経済特区と経済改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 09:35 UTC 版)
「朝鮮民主主義人民共和国の経済史」の記事における「経済特区と経済改革」の解説
北朝鮮は1990年代の深刻な経済危機からは幾分回復したものの、2000年代に入っても厳しい経済状況が続いた。このため北朝鮮当局は、経済問題解決のためにいくつかの対策を行った。その中で先に述べた羅津市、先鋒市一帯の自由経済貿易地域指定や、1998年に開始された韓国からの金剛山観光事業、同じく韓国企業を誘致して行われている開城工業地区事業、そして中国に隣接する新義州特別行政区のように、北朝鮮のちょうど四隅を「開放」して外資を導入する政策が実施された。これは外資導入によって外部の思想に「汚染」され、政権の動揺に繋がることを恐れた北朝鮮当局が、国の四隅に当たる部分を「開放」して経済の活性化をもくろみ、その一方で他の地域に開放の影響が及ばないことを狙ったと考えられている。しかし「開放」されたはずのそれぞれの地区内でも北朝鮮当局の干渉などによるトラブルが発生しており、外資の導入は思うように進まなかった。 2002年7月1日、北朝鮮は「経済管理改善措置」を発表した。これは公定価格と賃金の大幅引き上げ、労働者の賃金への成果主義の導入、配給制度の見直し、ウォンの切り下げ、そして企業の自主権拡大などを中心とする経済改革であった。しかし経済改革はあくまで社会主義経済原則の枠組みを堅持した上で進めることを目指したもので、この措置の結果、経済の活性化は思ったように進展しなかったが、インフレと貧富の格差が拡大した。これは壊滅的な経済破綻の結果、北朝鮮の農業も鉱工業も生産力が著しく低下している状況下では、労働者の働く場所と生産物自体が絶対的に不足しており、公定価格と賃金の切り上げや成果主義の導入も効果が薄く、結局外貨を入手できたり中国などから物品を調達できる一部の人々が豊かになり、物不足が続く中でインフレが加速して、貧富の差が拡大するようになったことによる。 2008年3月に趙甲濟は、「北朝鮮の実質的な一人当たりのGDPは300ドル」であり、「北朝鮮は経済統計を発表したことがなく、韓国側が非常に古いモデルで推計し、1000ドル程度と過大評価している」「もし北朝鮮住民たちが一人当たり1000ドルの所得を享受するようになれば、地獄から天国に移住したような衝撃を受けるだろう」と述べている。 2008年12月から平壌市において通話のみだが携帯電話の利用が可能になった。しかし購入の際に、利用目的などの書類の提出があったり、スパイとみなされ監視対象となったりするので、国民での利用者は少ないとされた。加入者数は2009年には7万人だったが、その後急増し、2011年末には100万人に達するという報道もされた。 2012年11月、北朝鮮で携帯電話事業を行っているエジプトのオラスコム社は、アメリカのフォーブス誌の取材で、北朝鮮の携帯ユーザーが今年2月の100万人から150万人に増加したと述べた。2017年3月に出されたアメリカ合衆国連邦政府出資による報告書によると、金正恩政権に交代して以降電子機器の普及が進み、携帯電話の利用者数は300万人を超え、また農村部においてすらテレビ及びDVDプレーヤーの所有が一般的になった一方、政府による深刻な通信の統制、監視、検閲がなされているとされている。
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