占領軍等の犯罪とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 占領軍等の犯罪の意味・解説 

占領軍等の犯罪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:21 UTC 版)

連合国軍占領下の日本」の記事における「占領軍等の犯罪」の解説

占領期日本における強姦」も参照 連合軍統治下、外地から引き揚げようとしていた民間人が、満州国日本の占領地域侵略してきたソ連兵朝鮮人中国人から、虐殺強姦強制拉致監禁強奪などの激し被害を受け続けていた。また日本から分断されていた沖縄県だけでなく、日本本土内においてもアメリカ軍兵士による夥しい暴行殺人強奪レイプ事件日常的に発生していた。占領初期1か月神奈川県下だけで2900件の強姦事件発生し神奈川県では女学校閉鎖するなどの処置をとって強姦防御努めた1945年昭和20年9月2日から1952年昭和27年4月28日にわたる約7年間の占領期間中本土だけでも少なくとも2536件の占領軍による殺人と3件以上の強姦事件発生したとされている。 特殊慰安施設特殊慰安施設協会」も参照 アメリカ軍日本進駐したわず最初10日間に、神奈川県下で1336件の強姦事件発生した沖縄戦でも目を覆うような強姦事件繰り返されており、日本政府はそれらの被害報告を受け、アメリカ兵強姦対策として銀座慰安施設設け、特殊慰安婦集めた同年9月28日今度連合国軍総監から東京都衛生局対し慰安施設増設指示された。9月の同じ時期千葉県神奈川県でもアメリカ軍司令部から慰安所設けるように要請受けた東京都神奈川県慰安所では、開業前日にアメリカ兵大挙して押し寄せ無差別に強姦行った神奈川県慰安所では、抵抗した慰安婦アメリカ兵絞殺する事件起こっている。 また中四国地方においても、イギリス連邦軍兵士向けの慰安施設設けたほか、性病蔓延したためイギリス軍による性病対策講義基地の中で開かれている。 慰安所設置によって、確かに強姦事件減少した考えられている。実際に特殊慰安施設協会廃止される前の強姦事件婦女暴行の数は1日平均数は40件だった一方廃止後の強姦事件婦女暴行の数は1946年前半1日平均数で330件に増えている。 1945年昭和20年)の12月25日東京都渉外部長占領軍司令部命令サービス提供する部署)だった磯村英一は、SCAP将校から呼び出され当時焦土化していた「ヨシワラ」に宿舎造営し復活させ、占領軍兵隊のための「女性」を集めるよう命令された。東京都はすでに女性子供できるだけ田舎避難させる政策とっていたが、占領軍命令には抗う術もなく、磯村自ら焼け跡地区困窮生活をしていた一般女性に、食糧支給する約束して集め苦渋の決断下した都内焼け残った花柳界東京はじめとする関東地域占領業務当たっていたアメリカ軍専用接収された。 レイプ記録日英米間の差異 イギリス連邦占領軍の公式報告では、軍所属将兵1946年5月から1947年までの期間に57件、1948年1月から1951年9月の間に、さらに23件の強姦犯し有罪判決受けたとされるしかしながら1946年2月から4月にかけてのイギリス連邦占領軍による公式占当初重大な犯罪の公式統計存在しないまた、1945年8月以降イギリス軍将兵重大な犯罪の公式統計存在しないアメリカ軍ロバート・アイケルバーガー将軍は、特殊慰安施設協会乗り込んだ数百人のアメリカ軍兵士女性たちレイプしたことをマッカーサー元帥話し合ったことや、アメリカ軍兵士による日本女性へ暴行を防ぐために日本人設立した自警団武装した戦闘車両鎮圧し自警団幹部らを長期間わたって刑務所監禁したことなどを回顧録残しているが、占領初期GHQによる1945年9月の「月例報告」では、「日本人アメリカ兵協力的であり、占領秩序正しく流血なしで行なわれた」などと記載されている。また、GHQ外交局長W.J.シーボルドは「アメリカ兵たちはジャップの女なんかには、手を出すもしない」と記していた。『敗北抱きしめて』の著者ジョン・ダワーも、アメリカ軍自身日本人慰安婦および施設要請したことについては言及していない。 他方特別高等警察1945年昭和20年10月4日解散させられ記録焼却一部没収済み)の現存するファイルによれば1945年8月30日から9月10日の間、占領軍による強姦事件は9、ワイセツ事件6、警官対す事件77一般人対す強盗略奪など424件の記録残っている。 調達庁資料では、7年占領期間中アメリカ軍兵士殺された者が2536人、傷害負った者が3012人とある。警察資料では、アメリカ軍兵士日本人女性襲った事件2万記録されている。なおイギリス軍兵士それ以外将兵による事件記録残されていない緘口令 1945年昭和20年9月19日GHQからプレスコード発令され占領軍犯罪行為報道日本のメディアから消えた検閲存在そのものにも緘口令敷かれていた。連合国軍兵士凶悪犯罪は「大男」と記すことによって検閲免れていたことが、暗黙の了解となっていた。 私生児 アメリカ軍兵士による強姦などにより「GIベビー」と呼ばれる占領軍兵士日本人女性との混血児大量に生まれる。混血児多く父親誰か分からず、むろん母親からも歓迎されず、母親親族地域社会からも排斥されたため、線路脇などに遺棄されたり、嬰児遺体電車網棚遺棄するなどされていた。1948年昭和23年)には混血児対す民間救済施設エリザベス・サンダースホーム」が設立された。しかし同様の施設日本政府アメリカ軍作ることはなかった。同1948年昭和23年)に優生保護法施行され戦前禁止されていた人工妊娠中絶法的に認められた。1953年昭和28年)に厚生省が行った調査によると、国内で4972人のGIベビー確認されている。 「二日市保養所」も参照 サンフランシスコ講和条約締結以降 サンフランシスコ講和条約19条によって、「日本国日本国民は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民対すすべての請求権放棄し占領軍又は当局存在職務遂行又は行動から生じたすべての請求権放棄占領時代指令法律下での連合軍作為・不作為による行為民事又は刑事責任に問ういかなる行動もとらない」とされた。 連合国軍による占領終了後1958年においても、アメリカ軍兵士日本における一年間犯罪は公式に記録されいたものだけでも9998件、婦女暴行事件件数は1878件だった。 1971年昭和46年)までアメリカ軍軍政にあった沖縄県でのアメリカ軍人軍属による刑事事件は、1953年昭和28年)から1971年昭和46年)までの18年間で1万5220件(このうち死亡222件、傷害560件)が記録されている。沖縄日本返還された後も沖縄県でのアメリカ軍人軍属による刑事事件多発している。 1961年昭和36年11月11日日本政府は『連合国占領軍等の行為等による被害者等に対す給付金支給に関する法律』を定め、「連合国占領軍等の行為等により負傷し、又は疾病にかかつた者、及び連合国占領軍等の行為等により死亡した者の遺族」に対し日本政府から給付金支給するように法制化した。

※この「占領軍等の犯罪」の解説は、「連合国軍占領下の日本」の解説の一部です。
「占領軍等の犯罪」を含む「連合国軍占領下の日本」の記事については、「連合国軍占領下の日本」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「占領軍等の犯罪」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「占領軍等の犯罪」の関連用語

占領軍等の犯罪のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



占領軍等の犯罪のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの連合国軍占領下の日本 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS