梅原千代の手記
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昨日までの日記、手紙類一切、風呂の竈に押し込んで焼きすてた。二十五年の悔い多き生涯はこれで消えてしまった。今日から後のは遺書である。北海道からの来信も父が病気で、継母は自活をと冷たい。微熱を終日感じながら病気を移され、嫉妬の憤りをしている夫人の看護をする。かすかな跫音がするが、扉に鍵をおろし、二三度ノックがあったが永遠の拒否をする。今村先生は薄志弱行の人。先生の理屈は魅力だったが、ただ理屈しかない。今村先生に、自分を家から出して貰うことを懇願する。売れるものは本百冊と着物五枚と、母親の形見のダイヤモンドの指輪だけである。自殺だけは嫌である。妻は永くないと先生は言うが、残酷でエゴイズムだ。夕方に落ち葉の音を聞くと、北海道が懐かしくなる。父に会いたい。自分の病気は誰も知らないので、近いうちにレントゲンを撮ってみようと思う。 五日後に不思議な運命の巡り合わせがあり、先生の手紙を持って午後、三景書房に訪問すると、面識のある先生の悪友で、先生の家に二三度泊まっている神坂四郎氏とともに外出し、目黒の紅葉館アパートの一室で、無理矢理金を握らせて先約をキャンセルさせたと説明を受ける。その後、近所の中華料理屋で夕食をご馳走に。今村先生より転居費用に三万円、アパート生権利が二万円、残りの一万円を渡される。用があったら、三景書房にと名刺を渡される。若くて誠実で、愕くほど行き届いた人だ。今村にはもう会うまい。九時に就寝しするが、自活方法を考えなければならぬ。ストレプトマイシンという注射で肺病は治るらしいから治りたい。 神坂はそれから何度も自分を訪問し、果物の籠や転居証明とお米二升、小型のラジオを持ってきてくれ、自活後の職業でも相談に乗ってくれた。梅原千代という偽名も与えてくれた。その間、発熱したりもし、孤独のつらさを感じもした。千代というのは、神坂氏のの以前の愛人の名で、その愛人が忘れられないから今も独身だと語っていた。占い用のトランプを買い、日向の窓で一人占いをしていたら、素晴らしい辻占。その途端に神坂から電話がかかてきて、風邪で休んでいたとのこと。夕方七時位に約束通りやってくるが、顔色が蒼く痩せていた。五日間、禁酒したというので、ちょうとお酒の配給をもらったところだったので、土瓶で熱燗を出した。アパート暮らし長く、家庭的な雰囲気が嬉しいと語り、九時半に帰っていったが、握手した手を離せず、彼の胸に身を投げてしまった。ここへ来るまでは死を望んでいたのに、嬉しくてたまらない。 出勤する神坂を送り出して一時間位で追いかけてゆきたいよう物狂おしい気持ちになった。昨夜と同じように抱いて欲しい。夜が待ちきれない。熱があっても。死が迫っているというのに。自分は限度を知っている。はやく別れなければ。不幸に引き離される前に。仕事を見つけよう。 恐ろしい経験。昨夜、彼は自分と結婚したいと言った。私たちはとっくに結婚してしまったではないか。今はお別れするときだ。病気はこの十日で進み、息切れと立ちくらみがする。あの人は自分のために、自身の生活を壊してしまったのではないか。母親の形見のダイヤの指輪を売るように頼んだが、売ったら淋しくなる、持っていなさい、破産したら借りに来る、と言った。病気の話をしたら、分かっている、近いうちに赤十字病院へ行き、転地すればいい、病気は必ず治るものです、と。本当に治るのだろうか。治るならば是非とも結婚して欲しい。 私の幸福は尽きた。その予感はあったのだが、赤十字へ連れて行ってくれるというので、昼食を渋谷のレストランでし、外へ出ようとしたら入れ違いにはいってきた女が、「奥さんも坊ちゃんもお変わりございませんの」と言った。私は一刻もはやく彼から逃れたかったので、渋谷の人混みの中に歩いていったが、。彼は黙ってついてきた。部屋の入口で私は握手を求めて、永い間有り難うございました。もう別れですと言ったが、彼は私が誤解している、嘘をついて悪かったが、あの女は二年前のことを言っている。二年も別居していて、離婚手続きをすることになっていると言った。私には神坂が嘘を言っていることが分かる。男はみな卑劣な人ばかりだ。たまゆらの幸福も今日で終わった。今は洞穴のような空虚な心で、虚無とはこんな気持ちなのかも知れない。 その後、午前十時から十時半の間に彼は必ず来たが、十時になると跫音を待ち、帰って行くとほっとして眠る。肺病の女に何の用があるのか。憐憫か。葬式をしてくれるのか。お金もお米もないので、ダイヤを売りに行こう。その間に外出し、教えて貰った彼の住所へゆくと、そのアパートで、彼には妻子がおり、昨夜はそこへ帰ってきていることが分かった。 孤独に負けて、五日目、扉を開いた。彼は弁明した。私は一人ではいられなかっただけだ。裏切り者でも卑劣漢でもいいから、人間の傍にいたいだけだ。妻と離婚して自分と一緒にいたいという。近いうちに三景書房の副社長になるから転地療養の費用を工面できると。彼に愛情があるのだろうか。五日も無駄足をしたのは愛情だろうか。何でもいいから信じていたい。ダイヤを売るように頼み、二十万円だったら嬉しい。療養所で静かに死のう。愛撫を拒みきれず、病も重くなる。この数日二時頃まで眠れない。催眠剤を飲んでみようか。 北海道より父が会いたがっているという来信があり、自分の写真でも送ることにしよう。神坂氏が見え、ダイヤは模造品なので二千円にしかならないと言う。そんなはずはない、父が第一次世界大戦の好景気の頃耕地を買い足そうとして、母と相談して指輪を売ろうとしたことがあり、日華事変の初期に函館の宝石店で当時の金で千五百円すると保証されていることを覚えている。その時は耕地の持ち主が手放すのをやめたのでそのままになった。今なら15万円にはなるはず。父が先になくなれば新民法で多少の遺産にはなるかも知れない。 神坂が勤めに出る時に二千円置いていったが、貰いたくない。ダイヤが売れたら返すと約束。昨夜も眠れず、午前二時、神坂の寝顏を見つめていたら、憎悪と嫉妬で胸が掻き乱されるな感じで、腕に絆創膏が貼ってあり、結核の予防注射をしたと聞かされた。もう泊まらせるのは、神坂夫人のためにもやめよう。催眠剤を買った。 春めいた日。朝に散歩で坂道で息が切れる。夏まで生きられるか。三日催眠剤を飲んだが効果無し。午後三時三景書房に電話し、ダイヤのことをたずねると、上野の宝石屋に預けてあるから明日行ってみようと返事があった。 夕方、神坂氏が見え、宝石屋は定休日だったので二三日中にまた行くとのこと。三浦御崎に療養所在り、友人の紹介ではいれそうだから行ってみてはと勧められ、ダイヤの資金でどうにかなるのでは、と。もし偽物だとしても自分が二万円位で買うという。九時頃、無理に帰らせるが、その後二度目の喀血があった。 朝十時、神坂氏が来て、ダイヤは偽物だったと返してくれた。生きる望みはこれで絶えた。二千円なら米一斗あるかなしだ。それだけの命。催眠剤を多量に買おうか。帰り際にダイヤを自分に売らないか、と。二万円あれば少しは生きられる。自分にはダイヤが偽物だとは信じられない。せめてこれを指にはめて死のう。金の問題があるから真贋が問題になる。 自分は怠惰な女だ。病気治療も、自殺も、職業もなおざりにして、彼の好意でグズグズ生きている。北海道へ帰って、母の傍らで死のうか。眠れないという話をしたら、良い催眠剤を探すという。いくらか日が長くなった。黄昏を見て悲しくなって泣いた。なぜか分からぬが、自分はあの人の好意や愛情を信じてはいない。あの人は私を偽っているようだ。 夜七時、神坂氏が来て、二万円の包みを出される。私が自分に必要なことをしないので、強制的に事を運ぶと、明日は日曜で、御崎へ行って話をつける、と。それも良いかもしれないと思う。暖かい療養所で美しい海を見ながら若い命を終わるのも。しかし、私はあの人の好意を受けたくない。私はもう一度自分で宝石屋へ行って見たいというと、神坂氏は、僕を信じないのかと怒った。この人とも縁が切れそうだ。もう孤独も怕くない。 神坂氏が来て、昨日は腹を立ててすまない、もう一度新宿の大きな宝石屋へゆくという。指輪をむだだと思ったが返す。終日頭がぼんやりして物事が考えられない。西行のように如月の望月のころに花の下で死にたいと思う。 療養所の件を正式に断る。私はもうはやく死にたい。あの人はわたしの肩を抱いて、一緒に死のうという。あの人には死ぬべき理由はないのに。食べ物を買いに外へ出るのが一番辛い。ダイヤは駄目だったので、帰してくれた。あきらめなさいと優しくいう。 あの人のすることには虚偽がある。もう会いたくない。午後、銀座の宝石店に寄ったところ、二十七万円で買うと言われた。もう一軒寄ったら、二十八万円。御崎の療養所に行けます。現金で三万円で、二万円は神坂に返し、あとは銀行に預ける。安心したせいであまり熱も出ない。何のためにあの人は嘘をついたのか。お金で女の心を縛っていたのかもしれない。このアパートでのあの人の好意には計画があったのかもしれない。実行力はなかったにしても、今村先生の方が人間としては尊敬に値する。先生には苦悶があったが、神坂氏には苦悶がない。商売人みたいな男だ。もはや偽りの愛情にすがらなくてはならぬほど、私は弱くはない。 神坂氏、半月ぶりに見える。ダイヤが売れたと語ると愕いていた。二万円は受けとろうとしない。無理に渡す。今村先生が私のことで神坂氏に立腹している。そのため、三景書房の社長に中傷され、近いうちに社をやめないといけないことになりそうだ、と語る。今村先生はそんなに卑怯だったのか、先生に会わせてくださいとお願いするが、引き受けにならない。療養所の件を頼むが、今までそこに勤めていた友人が千葉の病院へ行ってしまったので、手がかりがなくなったと言う。夕方、うとうとしていたら、父が訪ねてきたような気がした。北海道で父が死んだのかもしれない。生と死の境目の扉が開かれているような気がする。 暖かい雨。自炊をする労力も耐えられない。療養所を探して貰うつもりだ。夕方に神坂氏が見え、死後、北海道へ知らせてあげるから、宛名と遺書を書きなさい。わたしが死んだら、自分も死ぬ、同じ事なら一緒に死のうか、という。死ぬ理由として、妻を愛せず、仕事はうまく行かず、私に死なれたら生きる希望がない、と。出版社をやりたいけれども、資金を出してくれる人もいない。一時間、独りでウイスキーを飲んで帰った。 隣の小母さんが粥を欲しいといい、従弟がつとめている中野の療養所へ相談してみようか、と言われ、お願いした。夕方に神坂氏にそのことを知らせたら、反対された。治る見込みもないのに、行く必要はない、と。私は死にに行くつもりだと答え、現金を出すために印と通帳を渡す。隣の小母さんは療養所にいつでもはいれると返事。電話で部屋を約束する。神坂氏見えず。 神坂氏が来ないので、お金がなく、ここから出て行くことも出来ない。夕方小母さんに頼んで電話して貰ったら。神坂氏は三景書房をやめたという返事。 神坂氏見えず。小母さんに頼んで、神坂氏のアパートへ行っていただく。三日ばかり帰っていないという返事。あの人はお金が欲しかっただけかも知れない。お父様八重子はもう死にそうだ。 夜八時、神坂氏お金をもって来てくれた。旅行していたとのこと。今日は泊まる、嬉しい。誰かがいてくださるだけで嬉しい。
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