政権の動揺とは? わかりやすく解説

政権の動揺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:38 UTC 版)

平宗盛」の記事における「政権の動揺」の解説

安元2年1176年7月滋子死去したことで、今まで隠されていた平氏後白河法皇対立はしだい顕在化することになる。最大庇護者失った宗盛年末権中納言辞任するが、翌安元3年1177年正月重盛左大将になったことに伴い還任して空席となった右大将任じられた。両大将平氏独占するとなったが、宗盛滋子猶子であり後白河法皇との関係も良好だった後白河法皇2月3日宗盛拝賀に、殿上人遣わしている。 3月後白河法皇福原訪れたことで対立緩和されたかに見えたが、4月になると延暦寺加賀守藤原師高流罪要求して強訴起こす後白河法皇天台座主明雲解任配流とするなど、強硬な態度臨んだ。この事件重盛宗盛は、延暦寺との衝突を何とか回避しよう懸命になっていた。5月末に清盛上洛して後白河法皇会談行ったが、後白河法皇意思固く延暦寺攻撃決定される。その直後6月1日西光藤原成親らによる平氏打倒陰謀発覚する鹿ケ谷の陰謀)。 院近臣中核だった西光・成親が殺害されたことで、後白河法皇平氏への屈服余儀なくされる重盛義兄の成親が関与していたことで面目を失い政治的地位失墜させた。宗盛後白河法皇とは近い関係にあり、難し立場となったことに変わりはなかった。しかし、重盛事実上失脚態となったことで表舞台に立たざるを得ず、翌治承2年1178年4月権大納言になる。 5月24日徳子懐妊が明らかとなり、翌月には宗盛の妻・清子乳母選ばれた。ところが、清子腫物悪化して7月16日死去してしまう。この時、宗盛悲嘆のあまり右大将辞任している。11月徳子言仁親王高倉天皇第一皇子、後の安徳天皇)を出産すると、ただちに親王宣下立太子が行われた。宗盛右大将復帰して春宮大夫となったが、すぐに大夫地位花山院兼雅明け渡した。妻の死後宗盛政治への意欲失ったらしく、翌治承3年1179年2月には権大納言右大将辞任してしまう。宗盛精神的弱さとも言えるが、清盛後白河法皇対立の中で苦境陥ったことも理由一つ推測される

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政権の動揺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 08:27 UTC 版)

モハンマド・レザー・パフラヴィー」の記事における「政権の動揺」の解説

冷戦下において欧米日本など先進国との石油外交基礎にした深い経済関係元に進めてきた近代化政策は、1970年代中盤起きたオイルショック後急速な原油価格安定化もあり、破綻をきたし始めたそれに伴い国民の間での経済格差急速に拡大し政治への不満も高まり見せ1975年には皇帝求心力を保つために二大政党制廃止してラスターヒーズ党(英語版)(復活党)による一党制行いバザール商人はそのスケープゴートにされた。 アメリカ合衆国後ろ盾独裁強めシャー対す反体制運動は、ホメイニーはじめとするイスラム主義のみならずモジャーヘディーネ・ハルグイラン共産党(トゥーデ党)などソ連支援する左翼参加して激化し国内ではデモストライキ頻発したモハンマドテヘラン市内戒厳令敷き夜間外出禁止令発令するなどしてこれに対応したものの、ホメイニーなどが後からコントロールした事態収拾がつかず、拡大する一方であった。 この間1978年8月皇帝訪問した最後外国首脳である中華人民共和国華国鋒党主席会談した際には同行した黄華外相ソ連への対抗策議論しようとするも、モハンマド古代ペルシア占星術師の話を持ち出して自らの政権が続くという確信持てていないことを伝えた

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