裁判と事件後の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:07 UTC 版)
「長崎市長銃撃事件」の記事における「裁判と事件後の動き」の解説
市長を銃撃した若島は殺人未遂罪等で起訴された。弁護側は、「銃撃は1発のみで左肩を撃っているから、殺意は無かった」として刑罰が殺人未遂よりも軽い傷害罪の成立を主張したが、動機からみて殺意があった事にまちがいないとして、1審の長崎地方裁判所も控訴審もこの主張を認めず、福岡高等裁判所が1991年9月7日に控訴を棄却し懲役12年が確定した。若島は2000年に刑期満了で出所し、その後2003年4月に長崎市長選に立候補したが落選している。 なお、正氣塾はその後も1991年3月1日に意見広告掲載拒否をめぐるトラブルから長崎新聞社と長崎地裁に対する銃撃事件などのテロ事件を起こしている。また2006年8月に発生した加藤紘一宅放火事件を正当化する趣旨の声明を発表している。このテロ行為賛美の姿勢であるが『自分らはテロ行為を否定できない。話し合いだけなら、市民団体になってしまう』という理論を主張している。現在でも団体のウェブサイトは、「過去の主な活動」とするコーナーにこれらのテロ行為を「実績」としている。
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