発生以後の経緯
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「ボーイズラブ#歴史」も参照 女性作者による男性同性愛を題材とした創作作品、という広い意味ではやおい系作品の起源は19世紀の小説までさかのぼることができるが、大衆文化として認識されはじめたのは消費社会化が進んでからである。 少女漫画の世界では、初期の段階(1960年代から1970年代)から性別越境的な要素を含む作品が存在しており、例えば手塚治虫の『リボンの騎士』に登場するサファイアや池田理代子の『ベルサイユのばら』に登場するオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェは「男装の女性」と設定されている。このほか、1970年代には『真夜中のカーボーイ』『ベニスに死す』といった男性同性愛描写を含む映画がヒットするなどしていた。 少女漫画で初めて少年同士の恋愛を描いたのは1970年の竹宮惠子の『サンルームにて』であり、その後1970年代には「花の24年組」と呼ばれる少女漫画家たちが登場する。彼女らによる少年同士の恋愛を描いた漫画(竹宮惠子の『風と木の詩』、萩尾望都の『トーマの心臓』、山岸凉子の『日出処の天子』など)や森茉莉などによる耽美小説と呼ばれる美少年文学が、やおいが出現する直接的な背景となった。ただしこの頃の少年愛ものの漫画では「少年愛の持つ背徳感」に力点が置かれていたのに対し、この後登場するやおい系作品ではなんの疑いもないものとして同性愛が描かれているという違いがある。また性描写の表現にも差異が見られる(#ポルノグラフィ的側面を参照)。 1975年末には、第1回コミック=マーケットが開催された。参加者の9割は当時の少女漫画ファンの女子中高生であり、三崎尚人は、これは少女漫画ブームを反映したもので、コミケに来る女子イコール腐女子とは言えないと述べている。当時の同人誌は、既存の物語の友情を性愛に読み替えるといった要素は薄かったが、すでにやおい的な男性同性愛を主題とした女性向け同人誌が存在していた。とくにエポック・メイキングとなったのが、C1の実質的な主催者であったまんが批評集団「迷宮'75」による漫画批評誌『漫画新批評大系』創刊準備号(1975年7月)に掲載された『ポーの一族』の下ネタパロディ『ポルの一族』である。この作品はコミケにおけるパロディ・二次創作の源流とみなされており、同作が大ヒットしたことによって、やおい系のパロディ同人誌が続出する大きな契機になった。なお、こうした作品は当時「ホモねた」という通称で呼ばれていたという。後に『ポルの一族』作者でコミックマーケット準備会初代代表の原田央男は「予想外の結果をもたらすことになったのが『ポルの一族』で、受けたと同時にそれまで同人誌にはほとんどなかった、パロディまんがが続出。さらに下ネタの材料としたホモセクシュアルな描写で、読者の歓心を買う作品が次々と出現するに及んで、今ではまるで『やおい』まんがの元祖扱い。同時期にやおいの先駆的同人作品がすでに現れていたため、そこまで認めたくはないのだが、流行をあおったと言われれば確かに返す言葉がない。(パロディが)原作をより楽しむための方法を新たに広めてしまったこと、即ちパロディの一つのスタイルを開拓してしまったことは認めざるをえないわけで、それについては今も複雑な思いがする」と著書『コミックマーケット創世記』(朝日新書)の中で述懐している。また原田は同人誌即売会という場を漫画ファンに与えただけではなく、パロディといった「まんがの遊び方」を教えてしまったことで、結果としてコミケは主催者の予想をはるかに超えて展開・成長していったと記している。 1978年には「迷宮」の集会に参加していた佐川俊彦 の企画で美少年(男性同性愛)をテーマとした雑誌『JUNE』がサン出版から創刊され、やおい的表現が商業的な媒体に登場することになる。『JUNE』誌上では1980年代から竹宮惠子や中島梓による漫画・小説の指南コーナーが連載され、これが後に多数の優秀な作家を生む基盤となった。ただし『JUNE』上には女性の同性愛や両性具有を題材とした作品も発表されており、完全に男性同性愛に特化していたわけではない。 @media all and (max-width:720px){body.skin-minerva .mw-parser-output div.mw-graph{min-width:auto!important;max-width:100%;overflow-x:auto;overflow-y:visible}}.mw-parser-output .mw-graph-img{width:inherit;height:inherit} コミックマーケット・主なジャンルの割合推移 J9、 GM、 C翼、 星矢、 うる星 コミックマーケット・頒布800冊以上のサークル数 1979年には、前節で述べたように「やおい」という表現が発生したが、当初は男性同性愛テーマにした作品を指す言葉ではなかった。やおいは1980年代後半には定着したとされる。この頃のやおい系同人誌の原作アニメとして人気のあった作品には、1978年放送開始のアニメ『闘将ダイモス』、1979年放送開始の『機動戦士ガンダム』、1981年放送開始の『銀河旋風ブライガー』・『J9シリーズ』・『六神合体ゴッドマーズ』などが挙げられる。これらはいずれも少年向けのロボットアニメであり、キャラクターとしては『闘将ダイモス』のリヒテル、『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルとガルマ・ザビ、『六神合体ゴッドマーズ』のマーグといった人物が取り上げられた。 ただし三崎尚人は、『六神合体ゴッドマーズ』の時点では、同人誌は市場と言えるほどの広がりはなかったと述べている。 この時期にはやおいがアニメ雑誌以外のメディアで取り上げられることはなかった。1980年代前半にはアニメ雑誌『アニメージュ』上でも、若年層を主要なターゲットとしていることもあって過激な性描写を含む作品も存在するやおい的な同人誌の情報は扱わなくなった(背景には吾妻ひでおらの『シベール』を起源とする男性向けのロリコン系同人誌の表現が問題視されていたこともあった)。それによって同人誌についての情報を入手するには同人即売会に足を運ぶ必要性が生じ、コミックマーケットの来場者数は大きく増加する。 1984年頃から漫画『キャプテン翼』を題材としたやおい系同人誌が大量発生し、やおいというジャンルが大きく飛躍するきっかけとなった。1986年の夏のコミックマーケットの売り上げの半分は『キャプテン翼』の同人誌が占めたとされる。これを機に「受け」「攻め」の概念(#カップリング)も整理され、後述する「週刊少年ジャンプなどに連載される少年同士の友情物語を性愛に読み替える」というスタイルが定着する。 1988年には『サムライトルーパー』が放送され、女性系同人誌市場は量的に大きく拡大した。また、当時の同人誌はレイティング(R指定や18禁などの年齢規制)がなく、誰でも通販で購入することができた。同人誌には新刊や既刊の紹介があり、その際エッチシーンが含まれる作品には「やおいあり」または「や(○の中に「や」)あり」と説明する作家さんが大半だったため、濡れ場シーンのある作品を「やおい本」と呼んでいた。 阿島俊(米沢嘉博)『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 : 状況論とレビューで読むおたく史』(久保書店)には、コミケットの主催者でもあった米沢が美少女コミック誌『レモンピープル』(あまとりあ社)誌上で報告していた当時の同人誌即売会の状況がまとめられている。以下に一部を示す。 レモンピープルの号抜粋1985年8月号 コミックロフト参加のサークルでは、アニメFCと少女マンガ系が目立った。いわゆる美少女系やエロ物は少なかったようだ。アニメFCでは「キャプテン翼」系が増加していた。噂では夏のコミケットには200近いキャプ翼サークルが参加するらしい。「J9」「ゴッドマーズ」に続く第3の勢力となりそうだ。(81頁) 1986年3月号 はっきり、ここは女の子オンリーだ。そして、何故うけたかというなら、スケベ、ホモをパロディに出来る少年キャラクターが、そこに沢山いたからである。それらの中には、かなり過激なものもある。なんてことはない。ロリコンとまったく同じ構造なのだ。(中略)もはや、キャプ翼軍団は、しばらくは止めることができないに違いない。かつて女の子達がロリコンに眉をひそめながらも、それを遠巻きにして見守るしかできなかったように。(89頁) 1986年7月号 女の子達の間での「キャプテン翼」人気は相変わらずすごく、某即売会では、一階分マルマルキャプ翼だったりしたそうだし、夏のコミケットにも1000近いキャプ翼系サークルの申し込みがあったとかいう話も聞いた。ひとくちに1000といっているが、それはコミケット参加サークルの2~3割にあたる。ロリコンブーム最盛期の頃ですら、ロリコンサークルの割合は1割以下だったことを考えれば、まさしく異常人気といえるだろう。(95頁) 1986年11月号 キャプ翼ジャンルは相変わらず人気を集めていたが、それに星矢ジャンルが加わった形でシーンは作られていった。(中略)若い女の子たちは、手に入れた「やおい」という方法論と同人誌というメディアで、さまざまな遊び、実験を行い、熱狂の祭りを作り出し、同人誌界そのものを盛り上げていったのである。(103頁) 1990年代には、やおい系同人誌で活躍していた作家がスカウトされて商業ボーイズラブの方面に活動の場を移すという傾向が生まれた。『キャプテン翼』と同じく週刊少年ジャンプのスポーツ漫画である『SLAM DUNK』によってやおい同人誌の市場は拡大し、ゼロ年代に入ると『テニスの王子様』の人気によって若年層(小・中学生)の愛好家も増えていった。また、『機動戦士ガンダムSEED』以降のガンダムシリーズのように、腐女子層を意識しているとみられるキャラクター設定で作品が制作される例もでてきた。1998年頃からはインターネットの普及に伴い、同人サークルがホームページを次々と開設し、ネット経由の愛好家が増えていく。このほか、1980年代後半から1990年代前半にかけては女性の間でゲイを描いた映画作品が人気を集めるなどする「ゲイブーム」があった。 ゼロ年代半ば頃から『電車男』のメディアミックス展開を機に主に男性のオタクに対する注目が集まったが、2007年頃から、腐女子ややおい・ボーイズラブといった文化もメディアで取り上げられることが多くなった(腐女子も参照)。また、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ゼロ年代前半頃からは腐男子・腐兄といった用語の浸透とともに男性の愛好者も増加し、その存在が認知されるようになった。[要出典]
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