事件後の復活と少女への淫行容疑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 02:17 UTC 版)
「ロマン・ポランスキー」の記事における「事件後の復活と少女への淫行容疑」の解説
テートの殺害事件により、憔悴しきったポランスキーはロサンゼルスから、ヨーロッパへ戻った。しかし、1974年、『チャイナタウン』の監督を依頼され、アメリカに帰国。脚本家のロバート・タウンとラストをめぐり対立しながらも、完成した映画は高評価を得て、アカデミー監督賞にノミネート。ゴールデングローブ賞 監督賞と英国アカデミー賞 監督賞を受賞した。 ポランスキーはアメリカに絶望するが立ち直り、作品を撮り続けた。しかし1977年にジャック・ニコルソン邸で、当時13歳の子役モデルに性的行為(強姦・アナルセックス)をした嫌疑をかけられ逮捕、裁判では司法取引により法定強姦の有罪の判決(実刑 懲役50年以上という換算)を受ける。ポランスキーは法廷の外では無実を主張し、「これは冤罪であり、本人は少女とその母親による恐喝の対象になっていた」と述べている。 ポランスキーは42日間の勾留後、釈放されている。しかし、事件の担当判事がポランスキーを投獄後、国外追放にすることを示唆、再び収監する旨を地方検事と彼の弁護士に告げた。保釈中に逃亡したことが通説となっているが、正確には釈放後の国外脱出である。 ポランスキーは出廷を拒否。アメリカを捨てることを決意し、有効だったパスポートを手にロンドンへ渡航、その後パリへと移住した。以後、アメリカへ一度も入国していない。しかし、この件はアメリカの司法当局に遺恨を残し、チューリッヒでの身柄拘束に繋がることとなる。 1978年にフランスに移り、市民権を取得した。1979年の作品『テス』で主演をつとめることになるナスターシャ・キンスキーとは、彼女が15歳の頃から性的関係を結んでいた。2010年に女優のシャーロット・ルイスが「わたしもロマン・ポランスキーの被害者のひとり。彼は16歳のわたしに最悪の方法で性的虐待を加えた」と記者会見で公表、監督のアパートで虐待を受けたことを明らかにした。1989年に女優のエマニュエル・セニエと3度目の結婚をしている。 2017年、アーティストのマリアンヌ・バーナードは、10歳の時にカリフォルニアの海岸でポランスキーから裸になるよう要求され、淫らな行いをされたと証言した。ポランスキーは証言の内容を否定した。
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