開発から現在まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:33 UTC 版)
「ミュージックサイレン」の記事における「開発から現在まで」の解説
日本楽器製造が立地する浜松市は太平洋戦争中、軍需物資の生産拠点だったため、地方都市としては異例の27回も空襲を受け、空襲警報が毎晩のように鳴った。戦時中は楽器製造を休止し、戦闘機のプロペラを製造していた工場も、一連の空襲により全焼。戦後に再開した工場では終業時などの時を告げる際、従来のサイレンでは空襲警報を連想させるとして、当時同社社長だった川上嘉市が音階を奏でるサイレンを考案し、同社の技術者と共に1945年(昭和20年)から開発を行い、1950年(昭和25年)8月に4音階の試作機が完成。同年9月から、日本楽器製造本社工場4号館屋上にて試験運用を開始、1951年(昭和26年)12月20日にはさらに音階を14に増やしたミュージックサイレンの運用を開始した。また、本社のミュージックサイレンは、1953年(昭和28年)に駆動系統が改良されており、独特なデザインのミュージックサイレンとなっている。初めてミュージックサイレンが外販納入されたのは、1951年(昭和26年)当時の宮崎県の宮崎大学である。1950年(昭和25年)に開発されたものは一般的に「第1世代機」と呼ばれる。 ミュージックサイレンの音が鳴る仕組みは、第一世代は、 2枚1組の羽が2組(4音階)〜6組(12音階)、第二世代は4枚1組の羽が2組(8音階)〜6組(24音階)あり、羽がモーターによって高速で回転し遠心力で空気を圧縮し、発音機構であるシャッターの穴が開いた瞬間に、圧縮された空気が穴から放出され、シャッターのリードを振動させることで音が発生する。 第1世代機の演奏システムは、オルゴールの形状によく似た「音曲カム」という装置と、「鍵盤式スイッチ」を使用していた。「音曲カム」は、装置の動作がオルゴールと似ており、櫛状の金属板がドラムに付いている凹に下がることによって、金属板に繋がっているサイレンの電気式マグネットシャッターが開かれ、それぞれの音階ごとに分かれている金属板の動きによってシャッターの開閉が制御され、音楽が奏でられるという仕組みである。この自動演奏のほか、それぞれのシャッターに繋がっている鍵盤を押すことによって音が発せられる鍵盤式スイッチによる生演奏にも対応している。当然ながら搭載されている音階以外の鍵盤を押しても音は鳴らない。 1975年(昭和50年)に作成された第1世代ミュージックサイレンパンフレット資料の表のフレーズには、「サイレンが音楽になります さくらさくら、赤とんぼ、野ばら・・・・・・・・・メロディもいろいろ ヤマハミュージックサイレン」とある。ミュージックサイレンの紹介文は、「ヤマハの技術陣がサイレンの音楽化を願い、数々の研究を重ねて創りあげたのが、ミュージックサイレンです。始業・終業時に、あるいはお昼休みに、ミュージックサイレンから流れるメロディーは、なごやかな雰囲気をつくりだします。ミュージックサイレンは、いままでのサイレンにありがちな、冷たい感じをなくすだけでなく、企業のイメージアップに大きな役割をはたします。」 「サイレン独特な発音装置に、音階を与えて音楽化しました。お好みの曲を選ぶことにより、いままでのサイレンにはなかった、暖かい雰囲気が生まれます。操作はいままでのサイレンと、まったく変りません。スイッチの切替えひとつで、きまった曲目にすることも、付属の鍵盤でお好きな曲を弾くこともできます。必要に応じて、ただちに非常用サイレンとして、いままでのサイレンと同様に、使用できます。サイレンのメロディは数多くの曲目より、お好みのものをお選びいただけます。朝は、早春賦、昼は、春の小川、夕方は、蛍の光など時間に合わせ自動的にメロディを変えることもできます。」というものである。販売された機種は主に、 4音 8音 10音A、10音B、10音C 12音A、12音C の7種類が一般販売され、それぞれABCの種類ごとに搭載されている音階は異なり、演奏できる曲目も変わってくる。また依頼者側の要望などで搭載する音階を決めるカスタマイズ生産も一部されていた。演奏可能な曲目で、曲目をすべて挙げると、「菩提樹」、「埴生の宿」、「ブラームスの子守唄」、「吹け春風」、「野ばら」、「春の小川」、「家路」、「ヴォルガの舟歌」、「蛍の光」、「ロングロングアゴー」、「早春賦」、「茶摘み」、「ブンガワンソロ」、「アニーローリー」、「オールドブラックジョー」、「スワニー河」、「君が代」、「さくらさくら」、「旅愁」、「荒城の月」、「叱られて」である。1951年(昭和26年)の販売開始から、1982年 (昭和57年)の第1世代機生産終了までの間に合計で184台が生産、販売された。 1987年 (昭和62年)には、発音装置のシャッター駆動機構を電気式マグネットからデュアルエアシリンダーへと変更して装置サイズのコンパクト化を図り、演奏の基板を機械式の音曲カムからIC ROMにMIDIデータを記録する方式に改良した「第2世代機」が開発される。1989年(平成元年)に作成された第2世代機のパンフレットの紹介文は「今。コミュニケーションサウンドが、大切にされる時代ー。」に続いて、「社会のテンポが早まるにつれ、生活環境が次第に無機質なものへ変わろうとしています。街に緑が欲しい、きれいな空気にカラダをつつまれてみたい、と想いを馳せる方が多くなってきています。今、心の渇きをいやし、安らぎを得るために大切にしたいのが、人と人とのコミュニケーションではないかと考えます。ヤマハは、リズム感にあふれ、潤いに満ちた生活が営まれる事を願い、新しい「音の世界」をお届けします。オリジナル曲をはじめ、多くの人々に愛されてきたメロディが、やさしく とき を告げるコミュニケーションサウンド。メカトロニクス技術を駆使し、音楽の機能を持ったヤマハミュージックサイレンの誕生です。」の次に、「暮らしにリズムが生まれる。新しい音の深呼吸――ーーヤマハミュージックサイレン。」 「電子楽器・オーディオなどで培ったメカトロニクス技術を、サイレンの中枢部である発音システムに活かしました。従来のミュージックサイレンに比べ音域が大巾に広がり、音質も向上しナチュラルなサウンドをお楽しみ戴けます。さらに新開発の発音機構により、速いテンポの曲も演奏可能になりました。また長調、短調どちらも演奏でき、上位機種では、転調も行なえますので音楽としての豊かさが広がります。」という説明分が入る。同様に、8音C、12音A、16音A、24音Fが一般販売機種として記載されていた。「名曲をコミュニケーションサウンドに用意しました。」という項目から曲目をすべて挙げると、「朝」、「田園」、「ユーモレスク」、「埴生の宿」、「菩提樹」、「野ばら」、「アニーローリー」、「故郷」、「アラベスク」、「四季の歌」、「吹け春風」、「アマリリス」、「夏の思い出」、「我は海の子」、「小さい秋みつけた」、「家路」、「ブラームスの子守唄」、「月の光」、「シューベルトの子守歌」、「トロイメライ」、「中国地方の子守唄」、「峠の我が家」、「夜空のトランペット」、「赤とんぼ」、「故郷の空」、「君が代」、「蛍の光」が記載されていた。当然ながら、搭載されている音階によって奏でられる曲目は限られてくるため、この中に該当しない曲目を演奏している設置場所も多く見られた。1987年(昭和62年)の製造開始から、生産終了の1998年(平成10年)まで合計12台が販売され、主に町役場に設置されていた。 ミュージックサイレンは、サイレン特有の強力な発音機構を利用しているため、騒音問題や故障などで第1世代機同様に徐々に姿を消し、2022年(令和4年)現在、装置の現存(稼働、無稼働の両態を含む)が確認されているのは、第1世代機が4台(大分市トキハ本店、伊賀市旧伊賀市役所、大館市みちのく銀行大館支店、浜松市ヤマハ株式会社本社)、第2世代機が8台(八幡浜市愛宕山、宇和島市宇和島城、天理市天理プールに2台、岡山市岡山県庁、山県市山県市役所美山支所、岸和田市岸和田市役所、浜松市ヤマハ株式会社本社)のみとなっており、いずれも稼働状態にあるのは第1世代機が、大分市のトキハ本店、伊賀市の旧伊賀市役所の2箇所のみで、第2世代機が八幡浜市愛宕山の1箇所のみである。 第1世代機は、1982年(昭和57年)の三重県伊賀市役所への納入を最後に生産及び保守用部品の製造を終了し、その後は第2世代機へと切り替えられ、日本楽器製造株式会社からミュージックサイレンの製造を引き継いだ、当時のヤマハ株式会社FA事業推進部及び生産技術本部(現ヤマハファインテック株式会社)によって1998年(平成10年)に製造が終了され、2011年(平成23年)にメンテナンス業務が終了、2016年(平成28年)には、ミュージックサイレンのサポート業務の全面終了が決定。 [要出典]
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