事件後の千葉銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 01:05 UTC 版)
「千葉銀行レインボー事件」の記事における「事件後の千葉銀行」の解説
この事件の発覚後、「千葉銀行問題」として国会でも取り上げられ、古荘が参考人として招致されるなどしたため、千葉銀行の信用は大きく失墜。20億円(当時の総預金残高の5%に相当)の預金流出を招き、事件前地方銀行預金量順位で65行中11位だったのが事件後21位にまで転落した他、大蔵省から決算承認銀行に指定されるなど、1960年(昭和35年)代半ばまで業績は低迷した。更に参考人招致と前後して古荘が頭取を辞任、1958年(昭和33年)5月の株主総会で大半の役員も退任する事態となり、大蔵省や日本銀行から頭取や取締役を迎えざる得なくなった。特に第二代から第五代までの頭取は、実に約50年間にわたって日銀出身者が頭取を歴任するも、1997年(平成9年)にプロパーである早川恒雄が就任して以来、今日まで内部出身者が頭取に昇格している。
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