事件後の対応と反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 01:26 UTC 版)
「ケルン大晦日集団性暴行事件」の記事における「事件後の対応と反応」の解説
この事件は1945年のソ連軍占領下の大規模強姦や2011年にジャーナリストのララ・ローガン(英語版)がエジプト・カイロのタハリール広場からの生中継を行った際に300名の群衆から性暴行を受けた事件を想起されるものであった。 2016年1月5日、女性300名が犯行現場傍のケルン大聖堂前で抗議デモを行った。女性たちは2015年だけでも100万人を超える難民を受け入れることを許可したことにより性暴行事件が引き起こされたとしてメルケル首相に対する怒りの抗議の声をあげた。 ドイツ当局は4日間にわたり事件を隠蔽しようとした。ドイツ公共放送局第2ドイツテレビ (ZDF) は事件から5日経ってから取り上げた。ZDFは数百人が抗議を行っているにも関わらず事件について速やかに報じなかったことを謝罪した。 同日、ケルンのヘンリエッテ・レーカー市長は緊急会見にて、ケルンの女性はどうやって身を守るべきかと問われると、将来の被害を防ぐためには、女性は他人から腕の長さより距離を置くことなどの行動規範を持つべきであると表明した。また、慰めになることではないが他の都市でも起きていることでもあると述べるとともに、北アフリカから来たように見える一団と難民を結びつけることは完全に不適切なことである、事件は難民が背景になっていると信ずる理由はまったくないと述べている。この発言を受けてレーカー市長への怒りと非難が湧きあがっている。レーカー市長は難民危機による緊張の高まりの中で2015年10月の市長選挙の前日にレーカー市長が表明した難民を歓迎するとした方針への反感を動機とした男性によって刺されている。 1月7日、ドイツのレックリングハウゼン難民センターに居住する男がナイフと偽物の自爆ベスト(英語版)を着用してフランス・パリの警察署を襲撃(フランス・パリ警察署襲撃事件(英語版))し、反撃した警察官によって射殺された。男は事件前の2015年9月には難民センターの壁にISILの象徴を描くなどしていた。 同日、ハイコ・マース法務大臣はフンケ新聞のインタビューに対して一連の事件に関与したことが発覚した難民認定申請者については強制送還することができると発言している。 1月8日、スロバキアのロベルト・フィツォ首相は緊急欧州理事会の開催を求めた。同日、ノルトライン=ヴェストファーレン州のラルフ・イェーガー(ドイツ語版)内務大臣はケルンのヴォルフガング・アルバース(英語版)警察長官を更迭したことを発表した。 事件翌週にドイツ公共放送連盟が行った世論調査ではドイツ国民の61%は難民の受け入れを制限するべきであるとしたものであった。 1月10日、ハイコ・マース法務大臣は事件は事前に計画されたものであったとの見解を表明した。 1月11日、左翼寄りとして有名なライプツィヒにて極右フーリガンの排外主義者250名によってデモが行われ窓ガラスが割られるなどした。これを受けて警察は排外主義者211名を逮捕した。ライプツィヒ市長(ドイツ社会民主党)はこのデモについて「自由通りにおけるテロ」「むき出しの暴力の他でもない」であると非難している。 リアム・フォックス元イギリス国防大臣はヨーロッパ連合に留まればイギリスにもリスクがあり留まる価値がない旨の発言を行った。 2016年1月下旬時点で既に900件近い被害届が出されており、そのうち約400件は性的暴行事件である。
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