組曲構成
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全5曲からなる。各曲の題名は元詩による。 花(ニ短調) 不眠(無調) 憧れ(ト長調) 熱(ホ長調) 喪失(ニ短調)
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組曲構成
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全9曲からなる。 再会女声版は平成29年度全日本合唱コンクール課題曲。 恋の詩でも読んだあとのように 早春 海辺で ほたるは星になった 落石 秋の午後 さびしい道 ふるさと
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組曲構成
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全4曲からなる。 疾走 交差点 風をとらえることができたなら わが里程標
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組曲構成
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全5曲からなる。全編無伴奏である。「ピエロの嘆き」のみ詩集の第2章「EX-VOTO(ささげ物)」から採られ、残りの4編は第1章「月光とピエロ」から採られている。曲順は詩集の掲載順に拠らず、清水の作曲上の構成によるものである。堀口も演奏会に寄せた文章で「五篇のピエロの詩篇は、もともと、作曲されることなぞまるで考えずに、相互の間の組詩風な関連性なぞも念頭に置かずに作った、個々独立した作品でした。(中略)胸に病を抱いて、異境万里の外にさすらう、泣き虫小僧が、自分の切々たる流離の吟懐をせめて、心で泣いて顔では笑うおどけた姿のピエロと、しめやかな月の光りとに托して歌いいでたものが、これらの五篇だとご承知いただけたらよかろうと思います。」と述べている。 月夜ト長調(以下、冒頭の調性は、すべて原曲の男声合唱版による。混声版においては、各曲ともすべて男声版より長2度下げられている)。冒頭のdoloroso(悲しく)はこの組曲全体を印象付ける発想(他の4曲には速度と強弱の指示のみで曲想に関する指示がない)。月の光の中で一人佇むピエロ。「しみじみ見まわせどコロンビイヌの影も」なく、涙をながすしかないピエロ。 秋のピエロイ短調。「秋じゃ秋じゃ」と歌う心も寂しい。「Oの形の口」は心の奥底からのひびき(dolorosoという言葉の母音も全てOである)。「身すぎ世すぎの是非もなく」(アポリネールはいわれのない罪を着せられ、ローランサンとの破局につながる)、おどけてみせるしかない。かなわぬ恋に「月夜」に続いて「なみだを流す」。上述の通り、1948年(昭和23年)度全日本合唱コンクール課題曲であり、後に1984年(昭和59年)度NHK全国学校音楽コンクール高等学校部門でも課題曲として採用された。 ピエロニ長調。「ピエロは月の光なり」。顔を真白に化粧して明るく装っているが、心はただただつらく寂しい。 ピエロの嘆きイ長調。「月の孀の父無児」(実際にアポリネールもローランサンも私生児であり当時のヨーロッパでは差別の対象であった)。お互いの境遇に同じものを感じていたのかもしれない。 月光とピエロとピエレットの唐草模様ト長調。現世ではかなわぬ恋、アポリネールとローランサンが運命の風に弄ばれている様を、男女のピエロが歌い踊り続ける情景にたとえている(詩中「ピエロ、ピエレット」という一体化した言葉が10回、曲中ではさらにそのフレーズが幾度も繰り返される)。
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組曲構成
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全3曲からなる。 時の狩人(ヘ長調) 樹よ(ニ短調) ひとつの朝(変ロ長調)
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組曲構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/31 08:58 UTC 版)
全4楽章である。 第1楽章イザヤ書40章1-5節、9-11節をテキストとする。ヘンデル『メサイア』にも同じテキストを用いた箇所がある。バビロン捕囚がペルシア帝国の入城によって終わり、ユダの民はパレスチナへ帰還することとなるが、「その第一陣がバビロンから祖国に向かって出発しようとしているところ」から曲は始まる。中間部では「「労苦」は五十年にわたる捕囚の苦役であろうか。それによって罪は償われたというのである。」となり、曲末「帰還の人々はいよいよエルサレムに近づき、使者たちはエルサレムに神の来臨を告げる。そして「お前たちの神を見よ!」と。」 第2楽章イザヤ書42章1-4節をテキストとする。曲中の「わたし」は神自身であり、それに対する「僕(しもべ)」は、「忍耐を以て救いを述べ伝える特別の個人であり、あるいは、自覚した第二イザヤ自身とも考えられている。」 第3楽章イザヤ書52章13節-53章10節をテキストとする。「第二イザヤの死をその弟子たちが描いたものとも解されている。しかし同時に、新約の、十字架上に「高められ、上げられた」イエスとと考え合わせてみると、初めて読む人も驚くのではなかろうかと思うほどである。」 第4楽章イザヤ書61章1-3節をテキストとする。「第二イザヤの弟子のひとりがその召命を語っているという見方もある。」
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組曲構成
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全7楽章である。 風が変イ長調。詩は作曲に際しての吉野の書き下ろし。「風に吹かれて舞い落ちる桜の花びらを見ていると、春が刻一刻弱くなっていくようだ。私たち人間も見えない時間に吹かれてやはり弱くなっていく。人々はそれに気付いて生きているのだろうか?」「この第一曲に題をつける話になった時、吉野さんは「<見えない時間>はどうでしょう」といわれた。この曲への○×式の答えは<見えない時間>が○であろう。しかし吉野さんは日本の四季を見事に、四連にそれぞれ書いておられる。私はさりげなく最初のことば<風が>を提案し賛成してもらった。」 みずすまし嬰ニ短調。「われわれ人間は分厚い日常という名の水面に浮いていて、もぐらないし、もぐれないままである。」 流れニ長調。「豊かでおおらかな流れ。その水流を噛む馬のように流れに逆らう岩。水中には強靭な尾で水を蹴り遡っていく魚。豊富な水流は、むしろ卑屈なものたちを、川下へ、川下へと押し流している。」 山がイ長調。「山の澄んだ空気。響き合うエコー。山の地方。遠近の山々。歌う人たちも聴く人たちをもその澄んだ空気の中へつれて行けたらという願いの曲である。」 愛そして風変ロ長調。詩は作曲に際しての吉野の書き下ろし。「枯草は、風が走ればそよぐが、風が去れば、素直に静まる。どうしてだろう?ひとだけは、過ぎた昔の愛の疾風に、いつまでも吹かれざわめき、その思い出を歌うことをやめない。」「高田作品にはめずらしいロマンティックな音楽が付けられているのは、愛の苦しさ、辛さ、哀しさ故ではないだろうか。」 雪の日にこの曲の中で持続されるフォルテは東北の雪のフォルテである。「しかしそれでもまだ足りないものがある。それは歌っている人全体が、生来「白」の性とともに空に生まれてきた東北の雪になり切ることではないだろうか?」「「自分で自分を欺くことだけは」という最後の願いすら自分の手に負えなくなってしまったかのように雪ははげしく降っている。」 「終結部に現われる最低音Fとその周辺の音の連打、そしてついにそのF音上に停止するピアノの伴奏型は、歌舞伎で用いられる(雪の太鼓)の効果音を、作曲者流にピアノに移しかえたものである。」 真昼の星ト長調。詩は作曲に際しての吉野の書き下ろし。「<雪の日に>でこの組曲を終わった方がよいと思った人も昔はあったが、今はすべての人が<雪の日に>の余韻の中で、この<真昼の星>のなぐさめを味わいながら、この組曲をきき了えてくれている。」
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組曲構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/20 14:08 UTC 版)
全2楽章である。 いま わたしがほしいのは「いま わたしがほしいのは 何も 見てない眼 何も 聞いていない耳 おしだまる口だ」と始まり、詩はパラドックス(逆説)が続く。「演出者の おのぞみどおりの ものになるなってやる」でffの頂点に達するまで登り、一筋の長いクレッシェンドの持続に合唱が持っていくが、直後バリトンソロは「わたしは やけのやんぱちではない」と静かに否定する。「いま はっきりと わたしは言える 言えるのだ」と結びに入っていく。 雲雀にかわれ高田は「ぼくはフーガを書いたんです。最後の『まことに高きものの名を呼びかわしつつひた舞い上がる雲雀にかわれ』というテクストによって。次から次に舞い上がっていく雲雀はフーガにピッタリなんですよ。高き者の名とは、ぼくにとっては神の名です。あるいは絶対者、超越者の名を呼びかわしながらです。」と語っている。 また、後年「ひとつのテーマ(テクストからいえば、ひとつのことば)にだけよって音楽を書いていく最も見事な方法はフーガである。私は前期の四行の、前の二行を主題とし、後ろの二行を対主題としてフーガを書いた。そして、これらの旋律は、これらの希望に満ち満ちたことばを刻一刻より一層高く舞い上がらせ続けながら、途中のAndante assaiとModeratoの四十五秒も入れて全部で四分間歌い続け、高揚し続けたのであった。だから、この昔からの手法でラヴェルも、メシアンもフーガを書いているのだと思うのである。」とも語っている。
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組曲構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 07:10 UTC 版)
全3曲である。 機織る星初演は京浜女子大学合唱団で、蓑田良子の指揮。ニ長調。平成21年度全日本合唱コンクール課題曲。 「天の川にへだてられた牽牛星(アルタイル)と織女星(ヴェーガ)が七月七日の夜、一年に一度だけ会うという中国の伝説、日本語では「たなばた」、織姫、彦星となつかしく呼ばれているものについてであるが、この詩は、甘い物語では全くない。」「真実だけを直視し続けたため、織女星はこの世を見る眼を失くしてしまったのだろうか。そして人でないこの星は、メラニン色素がないために太陽の光の痛さを耐えながら、運命として与えられたこの仕事、きょうも絹を織っているのであろうか。」 なお、44小節のrit.について、「その場だけでする方法と、次の小節までrit.を続ける方法が考えられます」とされるが、「a tempoが落ちている」と解釈する説が有力である。 櫛初演は浦和第一女子高等学校合唱団で、稲田浩の指揮。ト長調。 「ここでは、問うものはあなたで、あなた自身の必死といってもいい問題。答えるのもあなたで、あなたの全力を挙げた心からの答え。人ごととして歌っていては、この曲の真意は体得できない。」 花野初演は四大学女声合唱連盟で、高田自らの指揮。 「なくてはならないもの、過酷なもの、悲しいもの、やさしいもの、すべて耐えなければならない宿命の歌である。」
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