金賢姫の証言
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「金賢姫」および「大韓航空機爆破事件」も参照 ソウルオリンピックを翌年にひかえた1987年11月29日、バグダッド発ソウル行きの大韓航空機がビルマ沖上空で突然消息を絶ち、乗員・乗客全員が行方不明(のち115人全員死亡と断定)となり、これが空中爆破による墜落であることが判明した(大韓航空機爆破事件)。しかし、途中で経由地アブダビ空港で日本人名義の旅券を所持する男女が降りたことが判明、事件直後よりマークされた。2人は12月1日、バーレーン国際空港からローマに向け出国しようとしたところを拘束された。空港での事情聴取中、2人はタバコに仕込んであったカプセルで服毒自殺をはかり、男性(金勝一)は死亡、女性の方は意識を失ったものの一命を取りとめ、12月15日、ソウルに移送された。
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金賢姫の証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:57 UTC 版)
ソウルオリンピックを翌年にひかえた1987年11月29日、バグダッド発ソウル行きの大韓航空機がビルマ沖上空で突然消息を絶ち、乗員・乗客全員が行方不明(のち全員死亡と断定)となり、これが空中爆破による墜落であることが判明した(大韓航空機爆破事件)。しかし、途中で経由地アブダビ空港で日本人名義の旅券を所持する男女が降りたことが判明、事件直後よりマークされた。2人は12月1日、バーレーン国際空港からローマに向け出国しようとしたところを拘束された。空港での事情聴取中、2人はタバコに仕込んであったカプセルで服毒自殺をはかり、男性(金勝一)は死亡、女性の方は意識を失ったものの一命を取りとめ、12月15日、ソウルに移送された。 女性は、朝鮮労働党・中央委員会調査部所属、特殊工作員の金賢姫であった。金賢姫は、1981年7月から1983年3月にかけて日本人拉致被害者「李恩恵」と起居をともにし、一対一で日本人化教育を受けたと証言した。金賢姫は訪日したことは一度もなかったにも関わらず、日本人記者たちと自由に日本語で会話できるだけの日本語能力をもっていた。金賢姫は、李恩恵が残された子供たちはどれほど寂しかっただろうかと話すとき、しばしば涙ぐんだと証言している。
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