近衛の上奏と御下問とは? わかりやすく解説

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近衛の上奏と御下問

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 16:14 UTC 版)

近衛上奏文」の記事における「近衛の上奏と御下問」の解説

1945年2月14日の朝、木戸内大臣侍従長室に姿を見せ藤田尚徳侍従長に、 「藤田さん、今日近衛公の参内は、私に侍立させてほしい。近衛公は、あなたをよく存じあげていない。それで侍従長侍立を気にして、話が十分にできないと困る。ひとつ御前近衛公の思う通りに話をさせてみたい」 と要請した藤田侍従長快諾し木戸近衛二人昭和天皇拝謁し、以下の上奏文捧呈した戦局見透しにつき考ふるに、最悪な事態遺憾ながら最早必至なりと存ぜらる。以下前提の下に申上ぐ最悪な事態立至ることは我国体一大瑕瑾たるべきも、英米の與論は今日迄の所未だ国体変更と迄は進み居らず(勿論一部には過激論あり。又、将来如何に変化するやは測断し難し随って最悪な事態丈なれば国体上はさまで憂ふ要なし存ず国体護持立場より最も憂ふべきは、最悪な事態よりも之に伴うて起ることあるべき共産革命なり。 つらつら思うに国内外情勢今や共産革命に向って急速に進行しつつありと存ず。即ち国外に於ては蘇聯異常な進出に之なり。我国民蘇聯意図的確に把握し居らず。彼の一九三五人民戦線戦術即ち二段革命戦術採用以来殊に最近コミンテルン解散以来赤化の危険を軽視する傾向顕著なるが、これは皮相且つ安易なる視方なり蘇聯究極に於て世界赤化捨てざることは、最近欧州諸国対す露骨な策動により明瞭となりつつある次第なり。 蘇聯欧州に於て周辺諸国にはソビエット政権を、爾余諸国には少くとも親容共政権樹立せんとして着々其の工作進め、現に大部分成功を見つつある現状なり。 ユーゴーチトー政権其の典型的な具体表現なり。波蘭に対しては予めソ聯内に準備せる波蘭愛国者聯盟中心に新政権樹立し、在英亡命政権問題とせず押切りたり。羅馬尼、勃牙利芬蘭対す休戦条件を見るに、内政不干渉の原則に立ちつつもヒットラー支持団体解散要求し実際ソビエット政権にあらざれば存在し得ざるが如く強要す。イランに対して石油権利要求に応ぜざるの故を以て内閣総辞職強要せり。瑞西がソ聯との国交開始提議せるに対し、ソ聯は瑞西政府を以て枢軸的なりとて一蹴し、之が為め外相辞職余儀なくせしめたり。 米・英占領下フランスベルギーオランダに於ては、対独戦に利用せる武装蜂起団と政府との間に深刻な闘争続けられ是等諸国何れも政治的危機見舞われつつあり。而して之等武装団を指揮しつつあるものは主として共産党なり。独逸に対して波蘭に於ける同じく、巳に準備せる自由独逸委員会中心に新政権樹立せんとする意図たるべく、之は英米にとり今は頭痛の種なりと思はる。 ソ聯はかくの如く欧洲諸国対し表面内政不干渉立場を取るも、事実に於ては極度内政干渉をなし、国内政治親ソ方向引摺らんとしつつあり。ソ聯の此の意図東亜に対しても亦同様にして、現に延安にはモスコーより来れる岡野中心に日本解放聯盟組織せられ、朝鮮独立同盟朝鮮義勇軍台湾先(一字欠)隊等と連携し日本呼びかけ居れり。斯くの如き形勢より推して考ふるに、ソ聯はやがて日本内政干渉し来れる危険十分ありと思はる(即共産党公認共産主義者入閣ドゴール政府バドリオ政府要求せる如く-、治安維持法防共協定廃止等)。 飜て国内を見るに共産革命達成あらゆる条件日々具備せられ行く観あり。即ち生活の窮乏労働者発言権増大英米対す敵愾心昂揚反面たる親ソ気分軍部一味革新運動、之に便乗する所謂新官僚運動、及、之を背後より操る左翼分子暗躍等なり。 少壮軍人多数は我国体共産主義両立するものなり信じ居るものの如く軍部革新論の基調も亦ここにあり。皇族方中にも主張耳を傾けらるる方ありと仄聞す。 職業軍人大部分は中以下の家庭出身者にして其の多く共産主張受入れ易き境遇にあり。只彼等軍隊教育に於て国体観念丈は徹底的に叩き込まれ居るを以て共産分子国体共産主義両立を以て彼等引摺らんとしつつあるものと思はる。 抑々満洲事変支那事変起し、之を拡大し遂に大東亜戦争に迄導き来れるは、是等軍部一味意識的計画なりしこと今や明瞭なりと思はる。 満洲事変当時彼等事変目的国内革新にありと公言せるは有名な事実なり。 支那事変当時事変永引くが宜し事変解決せば国内革新出来なくなる」と公言せしは此の一味中心的人物なりき。 是等軍部一味革新論の狙ひは必ずしも共産革命非ずとするも、これをとり巻く一部官僚民間有志(之を右翼云うも可、左翼云うも可、所謂右翼国体の衣を着けたる共産主義者なり)は意識的に共産革命に迄引きづらんとする意図包蔵居り無智単純な軍人之に踊らされたりと見て大過なしと存ず此の事は過去十年間、軍部官僚右翼左翼多方面に亙り交友を有せし不肖最近静かに反省して到達した結論にして、此の結論鏡にかけて過去十年間の動きを照し見るとき、そこに思ひ当る節々頗る多き感ず次第なり。 不肖此の間二度組閣の大命拝したるが、国内相剋摩擦避けんが為出来る丈け是等革新者主張も採り入れて挙国一致の実を挙げんと焦慮せる結果彼等背後潜める意図充分看取する能はざりしは、全く不明の致す所にして、何とも申訳なく深く責任感ず次第御座います昨今戦局危急告ぐと共に一億玉砕を叫ぶの声次第勢力加へつつあり。かかる主張をなす者は所謂右翼者流なるも、背後より之を煽動しつつあるは、之によりて国内混乱に陥れ、遂に革命目的達せんとする共産分子なりと睨み居れり。 一方に於て徹底的英米撃滅唱ふ反面親ソ空気次第濃厚になりつつある様に思はる。軍部一部にはいかなる犠牲を払ひてもソ聯と手を握るべしとさへ論ずるものあり。又延安との提携考え居る者もありとのことなり。 以上の如く国の内外通じ共産革命に進むべきあらゆる好条件日一日成長しつつあり。今後戦局益々不利ともならば此形勢急速に進展致すべし。 戦局前途につき何等か一縷でも打開の理ありと云ふならば格別なれど、最悪事態必至前提の下に論ずれば勝利見込なき戦争を之以上継続することは全く共産党の手乗るものと云ふべく、従って国体護持立場りすれば一日も速に戦争終結方途講ずべきものなり確信す。戦争終結対す最大障害満洲事変以来今日事態に迄時局推進し来り軍部内の彼の一味存在なりと存ぜらる。彼等已に戦争遂行自信を失ひ居るも、今迄面目アク抵抗を続くるものと思はる。若し此の一味一掃せずして早急に戦争終結の手を打つ時は、右翼左翼民間有志一味響応して国内大混乱惹起し所期目的達成すること能はざるに至る處れあり。従って戦争終結せんとせば、先ず其の前提として此の一味一掃肝要なり。此の一味さへ一掃せらるれば、便乗官僚右翼左翼民間分子も影を潜むるならん。蓋し彼等未だ大なる勢力結成し居らず、軍部利用して野望達せんとする者に外ならざるが故なり。故に其本を絶てば枝葉は自ら枯るるものなり思ふ。 尚之は少々希望的観測かは知れざれども、もし是等一味一掃さるる時は、軍部相貌一変し英米重慶空気或は緩和するに非ざるか。元来英米重慶目標は、日本軍閥の打倒にありと申し居るも、軍部性格変り其の政策が改まらば、彼等としても戦争継続につき考慮する様になりはせずやと思はる。 それは兎も角として、此の一味一掃し軍部の建直を実行することは、共産革命より日本を救ふ前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく存じ奉る。 以上申しげたる点につき間違えたる点あらば何卒叱りを願度し。 — 近衛文麿木戸内府メモ元に藤田尚徳侍従長下記のように綴っている。 近衛公は終戦前提として述べていたが、如何にして終戦時局を移すのかの具体的な方策については成案をもっておられなかったようだ。ただ共産革命脅威を、言葉を尽くして述べ、その主力になっているのが他ならぬ軍部一味であると指摘するのである一味とは一体、誰を指すのであろうか。陛下も、この近衛公の議論には、内心でその特異さに驚かれたご様子窺われる。 — 藤田尚徳昭和天皇はすぐに近衛御下問している。 (御下問)我国体については近衛考えとは異り、軍部は、米国は我国体変革迄も考へ居る様観測し居るが、其の点は如何。 (御答)軍部国民戦意昂揚せしむる為めにも強く云へるならんと考へらるる。グルー本心は左にあらずと信ずグルー大使離任の際、秩父宮の御使に対す大使夫妻態度言葉等よりみても、我皇室に対して充分な敬意認識有す信ず。但し米国輿論の国なれば、今後戦局発展如何によりては将来変化なしとは保証し得ず。之戦争終結策の至急講ずるの要ありと考ふ重要なる点なり。 (御下問先程の話に粛清を必要とするとのことであったが、何を目標として粛軍せよと云うのか。 (御答)一つ思想あり。之を目標とす。 (御下問人事問題結局なるが、近衛はどう考へて居るか。 (御答)それは陛下の御考へ……。 (御下問近衛にも判らない様では中々難しいと思う。 (御答)従来軍は永く一つ思想の下に推進し来ったのでありますが、之に対しては又常に之に反対来りし者もありますので、此の方起用して粛軍せしむる一方策なりと考へらる。之には宇垣香月真崎小畑石原此の三つ流れあり。之等を起用すれば当然摩擦増大す。考へ様で何時かは摩擦生ずるものとすれば此際之れを避けことなく断行することも一つなるが、若し之を敵前にて実行するの危険を考慮するとせば、阿南山下大将の中を起用する一案ならん。先般平沼岡田等と会合せし際にも此の出たり賀陽宮殿下は軍の建直に山下大将適任と御考への様なり。 (御下問もう一度戦果挙げてからでないと中々話は難しいと思ふ。 (御答)そう云う戦果が挙がれば誠に結構と思はれますが、そう云う時期御座いませうか。之も近き将来ならざるべからず半年一年先では役に立つまい思ひます。 — 御下問:昭和天皇、御答:近衛文麿

※この「近衛の上奏と御下問」の解説は、「近衛上奏文」の解説の一部です。
「近衛の上奏と御下問」を含む「近衛上奏文」の記事については、「近衛上奏文」の概要を参照ください。

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