事件後の北朝鮮
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「大韓航空機爆破事件」の記事における「事件後の北朝鮮」の解説
北朝鮮は現在に至るまで事件の関与を否定しているため、事件の謝罪を行っていない。ただし日本では、服毒死した金勝一の偽造日本国旅券作成の過程で、日本在住の北朝鮮工作員が背乗りに関与したほか、日本人拉致被害者の田口八重子に関する金賢姫の話を「信憑性があるもの」と受け取られている。 金日成の母方の従兄弟で、北朝鮮の姜成山前首相の娘婿である、亡命者の康明道の著書『北朝鮮の最高機密』によれば、事件後の1988年当時、平壌は金賢姫の話題で持ちきりであった。「労働新聞」は連日、韓国の国家安全企画部が金賢姫をでっちあげ、事件を捏造していると報道した。しかし、康明道は平壌外国語大学日本語科出身の張チョルホの話として、「金賢姫が平壌外国語大学日本語科に在籍していたが、調査部が連れて行った」と記しており、金賢姫の証言とも一致している。また、北朝鮮の元工作員・安明進によれば、北朝鮮当局は金賢姫が「北朝鮮の工作員ではない」と最後まで否定したが、工作員養成学校である金正日政治軍事大学では、金賢姫が対外情報調査部に所属する工作員であることを教官も生徒も誰もが知っていたとのことである。 その後、北朝鮮での南北赤十字会談(1972年)のとき、張基栄に金賢姫が花束をささげたのは捏造で、本当は私がささげた、と主張する女性(鄭姫善)が平壌に現れ、朝鮮総聯を経由して録画ビデオがマスコミに配られる事件が起きた(もっともその映像で骨格などの照合により、名乗り出た女性こそ捏造であったことが即座に解明された)。この事件は、自殺に失敗はしたが青酸ガスのため3日間意識不明になるなど命をかけて任務を遂行した金賢姫に、北朝鮮が利用するだけ利用して容赦なく捨てたことを認識させ、完全に転向するきっかけとなった。彼女は、このとき初めて祖国に裏切られたと感じたという。 安明進によれば、金正日は金賢姫が大韓航空機爆破には成功したものの自殺に失敗し、韓国に連行され北朝鮮の工作員であることや破壊工作の詳細を自白したことを知ると激怒した。まず、対外調査部長は解任され、前モスクワ駐在大使であった権熙京が後任になった。また、金正日が「いつでも女性が問題を起すのだ。女性工作員の数を大幅に削減しろ!」と命令し、女性工作員の訓練地区であった10号棟双鷹地区を完全に閉鎖した。一時期は北朝鮮のスパイ組織である3号庁舎で女性工作員をまったく採用しなくなった。 さらに、大韓航空機爆破事件から3年後の1991年6月、金賢姫の手記『金賢姫全告白 いま、女として』が発行されるや、日本語版が北朝鮮に輸入された後朝鮮語に再翻訳され、教官や安明進を含む大学関係者が読んだとされる。金正日も同書を読み、金賢姫の転向は大学の教育が間違っているせいだ、と指摘した。金賢姫は「韓国は乞食と娼婦があふれていると教育されてきたが、実際の韓国の豊かさや自由を見て朝鮮政府に騙されていたことを悟り転向した」と綴っている。その結果、金正日政治軍事大学では、韓国の実情を具体的に生徒に知らせる教育が始まった。 一方で、安明進のように、北朝鮮の現状に疑問を持つ工作員を生むことになった。また金賢姫が死刑判決後特赦を受けたことも、亡命への希望を持たせることとなった。
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