事件後の動き
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「麻生邸見学ツアー逮捕事件」の記事における「事件後の動き」の解説
デモの主催者らは「これは麻生氏の私邸に向かって歩くイベントでありデモには当らない。参加者が逮捕されたことは不当逮捕である」として抗議し、事件当時の様子を記録した映像を公開した。 主催者らは他にも、警視庁渋谷警察署警備課長と穏便に打ち合わせを行なっていたとする場面、逮捕前に私服警官が打ち合わせしている様子も公開している。 11月6日、逮捕された3人は起訴猶予処分により釈放された。 12月23日、週刊金曜日の執筆者である佐高信、鎌田慧、雨宮処凛らが参加した無届けの第二回麻生邸見学ツアーが開催されるが、デモ開始直後に「警察からの弾圧を受ける」と判断して解散した。 2008年10月29日、主催者側は「麻生でてこい!!リアリティツアー救援会」を結成。アジア女性資料センターなどの賛同を受け、逮捕された3人の釈放を要求する運動を開始した。また、雨宮処凛と湯浅誠が呼びかけ人となり「リアリティツアー不当逮捕へ抗議する文化人声明」が発表され、福島瑞穂、鎌田慧、上原公子、石坂啓などが賛同した。 2008年10月30日に鈴木宗男議員が「麻生太郎内閣総理大臣の自宅を見に行こうとしたデモ隊の逮捕勾留に関する質問主意書」を提出した。 同年11月13日には、衆議院第一議員会館にて「麻生邸拝見リアリティツアーの警察による強権的な逮捕を検証する!」と題した院内集会が行なわれ、国民新党の亀井静香衆議院議員と新党大地の鈴木宗男衆議院議員、作家の雨宮処凛が世話人として出席した。元警察官僚の亀井は「詳細は知らないが」と前置きした上で「やりすぎでは。逮捕しなければ暴徒化するとも思えない。やってはいけない職権行為をしたのでは」と述べている。 2008年12月5日にも河村たかし衆議院議員が、「麻生首相のお宅拝見ツアー参加者の逮捕勾留に関する質問主意書」を提出しているが、政府答弁によると「いずれも警察の捜査の具体的な内容等に関するものであり、今後の警察活動に支障を及ぼすおそれがあることから、お答えは差し控えたい。」とし、「警視庁渋谷警察署長の指揮の下で、現場における混乱及び交通の危険の防止等のために必要な警備活動」であったと説明するに留めた。 2010年2月26日に、逮捕された3人らは国と東京都に対して計400万円の損害賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した。弁護団には救援連絡センター運営委員である大口昭彦が参加している[要出典]。2014年12月には一審原告敗訴、東京高等裁判所への即時控訴も2015年9月8日原告敗訴、最高裁判所への上告も2016年7月21日、三行決定で棄却した。
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事件後の動き
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「チマチョゴリ切り裂き事件」の記事における「事件後の動き」の解説
日本全国の朝鮮学校ではこの事件報道をきっかけに「第二制服」が作られた。いわゆる普通の制服(ブレザー)である。1999年以降はほとんどの朝鮮学校で「第二制服」が着用されている。 詳細は「朝鮮学校#制服」を参照 日本政府は、人種差別撤廃条約に関連してこの事件に言及した。 また内田雅敏によると、1994年時点で「北朝鮮の『核疑惑』を理由として、日本国内において、またぞろ朝鮮人学生らに対する嫌がらせ、チマチョゴリの切り裂きなどの事態が頻発している」とされた。 同様の記述を田中宏も行っており、「北朝鮮の核疑惑が報道されると、94年4月ごろから、またまた『チマ・チョゴリ事件』が相次いだ。チマ・チョゴリは朝鮮人学校に通う女子生徒が着用しているが、通学途中、それが切られる事件がおきるのである」とある。
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