矢作川
調和のとれた流域圏の軸となる美河
(注:この情報は2008年2月現在のものです)
矢作川は、その源を長野県の中央アルプス南端の大川入山(標高1,908m)に発し、愛知・岐阜県境の山岳地帯を流れて、巴川を合流して三河平野に出て、岡崎市で乙川を合流し、河口から12km付近で矢作古川と分派して三河湾に注いでいる流域面積1,830km2、幹川流路延長117kmの河川です。 |
豊田市中心部を流れる矢作川 |
河川概要 |
| ○拡大図 |
1.矢作川の歴史 |
"矢作川は、1605年に徳川家康の命により、下流部の台地を開削し、今の矢作古川から川を付け替え、現在の川筋が概ねできました。また、矢作川は砂河川であるため、堤防の洗掘を防止するため、堤防法面となじみの良い、伝統工法の柳枝工護岸が多く施工されています。" |
矢作川の治水と砂河川の歴史 |
矢作川流域は、6市12町7村からなり、流域内には約69万人(平成7年)の人々が生活しており、治水対策や明治用水の整備等により、自動車産業を中心として発展した豊田市、また繊維、科学、機械工業、「日本のデンマーク」と呼ばれるほどの優良農村等を中心として発達した岡崎市や安城市、西尾市、碧南市を中心とする西三河地帯一帯の主要地区を包含し、社会・経済・文化の基盤を成しています。
記録では、1399年に、今の岡崎市に六名堤が築かれたのが治水事業の始まりで、1452年~1455年の間に、西郷弾正左衛門が岡崎城の築城にあわせ堤防を築き、流れを固定させました。その後、徳川家康が1605年に米津清エ門に命じ、下流部の台地を開削し、今の矢作古川から川を付け替え、現在の矢作川の川筋が概ね出来上がりました。 このような歴史の中で、西三河は、矢作川の恩恵を受け、大いに発展してきました。
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2.地域の中の矢作川 |
"矢作川は、周辺住民が散策などに利用するなど、憩いの空間として親しまれており、桜の名所、鮎釣り、花火大会、川まつりなど、季節の風物詩ともいうべき利用が多いのも特徴です。" |
憩いと恵みを与える矢作川
河口部の干潟は野鳥の宝庫となっており、野鳥の観察会等が開かれています。その他、河口部には、ウインドサーフィン、ジェットスキー、プレジャーボート、ウルトラライト・プレーンモーター・パラグライダー(有人軽量飛行機)等、休日ともなれば市外からも多くの若者が集まってきます。また、河口部は川から海へと広がりを見せる地域で、朝・夕の美しい風景は訪れる人の心をなごませるものがあります。
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3.矢作川の自然環境 |
"矢作川は砂河川であり多くの砂州が発達し、瀬や淵が連続して見られるとともに、柳枝工などの伝統工法を積極的に活用し多様な自然環境が保全・形成されています。魚類では、スジシマドジョウ、アカザ等が確認されており、鳥類では、オオタカ等が確認されています。また、高度成長期に白濁していた水質は「矢作川沿岸水質保全対策協議会」等の水質保全の活動により近年は改善されてきました。" |
自然環境豊かな豊川
中流域では明治用水頭首工付近の水源公園に約1000本の桜が植えられ、一帯は桜の名所となっています。下流における矢作川は、概ね東西方向に流れることから、夕日や朝日が水面に映え、三河湾や美濃三河高原などの山並みとあいまって、美しい景観を見ることが出来ます。 矢作川の動植物については、上流部の渓谷や渓流にはアマゴやアブラハヤなどが生息しています。中流部では砂州が発達し、瀬や淵が連続して見られ、アユの産卵場が分布し、水際の植生帯やワンドにはスジシマドジョウ、アカザ、メダカなど多様な魚類が生息しています。陸域にはヤナギ林やマダケ林が生息し、クロコムラサキなどのチョウ類も多く見ることができます。また、絶滅危惧種に指定されているオオタカも確認されています。下流部は河岸に干潟が見られ、シジミ漁が行われていますが、カモ類やシギ、チドリ類などの休息や採餌場となっています。また、コアジサシやミサゴが魚を捕る姿も見ることができます。
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4.矢作川の主な災害 |
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
矢作川と同じ種類の言葉
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