力のもと分析を行い報告書を作成、火災の発生と続いて起こった損壊は仮定範囲の記載に留めた。

当初、空中分解の原因は事故機となったボーイング707-320BのHL7406号機(1971年製造、製造番号:20522/855)固有の欠陥が原因と見られていた。このHL7406機は当初は大統領外遊時の特別機として韓国政府が使用していた[注釈 2]が、大韓航空に移管され主に国内線で運航されていた。だが事件の10年前の1977年9月釜山胴体着陸事故を起こし、事件の2か月前の9月2日にはソウルの金浦国際空港でランディングギアが出ずにまたしても胴体着陸する事故を起こしており、修理を終えて運航復帰した直後に発生したためであった。しかし実際には爆破テロであったことが後に判明することになる。

一方で、ソウルの韓国放送公社(KBS)によれば、事件発生後に大韓航空幹部が「ハイジャックされた可能性がある」と語ったという。だが、それを裏付ける証拠はなく、大韓航空はビルマ政府に情報収集を依頼した。後に爆破したと断定されたあとで「携帯できるような爆発物では航空機の壁に1mの穴を空けることしか出来ず空中爆破は出来ない」という、旅客機の航空事故に関する知識の乏しい軍事評論家の指摘[3]もあったが、これは与圧されていない地上で爆発した場合であり、過去の与圧されている航空機の爆破事件[注釈 3]において、1万メートル程度の巡航高度を飛行中の旅客機に亀裂や穴が空くと、そこから与圧された空気が噴出することで、風船が破裂する様に機体が空中分解した例が多数ある(例:コメット連続墜落事故)。

実行犯の拘束

バーレーン国際空港(1980年代)

事件直前、バグダードで搭乗して経由地のアブダビ空港で降機した乗客は15人いたが、その中に東アジア系の男女が1人ずついた。この2名は、日本のパスポートを持っており、11月30日午後にバーレーンのバーレーン国際空港ガルフ航空機で移動し、同国の首都マナーマホテルに宿泊していた。旅券名義は「蜂谷真一(はちや しんいち)」と「蜂谷真由美(はちや まゆみ)」であった[4]。2人は「父親」と「娘」の関係だとされた[4][注釈 4]。韓国側も搭乗名簿から、この「日本国旅券」を持つ2人の男女が事件に関与したと疑っており、当地の韓国大使館代理大使がその日の夜に接触していた。

一方、事件直前の1987年11月21日偽造パスポートを所持していた罪により東京で逮捕された日本赤軍丸岡修は、翌年にせまったソウルオリンピックを妨害するためにソウル行きを計画していたことが明らかになっており、中東を本拠地とする日本赤軍の事件への関与が疑われていた。そのため韓国国家安全企画部は、早い時点で2人をマークしていた。日本政府は「左翼日本人による反韓テロ事件」を懸念していた。だが、在バーレーン日本大使館が入国記録を調べたところ、航空券の英文の「姓」が抜けていたため違和感を覚え、女の旅券番号を日本の外務省に照会したところ、徳島市在住の男性に交付されたパスポートと同一であることが判明、偽造であると確認した[10]

「蜂谷真一」と「蜂谷真由美」の2名は、バーレーンの空港でローマ行きの飛行機に乗り換えようとしていたため、日本大使館員がバーレーンの警察官とともに駆け付け、出国するのを押し留めた[4]。日本大使館に身柄拘束権が無かったため、同国の入管管理局に通報し、警察官に引き渡した。空港内で事情聴取しようとした時、男は煙草を吸うふりをして、口の中に忍ばせていた青酸カリ入りのカプセルを噛み砕いて服毒自殺した[4]。現場に居た日本人外交官、砂川昌順によれば、女はマールボロに隠された青酸系毒薬のアンプルを警察官から奪い取り自殺を図ったが、すぐに警察官が飛びかかり直ちに吐き出させたため、完全に噛み砕けず青酸ガスで気を失って倒れただけに留まり、意識不明ではあるが一命はとりとめたとされている[4][11]。しかしながら、現地警察の調査や救急救命士の証言では、実際には女のカプセルは噛み砕かれておらず傷はほとんどない状態で、女は搬送される救急車内で逃げ出そうと激しく抵抗するなど意識ははっきりとしていたが、病院に到着すると一転して意識不明であるかのように装っていたとされている。[12]

「蜂谷真由美」名義の女は一命を取りとめた。一方、自殺した男が所持していたパスポートの名義の男性は東京都在住の実在する人物であった。彼は「宮本明(みやもと あきら)」を名乗る男の全額費用持ちでフィリピンマニラとタイのバンコクに1983年昭和58年)秋に旅行したが、その翌年、「宮本」にパスポートと実印を1か月ほど貸していたことが判明した。「宮本」を名乗った男性は、西新井事件(日本人2名の戸籍を乗っ取り、拉致事件などにも利用した北朝鮮工作員・チェ・スンチョル日本警察が摘発した事件)にも関係していた在日朝鮮人の補助工作員、李京雨であった。パスポートが偽造されたものであることが明確になるにつれ、事件への北朝鮮の関与が疑われるようになった[4]。また、自殺した男が所持していた日本製の煙草の製造年月は4年前の「(昭和)58年4月」となっており、既に3年前には全品売り切れであったうえに賞味期限も過ぎていたため、李京雨が逮捕前に作った「小道具」の可能性が高いと判断された[13]

当初、偽造パスポートが日本人名義であり、日本政府もバーレーン側に捜査協力を求めていたが、パスポート偽造は日本国内法の「旅券法違反ないし偽造公文書行使」には該当するが、韓国側が被った航空機爆破という大量殺人テロの重大性と比較して、身柄引き渡しを受けるほどの強い法的根拠がないと判断され[14]、身柄引き渡し請求権を放棄した[15]。韓国への引き渡しを認めるこの判断は、当時の内閣安全保障室長である佐々淳行によれば、在バーレーン日本大使館員の判断ではなく、佐々の意見具申に基づいた「総理大臣官邸判断」であった[16]。なおモントリオール条約では、航空機上で発生した事件の裁判権は、旗国主義により、航空機が登録されていた国家(この事件の場合は韓国)にある。

韓国への引き渡し

バーレーン警察による取り調べが行われた後、国籍も姓名も割り出せないまま「蜂谷真由美」名義の女の身柄は12月15日に韓国へ引き渡された[4]。その時彼女は、自殺防止用のマウスピースをくわえさせられ、口元を大きな粘着テープで覆われ、両脇をかかえられて移動した[4]。当初、彼女は日本人になりすましていたが[17]、ソウルに移送されることだけは避けたいと考えて中国人になりすまそうとし、中国黒竜江省出身の「百華恵」であると供述、容疑を否認し続けた[18]。ソウルの国家安全企画部で行なわれた尋問でも、最初は中国出身であるように装っていた[18][注釈 5]。しかし、取調官からの連日の事情聴取の中で、日本人や中国人であるとする説明の数々の矛盾点を指摘された上[注釈 6]、「日本に住んでいた時に使っていたテレビのメーカーは?」という質問に、北朝鮮ブランドの「チンダルレ」と答えて捜査員にも笑われる事態となり[20]、また捜査員に夜のソウル市街へ連れ出された際、北朝鮮の説明とは全く異なる繁栄ぶりに驚愕し[21]、ついに自分が朝鮮労働党中央委員会調査部所属の特殊工作員、金賢姫であると自白し、航空機爆破の犯行を自供した[4]。服毒自殺した「蜂谷真一」名義の男は、同じく北朝鮮の工作員、金勝一であることが判明した。なお、金賢姫の供述によれば、爆発物は時限装置付きのプラスチック爆弾が入った携帯ラジオと液体爆弾が入った酒ビンであるとされた。爆弾は2人の座っていた機体前方の7Aと7B近くのラックの中に入れており、爆発物は彼女がバッグの中に入れて機内に持ち込んだと供述した。

2019年3月31日、当時の機密扱いだった外交文書が公開され、当時の全斗煥政権が大統領選挙を前に、金賢姫を韓国に移送しようとしていたことが明らかになった[22]


注釈

  1. ^ 2006年に金属探知機による海底の再調査が行われ水中の残骸位置が特定された。
  2. ^ 発注・受領が大韓航空経由で行われたため、モデルネームは-3B5Cとなっている。なお、大韓航空のほかの707は中古機のため、同機がこのモデルネームを持つ唯一の707でもあった。
  3. ^ エア・インディア182便爆破事件など
  4. ^ 事件の3年前の1984年8月、金勝一と金賢姫は一度ペアを組まされ[5]、金賢姫が勝一を「おとうさん」と呼んで親子を偽装し、すべての会話を日本語で話すことを原則として、「蜂谷真一」「蜂谷真由美」名義の偽造の日本旅券でソ連[6]ハンガリーオーストリアデンマーク[7]西ドイツスイスフランスを周遊する日本人観光客の父娘として行動している[8]。賢姫は9月には金勝一とパリで別れて、その後、香港からマカオ広州北京を経て10月に平壌にもどった[9]
  5. ^ 尋問に対し「不知道!(知らない!)」と中国語で返答するなどしており、これは当時の日本のニュースでも報じられた。
  6. ^ 取調官に出身地を聞かれた金賢姫は黒竜江省「五常市」と繰り返し答えたが、当時は五常ではなく五常であったため、嘘が見破られることとなった[19]。ちなみに五常県が五常市に移行したのは事件から6年後の1993年の事である。また、金賢姫の話す中国語広東省訛りであったことも、「黒竜江省(同地は北京語圏)出身」が嘘であることが見破られるきっかけになった[19]。2010年(平成22年)放映の『大韓航空機爆破23年目の真実〜独占金賢姫11時間の告白&完全再現ドラマ・私はこうして女テロリストになった…』では、金賢姫の証言にもとづいて、このシーンが描かれていた。
  7. ^ 金賢姫は、「金玉花」の名をあたえられ、金淑姫と何度もペアを組まされ、彼女と同居しながらの工作員教育を受けた[41]
  8. ^ 泣き叫ぶ遺族を前にして、彼女は「ただ、自分が死ぬことだけが、彼らの恨(ハン)をはらしてあげる唯一の道だ」と考えたという[50]。北朝鮮に残した家族の顔が走馬灯のように流れ、涙がとめどなく流れたが、その後はかえってさっぱりした心境になったという[50]
  9. ^ 1987年当時の「韓国政府の自作自演」による捏造説であるが、韓国の中央日報は、政府から圧力を受けたとする金の主張が真実であれば、前政権の誰かがあおった疑いがある[58] と主張している。なお、韓国では「北朝鮮寄りの理念を拡散させた」場合には、国家保安法によって処罰される可能性がある。しかしながら文在寅政権下では、従北勢力が何らかの批判にさらされる状況下にはなく、却って金が「本事件を韓国当局の陰謀である」と唱える従北勢力を批判したことが、名誉毀損として刑事事件化する事態に陥っている。

出典

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  7. ^ 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.213-214
  8. ^ 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.217-218
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