趙甲濟とは? わかりやすく解説

趙甲濟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/21 09:46 UTC 版)

趙 甲済
各種表記
ハングル 조 갑제
漢字 趙 甲濟
発音: チョ・ガプチェ
日本語読み: ちょう こうざい
ローマ字 Jo Gap-je
英語表記: Cho Gap-che
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趙 甲濟(チョ・ガプチェ、1945年10月24日 - )は、韓国ジャーナリスト政治評論家作家歴史家。元『月刊朝鮮』編集長。保守系政治団体国民行動本部朝鮮語版」の創設者の一人[1]本貫咸安趙氏[2]名前に使用される漢字「濟」が日本では旧字体として扱われるため、マスメディアの配信する日本語記事や日本で出版された著作物では姓名を「趙 甲済」と表記している[3][4]

略歴

日本埼玉県生まれ。生後直ぐ韓国へ帰国し、釜山高等学校から釜山水産大学に進学するも兵役終了後に中退。1971年に国際新報(後の国際新聞)に入社して記者生活をスタート、1974年の重金属汚染追及報道などで韓国記者賞を7回受賞する。だが、朴正煕政権を批判して2度停職処分を受け、光州事件では、自ら取材しようとしたところを解雇に追い込まれている。その後、ソウルに移り、1983年に『月刊朝鮮』編集部入り。この時、朴正煕暗殺事件を取材したことを切っ掛けに、朴正煕を近代革命家として評価することになる。1991年に『月刊朝鮮』編集長となり2004年まで在任、その後はインターネットメディア「趙甲濟.com朝鮮語版」を足場に、言論活動を繰り広げている[1]朝鮮日報によると2019年5月時点で政治・社会・経済関連のYouTubeチャンネル116の中で同チャンネルは累計アクセス数1億319万回で5位に入る[5]

著作

編著

共著

監修

脚注

  1. ^ a b 鈴置高史 (2013年9月12日). “米国も見透かす韓国の「卑日一人芝居」”. 「親中反日」は韓国でも危ぶまれ始めた. 日経ビジネスオンライン. 2013年9月12日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ 창립66주년 정기총회”. hamanjo.com. 함안조씨 부산화수회 (2015年6月15日). 2022年9月1日閲覧。
  3. ^ 趙甲済氏「大統領と国務総理が軍隊へ行かなかった国」”. 中央日報 (2009年9月11日). 2020年3月30日閲覧。
  4. ^ 趙甲済代表の教養講座 落胆している大人たちへ(上)”. 保守は教養人 偉人伝を読もう 悲観も自虐も拒否. 統一日報 (2018年1月1日). 2020年3月30日閲覧。
  5. ^ 熱川逸 (2019年8月23日). “韓国の既存メディアへ異論 百家争鳴、保守論客がユーチューブで活躍中(1/2)”. コリアワールドタイムズ. 2020年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月14日閲覧。

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