権泰郁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 03:09 UTC 版)

権 泰郁(クォン・テウク、朝鮮語: 권태욱/權泰郁、1907年4月17日[1]または1910年10月15日 - 1981年6月11日または6月12日)は、日本統治時代の朝鮮の実業家、大韓民国の政治家。制憲・第2代韓国国会議員[2][3]。
経歴
慶尚北道安東郡出身。東京麻布中学校、中央大学予科・法学部卒。中央大学在学中に反日運動により収監されたことがある。卒業後は東京で歯科材料商を営んだほか、貧民救済事業を従事した。光復後は馬山工科学館長、馬山帰還同胞会長を務めた。1948年の初代総選挙で国会議員に初当選し、国会で米国へ渡航しようとした徐載弼を慰留した。第2代国会議員在任中に舌禍事件により30日間の出席停止処分を受けた。その後は自由党に入党し、1954年の第3代総選挙と1960年の第5代総選挙にも出馬したが、いずれも落選した。5・16軍事クーデター以後は1963年の旧自由党系人事が民政移譲声明を出した時に参加し、1972年に制憲同志会が10月維新を支持する声明の署名に参加した[2][3][1]。
1981年6月11日、持病によりソウル市江東区の自宅で死去した。享年75[5][2]。
脚注
- ^ a b “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年3月2日閲覧。
- ^ a b c 손동유, “권태욱 (權泰郁)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院) 2025年3月2日閲覧。
- ^ a b “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2025年3月2日閲覧。
- ^ “(41)안동 권씨” (朝鮮語). 중앙일보 (1982年11月20日). 2025年3月2日閲覧。
- ^ “制憲議員(제헌의원) 權泰郁(권태욱)옹”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1981年6月12日). 2025年3月2日閲覧。
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