権炳魯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/22 12:05 UTC 版)
権 炳魯(クォン・ビョンノ、朝鮮語: 권병노または권병로/權炳魯[1]、1903年5月14日 - 1988年5月11日)は、大韓民国の医師、政治家。制憲・第2代韓国国会議員[2]。
本貫は安東権氏[3]。号は荷汀(ハジョン、하정)[4][2]。キリスト教の長老[1]。
経歴
慶尚北道義城郡出身。私立ケシン学校、大邱啓聖中学校卒業。普成専門学校(高麗大学校)2年修了(中退)。医師免許試験合格後は医師を務め、故郷の義城で信新医院を開業した。光復後は大韓独立促成国民会幹部を務めた。1948年の初代総選挙と1950年の第2代総選挙で当選し、1952年に国会食糧対策委員会組織者・委員を務め、その後自由党員となった。政界引退後はまた故郷で医師として病院を運営し、1955年に義城郡丹北面にサムソン中学校を設立した。1972年、制憲同志会のメンバーとして10月維新を支持する声明を発表した[4][2][1]。
1988年5月11日、義城郡多仁面の自宅で老衰により死去。享年88[5]。
賞勲
脚注
- ^ a b c “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年3月22日閲覧。
- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年3月22日閲覧。
- ^ “(11)안동 권씨(安東權氏)-629,291명”. 금융소비자뉴스 (2014年7月21日). 2025年3月22日閲覧。
- ^ a b c 손동유, “권병노 (權炳魯)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院) 2025年3月22日閲覧。
- ^ “제헌 2代(대)의원 權炳魯(권병노)씨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1988年5月12日). 2025年3月22日閲覧。
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