権煕京
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権煕京
권희경
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生年月日 | 1928年2月19日 |
没年月日 | 1998年9月10日(70歳没) |
出身校 | 金日成総合大学 |
所属政党 | ![]() |
権 煕京 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 권 희경 |
漢字: | 権 煕京 |
発音: | クォン・ヒギョン |
日本語読み: | けん ききょう |
権 煕京(クォン・ヒギョン、朝鮮語: 권 희경、1928年2月19日 - 1998年[1])は、北朝鮮の政治家。元朝鮮労働党対外情報調査部長、元ソ連大使。
経歴
1980年に就任したソ連大使時代、金日成に外国の情報を報告していたことから、1987年の大韓航空機爆破事件の後、1990年に朝鮮労働党対外情報調査部(通称「35号室」)部長に任じられた。
張哲賢によれば、1997年、朝鮮労働党の黄長燁書記が韓国に亡命すると、北朝鮮の最高指導者金正日はこれに大きな衝撃を受け、対外連絡部長だった姜寛周、作戦部長の呉克烈、統一戦線事業部長の林東玉とともに呼び出され、黄長燁の暗殺を命じられた[2]。しかし韓国当局の警戒が厳しく、実行が困難に思われたため、韓国から黄長燁の同程度の重要人物を、自ら望んで北に来たような形で拉致せよという司令を受けた[2]。権らは、韓国天道教の指導者で金大中とも親しかった呉益済を1997年8月に拉致し、越北(北への亡命)に偽装させた[2]。
1998年には韓国で「北風事件」[注釈 1]が発覚して責任を取らされたが、ソ連大使時代の公金横領容疑と合わせて「ソ連のスパイ」容疑で金正日によって粛清された[1]。
脚注
注釈
- ^ 対峙する韓国情報機関から袖下を貰い、韓国の大統領選挙で保守候補に有利になるよう工作を仕掛けた事件
出典
- ^ a b “相次ぐ処刑の実態は金正恩委員長の「なめたらあかんぜよ!」(辺真一) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース 個人. 2021年3月2日閲覧。
- ^ a b c 櫻井よしこ (2009年1月8日). “小泉元首相は"拉致問題"で1兆円支払いを"密約"していた!”. 週刊新潮. 2025年8月22日閲覧。
関連項目
公職 | ||
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先代 不明 |
![]() 1980年 - 1990年 |
次代 孫成弼 |
先代 |
![]() 1990年 - 1998年 |
次代 |
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